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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

吉水神社・勝手神社の御朱印(奈良・吉野町)〜4月初旬には、一目千本、一目千人の吉野山

吉水神社御朱印です。(

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境内社 勝手神社御朱印です。f:id:wave0131:20180312201941j:plain

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▼吉水神社。

 

そろそろ桜の開花情報がTVなどでウルサイくらい放送される季節。

時の移りが速すぎます。小学生の頃は正月から桜の時期までは、もっと時間が長かったはず。

どうも今はその頃とは違う次元で生きてるようです。

 

花見で真剣に浮かれるほどミーハーではないつもりでいても、いざそんな花見場面に身を置けば、ヘソ曲がりもそれなりに浮かれたフリをします。

この時期は日に日に暖かくなる陽光の下、桜を目にしてヒネクレ者も無条件で心膨らむ思いになります。

たくさんの花の中でも特に桜は人を思わぬ世界に導く花木。

桜の季節を何回も経験していると、記憶にあるのは楽・悲・甘・苦で、何でもあり。

決して楽しい事ばかりではなかった。

 

自分の事などどうでもイイけど、日本列島サクラだらけになります。

 

南から始まって北海道までその開花情報は長きにわたり、その開花時期は同じ地域でもその高度によって違います。

 

ここ奈良県吉野山も「下千本」から「奥千本」まで4つのエリアに約600mの高低差があるから、その開花時期も少しずつ異なります。

 

ここは「中千本」になるのだろうか?

▼「一目千本」とかでこんな光景が見られるようです。借物の写真。

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▼武士を捨てた西行吉野山の奥千本、標高700m以上の庵で3年間、侘び住いをしました。

f:id:wave0131:20180311164734j:plain侘び住いを愛した西行。これは井原西鶴の画だそうだから、西行が生きていた時代とは相当かけ離れています。

桜が大好きだった彼は、時にはこんな時間もあったかもしれない。

悠々自適な暮らしとしたら、うらやましい!

西行法師のイメージともかけ離れるが、吉野山平安時代には既に桜の木があったそうだから、彼のこんな姿も全くのウソッパチとは言えない。

まぁ絵画は好き勝手に描いて良いわけですが・・。

 

▼その庵を芭蕉も訪れているそうです。奥の細道を廻り終えて、帰り道にでも吉野に寄ったのかしら。

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芭蕉西行をかなり意識していたというか、好きだったんだろうね?

もしくは師と仰いでいた? でなければワザワザこんな山奥までやって来ない。

それも2度もです。

芭蕉にしてみたら西行は500年前の人間。

よくわからない! 「曽良」も同行だったのかどうかもわからない。

 

しかし、本ブログが訪れたこの時ははだれも歩いていない中千本「東南院」前。

▼「一目千本」が満開の頃、きっとこの道も「一目千人」となるんだろうなぁ。

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東南院は境内にちょっと入っただけ。御朱印を貰うのもメンドーなのでパス?!

メンドー?

御朱印収集人の風上にも風下にもおけない。

 

御朱印をいただくのに限らず、忙しい時は昼ごはんを食べるのもメンドー!に感じる。

メンドーでも昼飯ヌキでは身体に悪い。

実は他の身体にワルイ事はケッコー好きなのですが・・・。

 

観光客はほとんどいないから、腹が減ってもお店がありません。

なんとか1軒見つけた。客は他に1組、店内も道路と同じく閑散としています。

何度も言いいますが豪華なゴハンの写真は基本掲載しません。

そんな機会も少ないから・・。

しかし、これはほぼ質素だから掲載。

きつねうどん、山菜、柿の葉寿司。

姿・形は質素だが、値段は「普通」、お味も「普通」。

普通が一番! でも普通を継続するのは一番難しい!!

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f:id:wave0131:20180315204602j:plain高級旅館の食べ切れないたくさんのご馳走より、ホテルのオシャレな夕食より、この程度でマンゾクできる方が余程シアワセと思っています。

負けオシミ?????!!!

世の物事、比べたらツラくなったり、ゴーマンになったりするね!

と言うこと自体すでに比較してる事になるか?!

