▼鶴見神社の御朱印です。(神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央一丁目)
▼同じく2014年にいただいた鶴見神社の御朱印。
2014年は直書きいただいたように記憶しますが、2020年は書置きになっていました。
右下のイラストスタンプは、
毎年4月29日を祭祀日とされる「田祭り」の一場面「蟇目(ひきめ)の儀」の様子で、裏鬼門に矢を放つ「悪魔払い」の儀式だそうです。
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▼鶴見神社はJR・京急「鶴見駅」が最寄となり、徒歩3、4分です。
神社近くに旧東海道があり、東京方面から車で進むと多摩川を越えて、
▼その橋は江戸名所図会にも「鶴見橋」として、しっかり描かれています。東海道のノンビリとした人の行き交いが描かれていて、橋のたもとには名産の「米饅頭」を売る家が多い、と書かれています。
絵図には描かれていませんが、鶴見神社の位置は橋を渡った先、左奥あたりになるのでしょう。
▼神社界隈の現在は絵図のようにノンビリといはしていません。
京急電鉄がけたたましく神社裏を駆け抜けていきます。
▼「鶴見駅」がある南方面から進むと境内へ導く鳥居と社号標が建ちます。
鳥居から社殿までの参道は短かく、左側に建つ社務所の圧迫感を抱かせ、途中の境内はとても狭く感じられます。
▼確か手水舎は2014年の訪問時にはありませんでしたので、この間に造営されたようです。
境内は手水舎に限らず、社殿などは火災により失われており、いずれも近年になってから再建された建物がほとんどです。
神社の創建は不詳のようですが、神社近辺に古墳があったことや境内からは貝塚、祭祀土器、生活土器などが出土していて、
弥生時代末期には神聖な地として祭祀が行われていたと推測されています。
そしていつからか「杉山大明神」と称されるようになり、
鎌倉時代には源頼経が欅を奉納し、その大欅は彼死んでしまったものの、
根元からは祭祀遺物が多数出土しているそうです。
それらの事から川崎、横浜あたりでは最古の神社とされています。
都会に鎮座する神社はどこも同じ運命をたどり、
明治に入って鉄道開通の用地や、その後の市街地整備とともに広い神社敷地は半減しています。
▼姿が小さく感じるほど大きな溶岩の山上に立つ狛犬。
この地域には、特に鶴見川周辺には多くの杉山信仰の「杉山神社」が存在します。
そして延喜式内社ともされている「杉山神社」ですが、特定するのは難しく論社となっているそうです。
大正期に「杉山神社」から「鶴見神社」へ改称された当社も論社の一つとされているそうです。
▼何処かで見かけたような神紋ですが、鶴の神紋はたくさんありますから・・。
「有職鶴(ゆうそくづる)」と言うそうです。
▼本殿は杉山大明神と天王宮の二社相殿 となっています。
▼本殿の周囲はフェンスで守られています。
▼内部を覗くと本殿の基部が溶岩に覆われ、固められていました。
火山岩は富士山から運ばれたものでしょうか?
獅子山に使われている火山岩は度々見ることができますが、本殿の基部に置かれているのは、初めて目にしました。
▼境内東側にも古い石造りの鳥居のある入口がありました。
当初、鳥居をくぐった時に感じた境内の狭さは、社殿の右サイドや後方に回った時に解消されました。
▼社殿東側に境内社がズラリと並びます。「稲荷社」だけ朱塗りです。
▼「大鳥神社」や、御朱印にも連記されている鶴見七福神の「寿老人」を祀る社が続いています。
▼社殿の後方には「富士塚」が築かれています。
綺麗に整備されて日が浅いように感じます。
▼頂上の「浅間社」は相当古そうです。
▼石祠らしきものや仏像は同じく年代を感じさせるものばかりです。
▼境内鳥居の方に戻りますが「鶴見の田祭り再興の碑」があります。
御朱印にも「田祭り」の様子がイラストスタンプで押されていますが、
宮司さんがお話くださるには、鎌倉時代から伝わる「田遊び」と呼ばれていた祭りが明治期に一旦廃絶されたそうです。
そして近年までにその記録記憶がすべて時間の中に消えてしまったそうで、
その空白を埋めんがために宮司さんは数年間東奔西走。
その甲斐あって祭りを再興することができたそうです。
▼2020年はその「田祭り」再興30周年に当たるそうで、その記念誌をいただきました。
冊子の中で宮司さんが語っています。
田祭りが再興できて一番喜んでいらっしゃるのは、
千古の歴史と共に鶴見の里に鎮まります横浜最古の社・旧杉山大明神(現鶴見神社)の神様であることを確信する。
神社の古い歴史と 「田祭り」再興までのご苦労がより深く理解でき、鶴見神社に三度訪問してみたくなる冊子内容でした。
ありがとうございました。