▼新町御嶽神社の御朱印です。(東京都青梅市新町2-28-26)
「みたけ じんじゃ」と読みます。
通称で「しんまち みたけ じんじゃ」と呼ばれ、正式名称は単に「御嶽神社」です。
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▼地元の神社ですのでアクセスは少し不便。JR青梅線「小作駅」から徒歩20分。
現地では分かりませんが、
▼マップで確認すると神社境内の真下を地下道となって「圏央道」が通っています。
(▲写真は【東京都建設局】)
一番外側で東京をグルッと回る環状道路の「圏央道」は、まだ一部未開通箇所を残しています。
それにしても日本全国で高速道路に限らず一般道でも、常に新しい道路が建設されていることには驚かされます。
確かに新しく建設された道路で便利さを感じることはありますが、
そこには莫大な建設費=税金が使用されている事を思い起こされ、複雑な気持ちで新しい道路や橋、トンネルを通ることになります。
日本の建築業界の市場規模はバブル末期のピークからダウンしていますが、それでも世界的に見てまだまだ上位にランクされるでしょう。
▼「圏央道」がこの神社境内の下で「青梅トンネル」となっている事で、高速道路のために神社が遷座されずに済んでいます。
さて御嶽神社鎮座地の「新町」と言う地名は日本全国に数限りなくあるでしょう。
新川、新田、新橋、新道、新宿などと、新しくできたものは「新」が使用されてきましたが、時を経てそれらはいつまでも新しい訳ではないので、不思議な感覚に襲われることもあります。
当地が開拓され新田集落となったのは1616年だそうです。
新田開拓と同時に大和の「金峯山大権現」を勧請し、御嶽神社が創建されています。
「金峯」は「きんぷ」「きんぽう」などと読みますが「みたけ」とも読むそうです。
当社も明治以前は「蔵王権現社」「御嶽大権現」などと呼ばれていましたが、明治以降、現在の「御嶽神社」に改称されています。
同じく明治に入ってから当地が「新町村」と名付けられています。
現在は明治初期から150年近く経過している「新町」ということになります。
そして開拓されてからは400年。
日本の長い歴史から見れば、たかだか150年や400年くらいはわずかな期間で「新町」であってもおかしくないのでしょう。
石造の大きな「一の鳥居」、木造の「二の鳥居」を潜り、
▼「三の鳥居」も石造りです。
▼コンクリート製の社殿は1971年の建立です。
主祭神は「広國押武金日命(ひろくにおしたけかねひのみこと)」、「日本武命(やまとたけるのみこと)」。
「広國押武金日命」は第27代天皇「安閑天皇」の諡号だそうです。
そして「安閑天皇」は「蔵王権現」と同一の神格だそうで難解です。
▼社殿右となりに「新町天神社」と「新町水神社」が並びます。
▼天神社脇には多くの受験生たちの願いがかけられています。
▼「水神社」は地域住民の水、とくに井戸水に対し敬う心を表したものでしょう。
▼もう一つの境内社「塩竈神社」には専用の参道と鳥居が設けられていました。
こちらも明治に入ってから、仙台の「鹽竈神社」から分霊が祀られ建立されています。
社殿も立派で、境内社というより独立した神社のような佇まいの「鹽竈神社」です。
▼御神木は桜の大木。春には参拝者の目を楽しませてくれるそうです。
400年前の青梅がどんな様子だったのか?
まさにイメージされる武蔵野だったのか?
現在の新町の街並みや神社からは窺いことはできません。
しかし、当時の人たちの神を崇敬する心だけは伝わってくる御嶽神社でした。