 

▼明治以前は僧坊だった吉水神社を訪問します。

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▼ここも世界遺産。もとは寺。

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あちらこちらに「世界遺産」の四文字が。

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祭神が「後醍醐天皇」でちょっと意外っ!?

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▼焼失して再建中の「勝手神社」仮殿。

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▼ここで後醍醐天皇南朝を開いた? なんとも山奥の朝廷だわね!

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f:id:wave0131:20180311164732j:plain西行は奥千本の最奥で侘び住いを愛でたが、都を追われた後醍醐はどうだったのか?

何としても都を奪還して京都に帰りたかったが、ここ吉野で亡くなりました。

陵墓はここ吉野の如意輪寺にあり、京都方面に当たる北向きに葬られたとか。

すこし同情しようか?なっ。

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この神社境内に見晴らしのきくビューポイントがあり、吉野の桜を一望できる「一目千本」の看板があります。

▼冒頭で掲載した借り物の写真をもう一度掲載。

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▼訪れた時に同じビューポイントで撮ったもの。

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桜がないと何の変哲も無い山の写真。オソマツ!

この時期、観光客が見当たらないのも理解できます。

「桜有り・桜無し」の落差がヒドすぎる!

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秀吉がここで盛大な花見を催したのは有名。

派手好きな彼は京都醍醐寺の花見も有名。

吉野へは家康や、伊達、前田などの武将をはじめ5000人ほど供ぞろえだったとか。

ピクニックにしては京都から吉野へは遠いわねぇ!

 

それも吉野へ到着してからは3日間も雨が降り続いたとか。

怒って、イラだって、八つ当たりした秀吉の姿が目に浮かばないでもない。

竹中直人だけど、目に浮かんだのは・・。

 

 


ここ奈良県の山奥、吉野の桜は様々な人物とともに千年以上の歴史を紡いできたようです。

変わらずに、さらに千年の未来にバトンタッチできればイイわね!

 

昨日15日、高知県で桜開花宣言され、東京も開花まで秒読み段階に入った。

だからって、どうしたって言うのっ?

いや、皆さまには楽しい桜見物のひと時、花見の宴ができますよう祈ってます!

 

前回記事はグチだった! でも少しスッキリしました。

話すことや、書くことはグズグズ、モヤモヤした気持ちをいくらか解放してくれます。

読んだ人には不快だったかも?  おユルシを!!!

 

金峯神社・吉野水分神社の御朱印(奈良・吉野町)〜世界遺産・吉野山はアクビが出るほどヒマそうだった

金峯神社御朱印です。(奈良県吉野郡吉野町吉野山1651)

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読みは「きんぷ じんじゃ」です。

 

吉野水分神社御朱印。(奈良県吉野郡吉野町吉野山

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読みは「よしの みくまり じんじゃ」です。

 

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奈良県吉野山世界文化遺産紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれます。

 

しかし、この世界遺産は少し混み入ってます。

どこが? 何が? 世界遺産? なの?

というのも「原爆ドーム」が世界遺産というのはイメージしやすく、訪問した事のある人ならすぐに理解できます。

 

ところが、ここ吉野山奈良県和歌山県三重県と、3にまたがる文化遺産

だから登録遺産名称は沢山あります。

大きく分けて吉野山・大峯、熊野三山高野山、そして大峯奥駆道を始めとする参詣道。

これらはさらに細分化され、いくつもの神社・寺・路・道・滝・山などが登録されています。

総称して「紀伊山地の霊場と参詣道」というそうです。

分かったような、分からないような?

 

熊野三山高野山は過去記事に、ほんのサラッと掲載しています。

 

でも、まぁいいから吉野山に行ってみましょう。

前回記事の丹生川上神社から北進して吉野に戻ります。

 

だいたい「吉野山」という名称の山はありません。これも山の名でよくある総称とのこと。

▼大峯奥駆道と吉野山、この看板に良く分かるように説明されていました。

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▼拡大してもボケてて、少しも良く分からない!か。

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でも、吉野山は桜の名称という事は誰でも知っています。

年間90万人ほどの観光客の3分の1、30万人ほどが桜の時期の2週間に集中するそうです。

残りの60万人は、残りの50週間に分散されるようです。

1週間に1.2万人という事になります。

一日換算の訪問者が2000人にも満たないのか?

