「四年に一度 浦安三社祭」のスタンプは、オリンピック開催年と同年6月に行われる祭りですが、2020年の開催はオリンピック同様1年延期され、2021年の開催だそうです。
浅草神社は旧称を三社大権現社または三社明神社とし、
神社に因むというか、浅草寺の観音様に因む人物が3人祀られていることから
「三社祭」と呼ばれるようになりました。
しかし、浦安の「三社祭」は浅草とは少し意味合いが違い、
今回訪問の当代島 稲荷神社、
そして猫見 豊受神社、堀江 青瀧神社の2社を加えた、
浦安地区3社の合同祭りを指します。
浦安市も応援する4年に一度の祭りですので、浦安の街中が祭り一色になる大変賑やかな祭りです。
2021年の開催が無事執り行われることを祈ります。
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▼神社へは浦安駅から歩くと10分ほど要します。20分間隔で運行されているコミュニティバスの「おさんぽバス」などを利用するのが便利です。
当地は「当代島」と呼ばれているので、その昔は「島」だったのでしょう。
東京湾の海がもっと近くにあったのでしょうが、その後の開墾や埋め立てで、もはや島の境界線はどこにも見当たりません。
▼参道入口は「船圦緑道」という、まだ整備されて新しそうな綺麗な道路に面しています。周囲の民家も新しい建築が目立ちます。
「船圦」は「ふないり」と読みますので、今は緑道となっている川ですが、もっと海が近かった昔はこのあたりまで舟が入ってきていたのでしょう。
▼その緑道脇に左右の建物を支えるかのように鳥居が建ちます。
▼細い参道の住宅街を抜けると、突き当たりに境内が見えてきます。
鳥居、社号標、玉垣などすべてまだ鮮度が見える造りなので、造営の新しさを感じさせられます。
▼狛犬も風雨にさらされた跡や日焼けによる痕跡はなく真っ白。
神社の創建は浦安のほかの二社と同様はっきりしないそうですが、
1689年、現在の小岩にある「善養寺」から移し祀られたと伝わります。
それ以前は当代島村長の屋敷神の稲荷が氏神だったそうです。
稲荷社が発展する典型的な道を歩んできたように思います。
浦安は現代も街の様子の変化が激しい地域です。
古くからある当代島も変化の波にさらされ、地盤沈下なども大きいようです。
そのためもあり過去には何度も再建されている中、さらに建て替えられ現在の社殿は1984年の造営だそうですが、鮮やかな朱色の拝殿はもっと新しく感じられます。
▼社殿扁額の神社名は龍などの装飾彫刻に囲まれています。
少し長いですが、祭神について神社のHPから引用です。
一説には稲荷神社の祀祭神は稲蒼魂命だといわれ、元の御名を宇加之御魂神という。この神は字を倉稲、すなわち一切の食物を司るとされ、豊宇気毘売神と同一神だといわれている。さらには豊受大神と称されて外宮の豊受大神宮にも祀られ、五穀最成・飲成五社大明神の筆頭の神で、大己貴命・大田命・大宮姫命・保食命の五柱を総じて五穀の神として穀物豊穣の神として信仰された。
太字にした「神」や「命」の文字がいっぱい出てきて凡庸な脳は整理できません。
稲荷社ですので祭神「うかのみたま」とだけ理解しておきましょう。
神社の正確な祭神名称は「豊受大神」「應神天皇」「春日大神」の三神です。
▼社務所も新しく建築予定のようです。人物が妙にリアルなCGイラストです。
▼「紀元二六〇〇年記念」「支那事変出征祈願碑」と彫られています。
▼社殿の右手に「大鯨の御社」?
▼4つの石祠が祀られていて、右から2番目の小さな祠に「大鯨」とかすかに読める文字が刻まれています。
▼二重の祠のこちらは「八幡神社」。
「大鯨」は明治期のことで、東京湾の海を相手に魚・貝を獲って細々と暮らしていた漁村の男2人がたまたま大鯨に出くわし、捕獲して村に戻ったところ大騒ぎ。
獲った鯨により大金を手にした男2人も含め、村中なかなかその熱が治らず仕事にも支障をきたしていたことから、その騒ぎを鎮めるために石碑を建てたそうです。
当時の東京湾には小魚が豊富で、鯨も餌を追って湾の奥まで入り込んでくることが時々あったそうです。
しかし、石碑や石祠を建てることで騒ぎが収まったとしたら意味不明でもありますが、まぁいいでしょう!
▼下げられている扁額は「龍宮」?
鯨の恩恵を受けた2人の男にとっては、鯨が獲れた浦安沖の海はまさに「龍宮」だったし、大金を手にした陸上でも「乙姫のいる龍宮」のような生活が続いたに違いありません。
鯨から龍宮への招待状をもらったというふうに理解することにします。
▼次は海から山です。
▼境内入り口の狛犬は新しかったのですが、こちらは年代を感じます。
獅子たちは風雨にさらされ貫禄を見せています。
▼富士講の石碑には昭和五十九年の文字が読み取れます。
富士塚は昭和初期に築かれたそうです。
どこの富士塚にも思いますが、溶岩は富士山から運ばれたものでしょうか?
世界遺産となった富士山からは現在では何一つ持ち出してはいけないのでしょう。
鯨も捕らえて食用にしたら世界中が騒ぎ立てます。
時代とともにその接し方、愛し方も大きく変化している「鯨」と「富士山」です。
▼「浦安三社」の記事。