桜木神社の御朱印
「さくらぎじんじゃ」主祭神:菅原道真(東京都文京区本郷4-3-1)
「桜木」は旧字の「櫻木」と表記されることもありますが、御朱印は「桜木」。
2014年の御朱印は「桜木神社」でしたが、
9年ぶりにいただいた2023年では「桜木天神」とされていました。
「櫻木神社」というと、有名な野田の神社を想定されるので
通称の「桜木天神」という表記が好ましいかもしれません。
▼桜木神社の御朱印です(2023年)。
「奉拝」の下のスタンプは「文京区本郷鎮座」。
▼桜木神社の御朱印です(2014年)。
傾斜地の少し低い位置に住まいにもなっているらしき社務所です。
▼御朱印は全部で8種類案内されていました。
もちろん2014年にこんな案内はなかったものの、女性の丁寧な対応を思い出しました。
▼社務所は曲り家になっていて、ガラス戸と障子の間に縁側が見え、カンペキ昭和。
▼丸窓も印象的。
丸窓は、もう無くなってしまった銀座の「中銀カプセルタワービル」を思い起こさせられます。
丸かったショーワ。現代のヘイセイ、レイワは直線とシカクなのでしょう。
▼地下鉄「本郷三丁目駅」から徒歩数分です。
▼2路線の地下鉄がありますが「大江戸線」の3番出口から出ると・・・
▼目の前は「春日通り」。反対側の歩道沿いに鳥居が見えます。
▼道路の反対側からでないと鳥居全体を撮らえられません。
▼鳥居前から「本郷三丁目」交差点方面。
▼逆方向の後楽園方面。
▼歩道からでは鳥居は見上げるよりほかありません。
▼社号標は旧字使用の「櫻木神社」。
▼可憐な紅梅が歩道側に顔を覗かせています。
▼「東風吹かば・・・」です。
▼鳥居は「明治」の建立。
▼鳥居から社殿までの短い参道。
▼すぐ右手に手水舎。
▼コロナ仕様で清められます。
▼手水舎の反対側に得体の知れぬ造作物。
▼覗いてみましたが半透明の囲い物ではっきりしませんが、ニワトリ? ウコッケイ?
▼どうやら烏骨鶏のようです。
一羽だけ静かに、寂しそうに、閉じ込められているように感じられました。
▼この写真は2014年撮影。
▼2014年には無かった狛犬は新しそうです。
▼とっても小振りな造りですが、吠え加減は相当なものです。
▼拝殿前の両脇にチョコンと居座る狛犬です。
イイ雰囲気の木造の社殿は、空襲で焼けた後の昭和に再建されています。
由緒によれば文明年間、太田道灌が江戸城を築城の際、城内に北野天神を勧請、創建したとされています。
文明年間は1469年~1487年。
その後、秀忠の時代に旧櫻の馬場の地へ遷座、1690年(元禄年間)に昌平坂学問所が設立されることになったため再び現在地へ遷座されたと伝わります。
諸説あるものの、その櫻の馬場に鎮座していたことから「櫻木神社」という名称になったとも言われます。
▼本殿後ろ姿です。
▼境内東側路地にも鳥居が建ちます。
▼その鳥居をくぐると正面に境内社の赤い鳥居があります。
▼「見送稲荷」というドラマチックな名称です。
かつては「見送り坂」の脇にあった稲荷が現在地に遷座されたとか。
googlemapで調べると、本郷通りに「見送り坂」と「見返り坂」が表示されました。
かつてはそこに「別れ橋」が架かり、
この「別れの橋」で江戸を追放された罪人が振り返りながら去ったのが「見返り坂」、反対側で親類縁者が涙で見送った「見送り坂」と言われています。
人々の別れの様々なドラマを見てきた稲荷社なのでしょう。
現在は罪人ではなく東大の受験人を見送る役目に変わっているかも知れません。
▼古そうな石灯籠が境内片隅に置かれています。
▼縁起略記が刻まれた石碑。
▼受験シーズンには鈴なりになることでしょう。
▼桜の木も見かけられましたが、訪問時は梅の開花時期。
▼神社境内を出て北西に直線距離400mほど散歩です。菊坂裏にあるのは・・・
▼「一葉の井戸」です。明治時代です。
「たけくらべ」の上梓など「奇跡の14ヶ月」を果たした樋口一葉はここに居を構えていました。
▼トンデモない3階建は今も残って「ICHIYO HOUSE」となっています。
赤貧の中、書くことで多忙な一葉は櫻木神社に詣でてる暇はなかったかも知れません。
明治から昭和の希少な香りが残る桜木神社裏の本郷「菊坂」界隈です。
すべて個人の住宅街ですので静かに、静かに散策です。
▼昭和の素晴らしい建築物。お住いのようなので、これ以上近づきません。
▼かつては裕福な家の門前にしか無かった蓋つきのこんな箱も・・。
文明年間創建の桜木神社から、江戸、明治、昭和が感じられる本郷訪問でした。