世界遺産ラクでないわねぇ。

 

その吉野桜のエリアは山の麓から下千本・中千本・上千本・奥千本と4つのエリアに分けられていますが、赤い境界線が敷かれているわけでなく初心者には全く無意味なエリア分け。

 

訳わかりませんが麓の吉野川のあたりからグングン登って一番奥まで走ってみました。

山の麓の吉野神宮あたりから山道になります。

高低差600m位ある道は、とにかく狭い!

大雑把な地理は頭にあったものの、狭くてクネクネ道はその記憶をカンタンに消されて無意味なものにされます。

コノヤローと悪態をつきながら、少し迷ったものの目的の地に辿り着きました。

観光バスもやってくるようですから別な道路があるのかしら?

 

世界遺産金峯神社」。

 

この鳥居からがヤケに足にくる長い勾配を歩いて登ります。

 

▼轍もあり、車で進めない道ではなさそうですが歩きました。

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▼汗ばみながら神社に辿り着きます。

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拝殿はほかに訪問者がいないだけに神々しさが極まっていました。

本殿はこの拝殿の裏、さらに山の上の方にあるそうです。

 

▼拝殿はガランとして、夏を終えた涼しげな風が流れているだけでした。

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金峯神社」、名前の通り鉱山の神、金鉱の守護神を祀っているとか。

人生の金鉱と全く縁の無い者は、本心はせめてオスソ分けが欲しいのですが、そんな祈願はしません。

今、置かれている自分でイイのです。

 

この山を20分ほど登ると、芭蕉も訪れたという「西行菴」があるようです。

西行は武士をやめました。僧侶になって、ここで数年侘び住いをしました。

ワタシは登るのをやめました。

 

桜の季節だと登る価値は高まるようね。

 

拝殿の左方面を少し下ります。

▼「義経隠れ塔

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塔というより庵だよね!

義経が弁慶とともに追っ手から隠れた堂と伝えられます。

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現在は大峯奥駈道の行者さんたちの修行の場の一つだそうです。

この扉の奥に閉じこもって修行?

閉所恐怖症気味の自分にはムリね! 誰にも頼まれてないけど。

 

誰にも行き合わなかった世界遺産の神社境内の拝殿に戻ります。

 

こんな閑散としていて、御朱印などいただけるのかと少し心配になりましたが、拝殿脇の受付ではサラサラッと揮毫いただける宮司さんがいらっしゃいました。

ここまで来て、もし御朱印をいただけないと途方にくれるよね。

 

吉野水分神社

奥千本エリアから下ります。

ず〜〜〜〜〜と道は狭い。

ここに辿り着くが山の中腹にある神社。駐車場も3台ほどしかスペースがありません。

でも 2014.09.22 mon、 1台分のスペースはありました。駐めました。

 

▼道路からすぐ階段が始まり楼門。

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f:id:wave0131:20180306192350j:plain山にへばりついている境内ですから狭い。ここは観光客がチラホラ。

写真もどうのように撮っていいのかわかりません! 撮りズライ!

全体像が全く理解できないような神社です。ムリだけど俯瞰できればきっと良くわかると思います。

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▲▼上の写真の屋根だけ写っている左側が拝殿、右が本殿。

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▼桜の時期はこうなります。この写真は借り物。

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▼破風が3連続する本殿は珍らしいそうです。格調高く美しい。

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▼本殿への階段は登れません。階段下の賽銭箱の前で合掌。

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とにかく興味深い神社。

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軽薄な写真説明が続いたけど、知識は少ないから詳細は、いつものように他のブログにお任せしましょう!

 

事実的なこと並べても面白くないし、マジメでないし、実は酔っ払ってもいるし!!  毎度です!!!

 

宮司(女性)さんが祝詞を!

