▼定林山 能成寺の御朱印です。(臨済宗妙心寺派・山梨県甲府市東光寺町)
山梨は甲府の能成寺。
甲府五山に数えられています。
広くはない境内の様子、本堂、諸堂は視覚的には歴史を感じさせませんが、歴史好きには、きっと面白いほどの深さがあります。
寺は再建を繰り返してきたのでしょうが、さすが禅寺、古色は無いものの、すこぶる感じの良い寺です。手入れが行き届いています。
こんな寺なら、ワタシも尼か、坊主になってもイイわねぇ?! と思わせるほど。
▼境内の一角に禅の「円」があります。
御朱印も一筆書きの「円」。眺めていると何とも心地よい。
訪問時のイメージや、この御朱印のおかげで、記憶の上位にある寺です。
禅寺では「円」を度々目にします。
▼京都の円窓。
▼新潟の寺、ここにも「円」。禅寺では円はどこにでもあります。
禅における円の解釈、意味は、見る人に任せられているそうです。
「気は短く、心は尖ってる」わしは、「円」と言えば、タマに訪れるこんなイメージが真っ先に浮かんでくる。
▼同じ円ですが、ここは「丸」という酒場。悟りや真理には程遠い。
いや、待て!「円」の解釈は人それぞれ勝手だとしたら、煩悩まみれだが、今のワタシにとっては「丸」も真理なのだろうね。
▼これも丸、円です。阿弥陀如来の右手ではありません。
酒場の帰り際に支払いを要求された右手です。
丸くなれず、尖ってる自分は、当初、このブログでドクを吐こうと思っていた。
しかしブログという媒体には、事前に予想もつかなかったが、それを阻む要素がイッパイある。毒を吐けなくなった。
そこを考慮するようになったとしたら「丸く」なったということかしら?
人の角が取れると言う事が褒めるに値するのか、あるいはそこまで落ちたか、と解釈するか、人それぞれ。
無粋にも気持ちは、いつまでもトガっていたいけど、尖るのも疲れるわね!
丸くなったフリをしたほうが、ラクに切り抜けられる事のほうが多い世の中だってことはタシカねっ!
角は取れた方が、人が出来てる、と言う事?
ヤッパ、ワシにはもう少し先でよいようです。
▼人格の角はともかく、角が永遠にあった方が良いのは、サントリーの「角」です!?
禅〜◯〜角 、とんだバチアタリな記事になってしまいました。