ちなみに木曽七福神の七ヵ寺は、すべて臨済宗妙心寺派で統一されている。
「兜観音」とは、朱印の墨書きにあるように、木曽義仲が守本尊として兜の中に納めていた十一面観音の事だそうだ。
こちらの寺では2体とも書置きでした。
応対していただいた奥様らしき女性に時候の「ごアイサツ」。
「ここ、標高はどのくらいですか?」
「900m近くありますよ」
「でも涼しくない、アツイ!ですねぇ」
「そうですねぇ、今年はいつも使わない扇風機をフル回転です・・」
「あらっ、やはり毎夜ハラ出してお休みですか? 東京では皆 腹出しですよ!」
とんだ失礼な「ごアイサツ」。
笑われた、というか、返事に窮するわね!
大変な失礼をコイたのに、朱印2体の定価 500円だけお渡し。ゴメンナサイ!
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▼中山道六十九次。上2つは渓斎英泉画による奈良井と薮原。下は広重の宮ノ越。
奈良井は名産品の「お六櫛」の店舗を描いている。薮原は「鳥居峠」を。
それに比べ、広重の宮ノ越はどこを描いているのか、寂しい絵となっている。
逆光で木々は塗りつぶされている。 宵の口の満月の下を進む親子?4人。オンブされている子供は眠ってしまっているようだ。橋を渡っている川は、他に川はないから「木曽川」。
▼この日の宮ノ越の「木曽川」。この地を流れる川と、伊勢湾に注ぎ込む「木曽川」が同一とは考えにくいが一本でつながっている。
▼宮ノ越宿の旧道に入るため、国道19号を右折するとすぐにある「巴淵」。
▼木曽川の流れがトロっているだけで、何なのよっ?しかし深く青く、伝説の「淵」なのだ。この淵に棲む竜神が「巴」に化身して、木曽義仲を守り続けたという伝説が残ってます。へぇ〜〜!
▼その「巴」に会いに行ってみよう。木曽義仲はこの地で育ったそうで、徳音寺は源義仲一族の菩提寺。
▼「蛙塚」。無い塚は無いくらいに いろんな塚があるものだ。「青蛙 許せ むかしの 腹風船」なんとか読めた。
この句を詠んだ人は、幼い頃、麦わらを蛙のおシリに突っ込んで、腹に空気を入れちゃったのかしら? なんてヒドイ事を!
蛙は腹がフーセン状に膨らんでしまうと、水に逃がしても潜れなくなってしまう。
その後、膨らんだ空気は抜けるのかしら?
今さら心配になる わたしも経験あり「許せ!」青蛙。
▼ちょっと脱線したから急いで参道をすすむ。
▼この山門は・・・
▼・・だそうですが、ずっと眺めていられる趣のあるたたずまい。
この鐘楼門は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景の一つでもあるそうです。
▼本堂へたどり着く。
▼いらっしゃいました「巴淵」に棲む龍神の化身「巴」に「ごアイサツ」。義仲の愛妾「巴御前」。言うなれば「おめかけさん」だけど、なかなか勇ましい女だったのね?
文武両道、並の男では、とても敵わなかったそうよ。
妾という言葉を使ったけど、側室、側近が正解かしら?
もっとも平安時代も末期の武士の世界では、現在の結婚意識、男女意識やその関係とは相当かけ離れていたはず。当然その頃に「妾」という言葉さえ無かったかも。
▼「つらぬきいし」
巴淵を巴御前が馬で飛び越した際に、勢い余って馬の蹄が巌を貫いてしまったと伝説される石。
自分の身近にも久しく姿を目にしてない「伝説の女」たちがいたけどスケール違いね!
▼なんのお堂かと思ったら「義仲の霊廟」でした。
▼本堂に上がらせていただく。
本尊の「聖観世音菩薩」と「毘沙門天」に「ごアイサツ」。
▼欄間に音楽を奏でる菩薩たち。名称はなんと言ったかしら?
▼寺の門前に「義仲館」があります。有料だし、時間も無い。こう言うところは、いつものように入らない。
▼ここまでは無料だから、近寄って凛々しいお二人に「ごアイサツ」して、次に移動しましょう。