拝殿の意味を改めて知る光景でした。もともと拝殿は宮司など神に仕える人が本殿に向かって拝む場所。

一般人のためにだけあるのが拝殿ではなく、ワタシたちはそのオスソわけ的な位置で手を合わせているのです。

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祝詞奏上後、いただけました。

 

奥千本は全く観光客と遭遇する事はありませんでした。

西行が侘び住いし、義経たちが隠れた頃は人はもちろん、他の建物も何もなかったはずです。夜はコワイくらいの闇がひろがるばかり。

今も変化してないものは吉野の山々だけかもしれない。

 

毎度のことかもしれないが、今回もカナリ雑な内容にってます。

BLOG UP が1週間ぶりになってしまった焦りからか?

しかしヨクヨク考えなくとも何に焦る?

でもアセル!

UP !   Up !  アップアップ!!!!

 

 

吉野山御朱印記事。

wave2017.hatenablog.com

wave2017.hatenablog.com

丹生川上神社上社の御朱印(川上村)〜奈良県はすべて山の中? 山鳩と龍神に出会う

丹生川上神社上社御朱印です。(奈良県吉野郡川上村大字迫)f:id:wave0131:20180223194933j:plain

にうかわかみじんじゃかみしゃ」と読みます。

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前回まで新潟・魚沼の記事を7回続けました。少し新潟の話は飽きました!

上越方面の話は別の機会にするとして、話を一気に関西方面に飛ばします。

 

以前「秩父路はすべて山の中」という記事を書きました。

そして今回の記事、奈良県も下の google map 航空写真のように県内のすべては山

平野部は大阪に近い所に僅かだけ。10%ほどでしょうか?

しかし「お題」にするまでもなく、もともと日本の国土はすべて山と言っても言い過ぎではありません。国土の7割以上がいわゆる「山地」。

残りの3割ばかりの平坦地に人口1億3千万人近くのほとんどがヘバリついている事になります。山間部に残っているのは僅かなジジ、ババだけですが、ある意味羨ましい。

 

海のない「すべて山の中」にある奈良県の奥深い、ほぼ三重県境に近い場所に向かいました。

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訪れた日は、午後遅くに着いた「高野山」をいつものようにカケアシで巡ってから、上の航空写真に示す「ここらへん」に向かいました。

高野山から目指す場所までは直線距離で40kmほど。

しかし車で向かうには弧を描くような大回りのルートしかなく、橋本市五條市、吉野を経て走行距離70km以上になるようです。    

空いている地方の国道を走っているうちは問題なし。

吉野も過ぎ、いよいよ山奥に向かいます。

しばらくは国道が続き快適な走りができました。

そして大滝ダムを過ぎ、国道(東熊野街道)から県道に分け入った頃はスッカリ夜の帳が下りていました。

 

そもそも高野山を出る時間が遅かっのですたが、いつものように地方道の100km未満だったら飛ばせば2時間くらいで行けるのでは? 計算に大きな狂いはなかった。

しかし山間地は陽が落ちるのが早い。

9月の夜7時前だったはず。

明るいうちはこんな道。川、貯水池、ダム沿いに県道はクネクネと山奥を目指します。

対向車もほぼ無いに等しいから飛ばせます。

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▼しかし、同じ道路だが目的地に近づいた時はこんな感じ。

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照明なんて一切無く、道路端はガードレールも低く、クネクネ曲がる1.5車線道路。途中で広くなったり、完璧1車線道路になったり。

関空で借りたレンタカーのハンドルを切り損ない、右端の低いガードレール代わりの石積みを越えてしまったらオダブツだ、ひさびさに握るハンドルに汗がにじみます。

ライトをたよりにユックリ走れば問題無い!

しかし性格的にユックリノロノロ許されない

当然、ブッ飛ばすわけではない。したくても飛ばせない!

だんだん細くなる道路を、そこそこのスピードを保つのみでした。

それより、この先にホントに目指す建物はあるのか? 不安要因が増す。心細いったらありゃしない!

