▼実相山 正覚寺の御首題です。(日蓮宗/東京都目黒区中目黒3-1-6)
上に押されている小さな朱印は何だろうと思いましたが、「ざくろ」でした。
鬼子母神の好物で、境内にも植えられており正覚寺の寺紋でもあるそうです。
その下の大きな丸い朱印は「史跡政岡之墓 開運子安 鬼子母神尊神 中目黒正覚寺」。
左下は「中目黒開運殿」。
日蓮宗の大きな寺で御首題をいただく場合、寺の印は「堂」や「殿」とされることが多いですが、ここは鬼子母神堂を指す「開運殿」でした。
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▼正覚寺へは中目黒駅からすぐ、「山手通り」と「駒沢通り」の交差点近くです。
▼山手通り沿いに「正覚寺」の扁額を掲げた山門。扉には地紋の「ざくろ」が・・。
▼駒沢通りに面するのは「御成門」。
▼題目塔の脇の木はおそらく「ざくろ」でしょう。
「ざくろ」は漢字では「柘榴、石榴」と書きますが、種が多いことから子孫繁栄の象徴ともされます。
安産・子育ての「鬼子母神」と「ざくろ」の関係を知ることができました。
ご首題と一緒にいただいた寺の由緒書き表紙には
「中目黒 鬼子母神 先代萩 政岡の局の寺」と書かれていました。
▼その「政岡の局 三沢初子」の像が建ちます。
正覚寺は伊達家と所縁が深く、三沢初子は伊達 四代藩主 綱村の生母です。
寺は三沢初子が開基となり、江戸時代はじめに創建されています。
御首題の朱印にもあるように、この像の他に墓もあるそうです。
伊達家三代目藩主綱宗の側室だった三沢初子は、
江戸時代に作られた歌舞伎・浄瑠璃作品で伊達騒動を題材にした「伽羅先代萩」の主要登場人物 政岡のモデルともされています。
幼い主君の乳母として仕え、わが子の命を犠牲にして幼君の謀殺を阻止するというストーリーだそうです。
▼布袋像があるのは「開運」といの関係でしょうか?
布袋は中国の実在の僧をモデルとしているそうです。
▼「瘡守稲荷神社」と「浄行殿」。
「瘡守(かさもり)」とは、疱瘡、天然痘から人々を守るという意味です。
疱瘡(天然痘)という伝染病が恐れられてた頃の建立でしょう。
国内では1955年以降は感染者がいないそうです。
▼日蓮宗では「浄行殿」や「浄行堂」が度々見かけられます。
日蓮宗では上行(じょうぎょう)、無辺行(むへんぎょう)、浄行(じょうぎょう)、安立行(あんりゅうぎょう)を四菩薩(あるいは四士)と言うそうです。
んん〜〜〜ん、難しい!
本堂内に大曼荼羅と一緒に祀られることが多いのですが、
▼ここではタワシでゴシゴシ! イタイのイタイの飛んでけ〜です。
▼改修されて間もない「鬼子母神堂」はこの寺のメイン建物と言っていいでしょう。
三沢初子が深く帰依されたという安産・子育の神様「開運子安鬼子母神」が祀られています。
▼向拝の軒下はスゴイことになっています。
▼どこが、どうなっているのか、複雑な龍の姿です。保護金網がかけれています。
▼「開運鬼子母神」が祀られ、御首題に朱印されてる「開運殿」はここです。
▼日蓮さんは青銅製? 青いと青銅しか思い浮かびません。
▼「祖師堂」には「国柱法窟」の額が掲げれています。
「窟」というのは他の寺院でもたまに見かけます。
屁理屈、貧民窟という歓迎されない「窟」もありますが、ここは「法窟」。
修行道場という意味があります。
▼本堂はおとなし目のつくりでした。
都心にも関わらず大きな伽藍が整い、気持ちの良い綺麗な寺院でした。
御首題対応も丁寧で、手慣れた感じでした。