▼八事山 興正寺の御朱印です。(高野山真言宗/愛知県名古屋市昭和区八事本町78)
「葵の紋」は興正寺が尾張徳川家の祈願寺として発展してきた経緯によるものでしょう。
「褒灑陀」読めず、まったく意味不明です。
「ほう さい だ」と読むのでしょうか?
高野山真言宗で読まれる経の名称かもしれません。
御朱印をいただいたときに遠慮せずお聞きすれば良いのに、この時は出来ずにいました。
尋ねれば、きっと進んで説明いただけた事でしょう。
後日、調べたところ「布薩会(ふさつえ)」という期間中にいただける御朱印とのことでしたが、この時は「盆施餓鬼法会」が開催されていました。
当寺は「知多四国八十八ヵ所」「尾張三十三観音」「東海三十六不動」など、複数の霊場札所となっているので、
2021年現在の寺のHPによれば、は6種類の御朱印がいただけるようです。
HPには3種類の御朱印帳も掲載されています。
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▼興正寺の山号にもなっている「八事」の街は文教地区でもあり、高級住宅街でもあるそうです。
寺の創建は江戸時代の1686年。
弘法大師から五鈷杵を授かった天瑞和尚が建立し、尾張徳川家から帰依を受け反映したたことから「尾張高野」とも呼ばれたそうです。
▼「中門」に「蛍放生会・青葉まつり・盆施餓鬼法会」などの案内が立ち、寺は大勢の参拝者で賑わっていました。
開かれた大きな寺ですので、特別な行事がなくても参拝者が絶えない寺なのでしょう。
▼高さ26mの「五重の塔」は1808年に建立された国の重文に指定されています。
この時は、ほとんど「立ち寄り」的な訪問だったので、広大な境内をゆっくり見ていません。
▼江戸末期に発行された尾張の地誌「尾張名所図会 八事興正寺」にも紹介されていて、丘陵地帯に広がる寺の広大さが見て取れます。
▼その図会にも描かれている五重の塔ですが、名古屋にも歴史ある五重の塔がある事は全く知りませんでした。
「名古屋の五重の塔」と言われても全く思い浮かびません。
その昔「大須観音」にはあったそうですが、明治時代の大火で焼失しているそうです。
美しい塔なので、つい何回もシャッターを押してしまいました。ミーハーです。
八事山は大きく「西山」と「東山」とに分けられ、かつては東山は「女人禁制」だったそうです。
その「東山」の境に建っていたのが、冒頭に掲げた写真の「中門」で、のちに現在地に移設されたそうです。
▼阿弥陀如来を本尊とする「西山本堂」は「ぽっくりさん」とも呼ばれ、長寿・健康・安産などのご利益を願う祈りが絶えないとか。
「ぽっくり」「ころり」「ぴんころ」などと親しまれて参拝者が訪れる寺は全国にありますが、人生100年などと寿命が長くなった日本人が、
長生きしても患わず「ぽっくり、ころり」と旅立ちたいと願う気持ちの表れでしょう。
▼「観音堂」は尾張徳川家二代藩主光友寄進の観音像が本尊ですが「秘仏」でした。
大急ぎで彷徨い、上っ面だけの参拝の興正寺でした。