しかし、極細道、真っ暗な山道の修羅場は何度もくぐり抜けてきました。

 

今回もなんとか無事着いた先はここ。この日の宿泊地です。

この宿に到着した時は、7時頃だったけどスッカリ クラヤミ

▼だからこの写真は宿泊の翌日チェックアウト時のもの。

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道路を走ってきて目的地に近づいても建物は見えません。案内看板だけ。

▼駐車場にある案内看板。

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宿は看板がある駐車場の下に崖にすがりつくように建っています。さらに下はダム湖

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この階段がメインの出入り口らしい。温泉入浴だけの方は5時までのようです。客は2輪のライダーたちも多そうだ。

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旅の思い出も、寺社の記憶も「なにもかも忘れて今日も山鳩湯 元気出しなはれや〜

忘れたら困ることもあるし、元気もあるし・・。

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▼温泉も翌朝入った時の写真。

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カルシウム成分が湯船の縁に付着して原型がわからず異様な雰囲気と光景。

このカルシウム付着のフチに頭を預け、身体は湯中に解放、ゴクラク

▼にごり湯は照明でレンガ色に見えます。そこそこ熱い掛け流しはダボダボ出ています。f:id:wave0131:20180226120505j:plain

▼すぐ外は半露天になっています。冬はどんなんだろう?

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簡素な部屋からダム湖が・・。このダム湖に上の写真の温泉がムダダボダボ流されています。そんなに大きなダム湖ではない。たゆまず注がれる温泉で濁らないのかしら?

f:id:wave0131:20180226120803j:plain余計な心配のようです。水は碧く澄んでいます。

 

▼んんっ? 少し白濁してない??

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正式名称「入之波(しおのは)温泉 山鳩湯

2014. 09. 21 sun の泊まり客は他に夫婦らしき1組だけ。

こんな山奥の一軒宿だから夕食も豪華ではありません。食物エコ人間に豪華なエサは無用です。

でも鍋物もあり美味しかったし、何より貸切状態のニゴリダボダボ温泉はサイコー。

 

しかし、そもそも温泉フリークでもなく、秘湯が趣味というわけでもない人間が、よりによって何故こんな山奥の宿に泊まる? わざわざ東京から・・。

普段なら高野山を見終えた後、橋本あたりのホテルに宿泊だよ。

まぁヨイ、人には時によっていろいろ事情があるのだわっ。話すとメンドイから省略。

 

それにしてもこの宿の女将はオモシロイ! 60歳代でしょうか?

少し垣間見える厨房で、女将とワタシとの会話に呆れ返っている板さんが旦那? かなと推理しました。

イヤリングに、目を見張るネールアート、首にもチャラチャラしたものを纏いつけてたように記憶。客に無用な媚がないところがステキ。

その男っぽい話しっぷりを聞くと、買い物などのため吉野方面までの国道を夜でも80km/h で飛ばすとか、キャッー、同類だ!

心も身体も若いゴーケツおばちゃんだ。

きっと酒も強いかもしれない。ぶっ飛ばして飲みそうだ。

 

さて寝るとするわね! 夜の山中は散策するところもない、部屋に戻ます。

ふと見上げると部屋の明かりの蛍光灯の笠に小さい虫がビッシリ寄っているではないですか! どこから入ってきたの? 夏に山のホテルで時々見かける奴です。

 

虫ごときでギャァギャァー騒ぎ立てるほど上品な人間ではないのですが、

余計なことに、この布団の上にバラバラと落ちてくるではないか。

虫に平気な人間も布団の中だとキショク悪い。うろたえて写真を撮るのを忘れました。

落ちるなよっ! 止まっていろよっ! しがみついていろよっ! シッカリしろよっ!

虫たちに言いたい「なにもかも忘れて今日も山鳩湯 元気出しなはれや〜

▼布団の虫を払って、明かりを消して虫のことは「なにもかも忘れて・・・」寝ました。f:id:wave0131:20180223194941j:plain

 

虫とともに寝た翌朝は、昨夜来た道をふたたび吉野方面へ戻ります。

途中、昨夜の宿のダム湖より少し大き目の「大滝ダム」があります。このダム湖を見下ろすような位置にこの神社があります。

山を回り込むような道はグングン高度を上げます。

車でなければ来たくない、参拝したくない高みにある神社の名は、丹生川上(にうかわかみ)神社上社。ややこしい名の神社です。

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▼少し前まで放送されていたBSジャパンの「神社百景〜GRACE of JAPAN~」でも宮司が取材されていました。f:id:wave0131:20180223194945j:plain

丹生川上神社」は上社、中社、下社とあります。

名前もややこしいが歴史もややこしいから省略。正直言って理解できません。

この神社の始まりは縄文時代にまで遡ることだけは理解しています。

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本殿は伊勢神宮の「おさがり」をいただいた木材で2008年に造営されたとかで、様相はまだ新しい。

馬が両サイドに。その昔は生き馬を奉納した。時は流れ「絵馬」になった。だよねっ?

