右上の朱印「仙道第二番」は「仙道三十三観音札所」と言われ、現在は活動していない観音霊場のようです。
それにしても全国には一体いくつの観音霊場があるのでしょう?
それだけかつての人々は観音に対する信仰が厚かったという事でしょうか?
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▼郡山の中心部の街中に広い境内を持つ寺です。
寺域は城塞の如く塀で囲われています。
しかし、その塀の周りを丁寧に進めば寺の駐車場が見つかります。
大都市や観光都市以外の地方都市に車で訪問するときに感じることは、寺社に関わらず広い駐車場を見つけるのに楽なことです。
駅前の繁華街以外は無料の駐車場も見つけられることが多く、東京・横浜ではなかなか有りえない羨ましい駐車事情です。
▼車を駐めたら、美しい庭がある山門側に回ってみます。
▼左にもう一つ門が並んでいて、こちらは仁王門。正面は観音堂です。
如寳寺は千年以上の歴史を持つ古刹で「807年に馬頭観音の尊像を郷土住民の守護仏として、現在地に観音堂を建立した」のが始まりだそうです。
ですが、古刹の雰囲気を持っている建物は見つかりません。
戦火などにより失ったほとんどの伽藍は明治以降に再建されたようです。
▼大本堂も明治25年の再建です。
寺のHPに「地方で類をみない本格的密教寺院の構造を備えた総欅造りの建物です」と紹介されています。どっしりと風格は感じられますが、本格的密教寺院の構造は、どこがそうなのか? 観て取れません。
▼横一直線にお堂が並んでいる寺では「久遠寺」を思い出しました。あの恐ろしい「菩提梯」をやっとの思いで登り切った先の境内に広がる伽藍は、やはり横一直線だったように記憶しています。
連想は久遠寺でしたが、宗派もスケールも違うので全く記憶違いかもしれません。
▼奥から書院、大本堂、光明堂、そして観音堂へと続きますが、京都の寺のようにゴミ一つなく綺麗に整えれれています。
境内の堂宇は比較的新しいものばかりですが、寺が保有する文化財は歴史の塊です。
▼重要美術品とされている「いぼなし鐘」もその一つ。鐘上部には普通イボイボの突起になっていますが、この鐘は珍しく真言の五文字が浮き上がっています。
小振り案鐘ですが、造られた寛永4年当時は「鐘の補強上からも鐘声上からも至難な技術を要した」そうです。
▼「ハイ、参拝ごくろうさまでした! 合掌」。マルコメさんに見送られました。