最近はペット同伴参拝OKの寺社が増えた。
だが、まだまだ少ない。
もちろんリードは当たり前、抱っこ、バッグの中など、様々な制約がある。
寺社でなくとも日常の生活圏の散歩途中の公園でもワンコの「大・小」を片付けない人がいる。
数多い人間の中で、必ず数パーセントの人間は世のルールを守れない。
もともと犬は畜生道だが、それより劣る飼い主がいる、餓鬼道だ。
だから寺社もペットは敬遠する。
しかし、
人間は夫婦・異性同伴、不倫同伴、愛人同伴、どれもおトガメなし。
やはり畜生道より劣る人たちもいるのに・・だ。
何故ペットが人より劣る扱いなのか、犬としても納得ゆかない。
ご存知のように、愛知県に犬を祀る神社がある。
主祭神の他に、伊奴姫神(いぬひめのかみ)も祀られているそうだ。
▼伊奴神社の御朱印です。(愛知県名古屋市西区稲生町2-12)
「犬の王」というスタンプが押されている。犬の王とは何者だ?
W.ゴールディングの小説「蠅の王」というのは読んだ事がる。内容は忘れた。
神社にまつわる言い伝え、伝説ねっ! 「犬の王」で結構でございます。
▼いきなり舞台が変わります。我がファミリーの「犬の王」。本邦初公開。
王らしくない頃、生後数ヶ月だった。
10年以上前、我が家に降臨した。汚れを知らない顔は、3年くらいは、人間も犬も同じだ。
この頃は、まだまだ、子犬の「スタイル」を保っていた。
▼そして、さらに
数年後の夏の日の午後。彼女はすっかり「ドーナガ」になっていた事に気付いた。
しっかりミニチュアダックスフントになっていたのだ。
長茄子に負けてない。この光景は「ナスダック」。指数は不明だ?
さらに彼女は歳を重ね、魅力的な女犬になった。女権を振りかざすわけではない。決して吠えない、決して噛まない。
このポーズも男犬に振られて、ガッカリしているわけでもない、この顔は普段顔、スッピン。
このブログのプロフィール画像に使っている、彼女の勇姿? 憂姿? 鬱姿?。
カメラを向けると、何故かイヤがる、そっぽを向く。サイコーの表情になる。
世の中には、我が子に裏切られるまで、客観的に見る事のできない「親バカ」も沢山いる。
子供は、ある意味、親を裏切られなければ成長できないのに、である。
不幸な事に人間は年齢を重ねるごとに成長を求められる。フンベツとともに・・・。
そして、そんな話の対象となるのは犬である。曰く「犬は裏切らない」。
そうなのだ、犬は成長できない人間を哀れんで、こんな眼をしているのかもしれない?
彼女は長い間「喰って、寝て、散歩して、ウンチして」を繰り返してきた。それ以上の要求は無い。シンプルだ。
身体は衰えたけど、成長なんていうツマラないモノは望んでない。
犬畜生でケッコーよ! ワンッ! ワンッ! ワン!バウ!ワウ!
そうね、私だって時には無駄泣きしたり、オモイッキシ吠えてみたいわ。