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▼扁額、なんと読むのだ?! シンウテンサイ?か。 

漢字の良いところだ、意味はなんとなく掴めなくもないけど・・。

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神の潤いの雨が降り注がれる? 

神の雨が降り注がれ潤おう?

潤いの雨が神によって注がれる?

まぁこの内のどれかだろう!

 

▼高龗神(たかおかみのかみ)は山の峰の龍神だそうです。その化身かしら?

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龍神だから化身ではなくそのまんま?

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それにしても「🎵〜とぼけた顔してババンバン〜

古いなっ! カマヤツももうこの世にいないし!

 

▼眼下はダム湖。少しばかり大袈裟ですが「天空の社」という言葉も許すとしますか!

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▼いつ頃からこんな物が神社に現れ出した?

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いきなり安っぽくなる。

三流の観光地にあるべきだが、最近やたらその地位を回復しだしているのか、観光地の街中、寺社でもアチコチで見かける。

格式ある寺社に顔出し看板は不要。そこまで観光客に媚びることはない。

な〜んて言ったてねぇ?! 格式だけでは喰っていけないわねぇ!

 

「神社百景」に出ていた宮司さんに揮毫していただけた。

「神社百景」のことを話したら少しテレていらした。ありがとうございました。

 

 

2018年2月も間もなく終わる。

1月は11記事、2月は今回を含め、たったの7記事しかUPしてない。

だんだん少なくなるけど、長く続けるにはこんなペースでしか続けられないな!

それでも辛抱強くこのゴミブログに訪問していただいている皆さまに、とりわけ🌟印をプッシュしていただいている方々にスゴク感謝です。

たぶんギリだろうけど?!

オリンピックのように元気、勇気はいただけない!

TVで観戦しただけで簡単に得られるような「元気、勇気」なぞ欲しくもないけど、皆さんからは大きなハゲミをいただけるわね!

ありがとうございます。

ブログ始めた当初の自分の意図に完敗乾杯です。

まさかゴミブログに訪問いただいた方々に感謝の言葉を述べるなどとは1㎜も思ってなかった。

ますます勇気も 元気も 励みも 何も与えられないブログになるようハゲミます。

 

本成寺の御首題(新潟・三条市)〜三条のノミ、雲蝶も使ったか?

長久山 本成寺のご首題です。(法華宗陣門流 総本山・新潟県三条市西本成寺

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西福寺永林寺など雲蝶の作品、所縁ある寺を見てきて、この寺を最後に雲蝶ともお別れになりました 。

魚沼の永林寺からは50kmほど走らねばならなかった三条の本成寺(ほんじょうじ)。

 

雲蝶の作品がある寺社は、きっと他にもたくさんあるはずだが、あまりたくさん見ても感激はその都度、薄くなっていく!

ガツンとくるのは何と言っても新鮮さです。

雲蝶には悪いが、3寺目になると食傷気味になります。

新鮮な生活から熟年離婚へと変化していく男女の関係と同じようなものかな?

例えも悪いけど、西福寺では感激したものの彫り物に特別な興味があるわけじゃ無いから仕方ない。

 

後で知ったのだが、この寺に雲蝶が眠っている墓があるそうです。

いつものように事前知識を多く持たないから見逃しました。

見逃しても、まぁ、大してガッカリしてない。

普通、著名人の墓を訪れる時、その人の作品より肖像を思い浮かべることが多い。

しかし前回で記事にもしたが、雲蝶の肖像はないから墓に手を合わせに行ったとしても、本人の顔は浮かばず、作品だけしか脳裏に浮かばない。西福寺の強烈な彫り物だ。

だから墓を前にして亡き人を偲ぶというイメージではないわね、雲蝶の場合は。

 

▼それにしても赤門と呼ばれているこの寺の門はデカイ。さすが総本山。

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▼こういうアングルが好きなんで・・。

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▼こちらは南側の山門(三門?)

