天龍山 法善寺の御朱印
「ほうぜんじ」浄土宗(大阪市中央区難波1-2-16)
▼法善寺の御朱印です。
スタンダードな一体を直書きいただきました。
左下の寺の印は「千日前 天龍山 法善寺」。
▼法善寺でも限定御朱印アリでオドロキ! シールはお土産に最適かもしれません。
▼ミナミ、ナンバ、ドウトンボリ、センニチマエ、その区別のつかないイナカ者ですが「法善寺」は、そのほぼドマン中という事くらいは分かります。
1日目の御朱印巡りを終えた頃、雨も止んだ夕方、宿泊地に戻ってきました。
▼法善寺の御朱印は翌朝いただくことにして、周辺を歩いてみみます。
▼その名称を誰もが知っている「法善寺横丁」。
横丁の西側入口の「法善寺横丁」のカンバンは「寛美」の署名が右隅に読めます。
藤山寛美は既に亡くなってしまっている喜劇役者。
東側の入口の看板は「桂春団治」の書によるそうです。
▼横丁の片隅に「藤島桓夫」がヒットさせた「月の法善寺横丁」の歌碑。
歌碑の小さい文字はセリフ。
こいさんは『長い事 水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ』なのです。
幼い頃、いろんな場面での「こいさん」を「恋さん」と勘違いしていました。
最も関西らしい言葉で、他家の娘さんの呼称です。
さらに横丁の名を有名にしたのは「織田作之助」の小説「夫婦善哉」。
小説は数々出版され、映画、ドラマも数多く、直近のTVドラマは2013年に放映されています。
しかし、ここまで上げた人物はすべて亡くなっています。
み〜んな、み〜んな古い話ですが、横丁の人気は変わらず生きています。
元は境内だったので「法善寺裏」とか「法善寺露地」とも呼ばれていたそうです。
▼ここは横丁から少し外れています。
▼法善寺の西側にある境内入口。この先の境内界隈も横丁と言っていいのでしょう。
▼「夫婦善哉」の名が小説に使われた「ぜんざい店」が現存しているのが門の奥の境内に見えます。
有名な「水掛不動」のことでしょう。
▼境内側から見た入口。
▼その「水掛不動」で有名な法善寺は、はっきりとしたお堂が見当たりません。
お堂はあるのですが四方、三方がオープンで、柱と屋根だけというイメージのお堂に不動尊や金比羅などの諸仏が祀られているのです。
寺の創建年は江戸時代初期の寛永年間。
やはり大阪大空襲ですべて焼失され不動明王像だけが残ったそうです。
不動像は水をかけられ苔に覆われて原型をとどめていません。
苔は定期的に落とされるのでしょう。
でないと単なる苔のカタマリになってしまいます。
苔に覆われていても不動像の形を確認できないと有難味も薄れてしまうでしょう。
▼ところで、この地域は「千日前」とも呼ばれています。
いただいた御朱印の寺名も「千日前」の文字が使われていました。
では「千日」はどこにあるのかと思いましたが、
かつて法善寺で千日念仏を行ったことから寺は千日寺と呼ばれ、「千日前」の地名はそ門前に由来するそうで納得しました。
▼御朱印にも記されていた「金比羅天王」。かつてのナンバは大阪湾の港町だから交通安全を祈願したそうです。
▼授与所脇の「お初大神」はおイナリさん。曽根崎の「お初天神」と間違えそうです。
大阪に下阪し、嵐の初日は終了。
▼道頓堀川沿いに歩き、ホテルにチェックイン。
▼ホテルの部屋は一人なのにWベッドで、どうするの?
▼ホテル1Fが、あの「コメダ珈琲」。
▼ホテルの朝食はeco人間にはボリューミー!
バカにしていた名古屋の「コメダ」。
さすがコーヒーだけは抜群に美味しくブラックでがぶ飲み、ドッグもポテトもゼリーも平らげた!
▼さて、くちたハラ抱え「法善寺」の御朱印を求め昨晩の街に出ます。
もっぱら朝はゆっくり派なのでホテルを出たのは10時頃。
▼なのに道頓堀は行列のアラシ。
前日は雨の嵐でしたが、明けて晴天のミナミは行列の嵐!
日本全国「たこ焼き」は珍しくありません。
そして、道頓堀のたこ焼きが特別ウマイわけでもないのに皆んな並ぶ並ぶ!
まぁ、大阪に来てたこ焼き、串カツを食べないのは非国民なのでしょう。
もちろん本ブログも、ここまで並ばない店でいただきました。
▼午前中の法善寺は、まだ眠っているように感じます。
▼なぜか、法善寺は夕方から夜の時間のほうが「法善寺らしい」のですが・・・
▼朝の光の中で、昨晩の夕暮れでは見つけられなかった諸仏に挨拶し・・・
▼目覚めの横丁も歩いてみます。
▼朝の横丁ですが、夜とは違う風情を出しています。
▼「浮世小路」は灯りがついたままで、まだ稼動前、眠っています。
夕暮れとは違う姿を見せる朝の法善寺界隈を徘徊しながら、ミナミの街中を東に向かいます。