光明山 天徳寺の御朱印
「てんとくじ」浄土宗(東京都港区虎ノ門3-13-6)
▼天徳寺の御朱印です(2022年)。
日付は自前で入れています。
▼天徳寺の御朱印です(2012年)。
▼2012年は浅草寺で求めたこの朱印帳に浄書いただいています。
▼境内右手の庫裏入口。
▼その庫裏の入口に御朱印が用意されていました。
2022年5月4日は連休だからの書置きなのか、はたまた常時書置きなのか分かりません。
声をかけて住職がいらっしゃれば「江戸三十三観音」の朱印帳で巡っていることを告げれば、朱印帳に浄書いただけるかもしれません。
▼天徳寺は愛宕神社の南西、スグのところに門を構えます。
愛宕神社参拝後に天徳寺訪問です。
▼愛宕神社境内の南にある「愛宕新坂」の途中から階段を降りるとここに出ます。
▼石段を降りたところは「愛宕隧道」脇ですが、トンネルを背にして進みます。
▼1つ目の角を左折すれば右に山門が見えます。
▼山門は12年と22年の撮影ですが何の変化もありません。
天徳寺は1533年の開創で当初は皇居内にあったものが、
▼境内に入るとモダンな造りの鐘楼。
天徳寺も関東大震災や東京大空襲で伽藍を失っていますので、主な建物は戦後の再建でしょう。
▼境内に入って一番目を惹かれる建物は本堂の「八角堂」。
▼二層の八角堂は都内では見かけたことがないので珍しいかもしれません。
さて、当寺を2012年に最初に訪れたのは「江戸三十三観音」を巡っていた時でした。
上に掲載した、浅草寺で購入して表紙に「江戸三十三観音」と書いていただいた専用朱印帳を持って、本ブログとして初の霊場巡りでした。
初めての霊場めぐりに嬉々として参拝していました。
もちろん当時ですので、朱印帳1冊に全て直書きいただいています。
当時の天徳寺では庫裏入口から内部へ招かれて、堂内に祀られていた観音様に手を合わせさせていただきました。
庫裏内は田舎のおばぁちゃんの家に帰ったような雰囲気を持っていました。
ご住職に浄書いただいている間、奥様かと思われる女性に
「若いのに えらいわねぇ」と労っていただきましたが、
大して若くもなく、また真剣な霊場巡りというより、御朱印収集が主目的だった事に
こそばゆさと、罪悪感のようなものを感じたことが懐かしく思い出されます。
同じく、2012年当時に御朱印に興味を持ち始めた人たちは、
御朱印収集にある程度に慣れてくると、多くの人たちは霊場巡りをするような流れになっていったように感じています。
例えば東京・関東で言えば
「江戸三十三」や「鎌倉三十三」「東国三十三」「父札所三十四観音」「関東三十六不動」などなどです。
しかし、ここ4、5年で御朱印にはまった方たちは、10年前に御朱印を始めた人たちの流れとは違うムードを持っているようです。
もちろん、2022年の現在でもそういった霊場巡りをする方はいるでしょう。
しかし、何と言ってもイラストやキラキラ御朱印が興味のキッカケだった人たちは霊場巡りは二の次になるかもしれません。
何といってもインスタなどで映えるのはイラストやキラキなどですから、それらを追うのは当たり前の流れかもしれません。
10年前の2012年のSNSは、まだブログが主流だったはずですので、
その後の爆発的な力を持つツイッターやインスタなどで、御朱印を取り巻く環境が大きく変わったことは確かでしょう。
ここ10年の御朱印は、そんなSNSとともに歩んで、進化してきたと言っても過言ではないでしょう。
そこに御朱印収集者の多様な形が見られるようになったように感じます。
さらに大きな変化は御朱印授与側でしょう。
「御朱印について」などという印刷物が添えられます。
その内容は御朱印の本義を説き、単なる収集を戒めています。
そして、そういう印刷物を渡す社寺にイラスト・キラキラ御朱印はないでしょう。
神社は別にしても、イラストやキラキラ限定御朱印を授与する寺院は
「御朱印について」などという印刷物など作りません。
その理由は言うまでもないでしょう。
御朱印を授与する側、受ける側、それぞれが変化する、変化しないと言う立場の多様化が見られるということです。
本ブログでは「御朱印収集」または「収集者」という言葉を頻繁に使用していますが、
その対象は広範囲で多様なスタイルを持っているということになります。
いつものことですが、ブログ目的の天徳寺の話題から外れています。
▼ついでにそれて寄り道です。先ほどの「愛宕隧道」に戻ります。
▼愛宕神社への細い石段参道を左に見ながらトンネルをくぐります。
▼トンネルを抜けると右手に「愛宕山エレベーター」があります。
これを利用すると楽ですが「出世の階段」をスルーする事になります。
▼「愛宕神社前」の交差点に出たら大通りを右折。右側の歩道に観音菩薩像。
▼観音菩薩像は、ここ「青松寺」のものでしょう。
▼通り沿いに見上げるような立派な山門が建っています。
四天王像が睨みを利かせています。
「青松寺」は1476年開創の歴史、由緒ある禅寺です。
明治には曹洞宗専門学本校が開校し、駒込吉祥寺の旃檀林と合併して駒澤大学へと発展していきます。
震災などで失った堂宇は再建され、どれも新しさを感じます。
▼中雀門をくぐって本堂前には仁王像が立ちます。
▼しかし、この立派な寺は昔から御朱印なし。
この看板は御朱印を求める訪問者が多いことを示しているのでしょう。
禅寺にしては珍しいのですが、中には御朱印なしの禅寺も時々ありますね。
▼ご近所の記事です。