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本堂。

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▼屋根は正面からではなくこのアングルが好きなので・・。

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根本道場なのです。

寺でよく使われている「根本」という言葉、言葉通りだろうけど、今ひとつ深く理解できない「根本」。

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▼雲蝶でしょうね。もうほとんど時間がなかったのでウワッツラだけの参拝になりました。f:id:wave0131:20180219203932j:plain

それにしても江戸・雑司が谷に生まれ、名声もそこそこ得ていた幕末の江戸を離れ、雪深い越後でノミを振るう雲蝶の最後は三条!

様々なキッカケが揃っていたとしても何で越後? なんで三条?

どんな人物だったのか想像しがたい。

幕末から明治の越後なんて、雪と山と田圃と畑だけ。他は何も無かったはずです。

現在も大きく変わらないように思いますが。

でも、彼に江戸から東京へ名を変えつつある都のニギワイは仕事のジャマだったのか?

しかし想像するに越後には刃物の「鑿」だけは雲蝶も納得の品があったかもしれない。

ゲージツ家は道具さえあれば、あとは想像力とそれを具現化する力があるのかしら?

 

三条のイメージは洋食器を作り出す町。

しかしナイフ、フォーク、スプーンは発展途上国に譲らざるをえなくなりました。

彼らの国の方が安くできたから、多分。

で、産業としてはかつてほどの活気はないかもしれないけど、新たなイメージで三条の刃物が蘇っています。

 

東京に「合羽橋」という、飲食店様ご用達の街があります。

飲食店開業に必要な暖簾・のぼりに始まって、鍋釜の厨房用品・刃物、メニューサンプルまで見ているだけで楽しくなるほど何でも揃っています。

そこで売っている三条の刃物は最低1万円はしているかも? 上はキリが無い。

店には岐阜の関の刃物も同席しています。

近頃はそれを多くの欧米人、特に仏・伊の男たちがタメツスガメツ。

そして何本か仕入れていく! 包丁、ナイフを・・。

どうやってエアーで帰国するのか心配になります。無事帰国して持ち帰ってよ!

日本の刃物でフレンチでもイタリアンでも創ってよ!

 

ということで雲蝶も、きっと三条の「鑿」使っていたのだと推測。

キレアジ、ホリアジが江戸の刃物より優れていて、ドンドン手が進んだ雲蝶は越後で数多くの作品を残すのだった」と勝手に想像します。

無責任に勝手に想像するほど楽しいものはない。どんな文献も知ったこっちゃない、誰にもジャマされません。

 

相変わらず、話がどこに飛ぶのかワカラナイ!

 

寺に戻ります。

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境内は広大で伽藍も整っています。塔頭も幾つかあるようですが覗いているヒマなかったのです。

二重の塔f:id:wave0131:20180219203936j:plain

千仏堂f:id:wave0131:20180219203946j:plain

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▼境内を出て寺を眺めてみました。この時期はグリーンと朱の対比が際立つ外からの眺めの方がいいようです。

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明るく真っ赤な朱色は軽薄さを感じますが、少しくすんでいる深く暗い朱色は歴史も感じさせ、浮き足立ってなく落ち着きがあるわね。

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この寺は、時間的余裕を持ってジックリ対峙すべき相手だったようです。

と思うけど、それにしては上の写真をご覧のように、境内はシッカリ手が入っていますが、GWの夕方近くは人っ子一人出会わなかったわねぇ。

御首題は笑顔で対応いただきました。さすが日蓮宗

おっと、法華宗でした。まぁ日蓮さんを宗祖とするのは変わりないわな。

西福寺・永林寺の御朱印(新潟・魚沼市)〜ミケランジェロになりたくなかった男

赤城山 西福寺御朱印です。(曹洞宗新潟県魚沼市大浦174)

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西福寺御朱印帳。

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▼針倉山 永林寺御朱印です。(曹洞宗新潟県魚沼市根小屋1765)f:id:wave0131:20180217190657j:plain

