▼諏訪大社 下社秋宮の御朱印です。(長野県諏訪郡下諏訪町5828)
二体とも超達筆ですが、異なる筆運びに書き手さんそれぞれの書の個性がにじみ出ています。
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▼諏訪大社 下社秋宮は「下諏訪」に鎮座します。
上総・下総、上野・下野などの国は都に近い方が「上」の字を用います。
「上諏訪」「下諏訪」も同じ扱いなのでしょうか?
上諏訪の名は江戸時代の5番目に整備された街道、甲州街道の宿場名に現れます。
いずれにしても諏訪の「上・下」はよく理解できません。
そして諏訪大社の2社「上社」「下社」も「上・下」がよく理解できません。
社格を表すのでもなく、
上諏訪にあるから「上社」、下諏訪にあるから「下社」でもあるかもしれませんが、きっとそんな単純なものじゃないかもしれません。
wiki によると上社は上流、下社は下流に位置するとあります。
これは諏訪湖の水が天竜川に流れ、太平洋に注ぎ込まれる流れの上流・下流です。
「宝殿の天滴」と言われる「諏訪大社七不思議」の一つがあります。
上社で「晴天でも、宝殿の屋根から水滴が落ちる」という不思議です。
その天滴の一滴が上社近くの宮川に注がれ、諏訪湖から下流の天竜川へと流れるので、
上流の上社、下流の下社と説く話もあります。
と言うように水の流れの上下を、大社の2社の名に用いたとするのが正解かもしれません。
いずれにしても昔は大社などと呼ばれず、4つある「諏訪神社」だったのでしょうから、
後の世に便宜上付けた「上社」「下社」なのでしょう。
▼駐車場から境内に入る朱色の「長生橋」欄干に赤とんぼですが、彼女が狙ったかもしれない保護色にはなっていません。
期せずして「下社秋宮」だけ、2年と3ヶ月で再訪となりました。
2年前は例のごとく駆け足参拝。
同じ駐車場に車を止めましたが、そこから西側にあるこの小高い区域は、
前回足を踏み入れていませんので石段を登ります。
▼鳥居の扁額には「恵美須社」と書かれていますが・・・
▼社には「恵比寿社」と書かれています。文字は違えど「えびすさま」でしょう。
▼その先は「八幡社」。誉田さまが祀られているはずです。
「八幡社と「恵比寿社」は境外末社とされているようです。
▼その二つの社はこの鳥居で締めくくられています。
▼そして一歩下がれば、秋宮の表参道鳥居が位置します。
前回夏に訪れた時の鳥居を覆う青々とした木々は、黄色く色づいています。
ここから先は2年前の記事と同様写真ですが、やや黄色めいています。
▼大注連縄の神楽殿の前は2年前の夏より、コロナ禍の2020年の方が人が多い。
▼青銅製の大きな狛犬たちは、マスクもせずに変わらず凛々しく胸を張っています。
▼神楽殿奥の社殿も絶えない参拝者が手を合わせていました。
▼夏と違って、秋の午後の陽射しは陰影を作りやすいようです。
▼拝殿奥の建物にカメラを向けていると「この先は入れません」と注意されました。
規制線だと思われるラインから足は踏み入れてはいず、上半身を乗り出していたからでしょう。
▼御柱は、やはり一番素朴な境内の佇まいを見せていた「上社前宮」に立つ柱の印象が大きいかな!
上社の2社に比べ、下社の2社は境内も狭く「御柱」も目立たないようです。
なぜ上社・下社なのか?
なぜ春宮・秋宮なのか?
疑問にハッキリとした解答は得られませんでしたが、
▼御朱印をいただいて帰ります。
同行者がいたこの度は、いや、この旅は、
御射鹿池から乙女滝、長円寺から秋宮と動き、
この後は「美ヶ原温泉」の宿へ移動です。
宿記事は別の機会に・・・。