 

 

1月21日に都内佃の住吉神社御朱印をいただいて以来、御朱印巡りとしては何処にも行っていない。

寒いのが苦手なわけではない。どちらかといえば寒さは平気。恒温動物だ。

北風ピューピューはカンベンして欲しいが、凛とひきしまった冷気は、ナマクラな身体をピンとさせてくれるようで好きなのだ。

 

だが、2月は仕事が休めない。午後からだが土日祝もズーーーーと仕事だ。

ある意味の職人仕事のように生産性の悪い仕事を業としている。

大きな数字の契約を取って売り上げができる、というような仕事ではない。

消費した時間なりにしか数字にならない。それも情けないことに付加価値が少ない。

AIがもっと現実的な姿に変われば、人間なんてお役ご免になるような仕事かもしれない。

 

▼自分の愚痴はともかく、この人の仕事はどんなんだったろう?

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やはり職人としての彫物師だから本人しかできない仕事で、手がけた分だけしか金にならないはずだ。しかし付加価値は高い!

 

そして現在は職人から芸術家へと評価され直されている。

石川雲蝶の作品はここ西福寺の「越後日光」の代表作のほか、永林寺や三条の本成寺など越後に多く残されている。

 

西福寺

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▼ここ「開山堂」の内部に「越後日光」がある。開山堂の保護のためか無粋な建築物で覆われている。

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▼見上げて感嘆する緻密で華麗なその内部は撮影禁止。

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曹洞宗の開祖を彫った解説付き拝観料500円の「越後日光」は、栃木の日光より感激した圧巻の彫り物だった。世界遺産より観光客が少ないことも好感だね。

 

開山堂内でガイドを聞きながら、欄間から天井に広がる彫り物をず〜〜っと見上げていた。少し首が痛くなった。

ナマクラな身体は寝転がってみるのが正解かもしれない? ダメだろうね!許されない。


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▼建物外部の装飾も彼の仕事によるものだろうか?

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f:id:wave0131:20180217190708j:plain一つひとつの仕事にとんでもない時間を要したはずだ。

そしてその報酬は妥当なものだったかもしれない。

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石川雲蝶」? そんな名前は御朱印巡りでこの魚沼を訪れる前は知らなかった。

もともと大きな知名度はない。

どこかの鑑定家が彼の作品を見て「これは越後のミケランジェロだ」と宣ったから、

地元の自治体や寺社が観光 PR用として「日本のミケランジェロ石川雲蝶」となったようだ。

そんなに古い話ではない。

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雲蝶と言っても誰も知らない、肖像画や似顔絵もないから「ミケランジェロ」の名を借りた。

両者とも天で苦笑いしてることだろう。

雲蝶雲蝶ミケランジェロミケランジェロだ。

「おれはミケランジェロではない!」と石川は思っているかもしれない。

越後でも、日本でも、東洋でも、世界でも「彫物師 石川雲蝶だ! 有名にならなくてもヨイ!」

そこまでヘンクツではないかな?

いやいや、師、名匠、芸術家はみなヘンクツなはずだと、そのいずれでもない、ただの偏屈者はそう思うな。

 

永林寺

カケアシの魚沼は忙しい。

▼西福寺を後にして7〜8kmほどさらに北へ向かう。

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この寺も雲蝶の作品を売り物としている。

が、どうしたのか写真がまったく見つからない?まただ。

寺の記憶も全くないに等しいぞ。

頭がキャベツだ。いや昨今のそんな高いものではないな。

脳が単に「オシャカ」になってしまったようだ。

 

▼写真は永林寺さんからお借りしました。

 

巡ってきた寺社の記憶は、凡人には事前の予備知識、予習と、いただいた御朱印を確認しながら、さらに寺社の由緒書や撮ってきた写真で復習しないと、大きな感動もなく、何事もなかった寺社は殆ど正確な記憶に残らない。

記憶に残っていたとしても、あの寺、この寺、どの神社?とゴチャ混ぜになっている。

記憶も必要な再現性の技を持つミケランジェロの爪の垢でも欲し〜い!ねっ。

 

 

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