山号「星住山」の読みは「せいじゅうざん」。
音読みなのでロマンもなく、何のことか分かりません。
しかし文字を見れば誰しも「星住む山」と解釈するはずで、
イメージを掻き立てられる山号です。
同じ星の文字を使用している「星宿山」という山号を思い出しました。
そちらも音読みでしたが・・・。
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▼善養寺の裏は江戸川、その向こうは千葉県です。東京の崖っぷちにある寺です。
しかし寺に隣接して、大きな「江戸川病院」があるおかげで、JR「小岩駅」からのバスの利便性は悪くはないようです。
寺の前の道は白衣の男女が行き交っています。
▼雨の日の再訪でしたが、湿っぽいこんな日は御朱印は遠慮します。
以下の写真、2020年、雨の日の再訪がほとんどですが、御朱印をいただいた2017年の写真も混在しています。
▼境内に足をふみいれるとすぐ右手にあるお堂。中に仏像があるものの暗くて分かりません。
▼正面は「不動門」。
▼その手前に石碑と供養塔がいくつか並んでます。
一番右の小さなものは1795年の建立で「天明三年浅間山噴火横死者供養碑」と説明されていました。
1783年の浅間山大噴火で犠牲者となった遺体が利根川や江戸川に流れ、
この付近にも流れ着いたそうです。
当時の地元の小岩村の人々が遺体を収容し手厚く埋葬。
13回忌にこの供養碑を建てたそうです。
▼供養碑の手前に線香を置く小さな香炉は、カワイイ家の形になっています。
▼こちらは「浅間山焼け供養碑和讃」と彫られています。
▼一番上の文字は「報恩記念碑」でしょうか?
この地域では江戸時代から大正期まで和傘作りが盛んだったそうです。
特に高級品の蛇の目傘は高く評価されたそうです。
その業界の貢献者の恩に報いる石碑です。
▼「不動門」を潜ると境内です。
▼寺で一番立派な建物は「影向殿」。寺務所など様々な用途に使われているようです。
御朱印はこの高級老舗旅館のような「影向殿」でいただけます。
浅草の浅草寺にも「影向堂」と呼ばれる建物や、川崎に「影向寺」などがあります。
ちなみに、この「影向(ようごう)」とは「神仏が一時姿を現すこと」だそうです。
▼10月訪問の境内は「影向菊花大会」という菊まつりの準備で少し雑然としています。
▼「密厳寶塔」と扁額が掲げられていますが、何のことか分かりません。
▼「本堂」は1845年の再建。
寺の起こりは1527年と伝わりますが、文献によればもっと前に開山されていたのではと解釈されるそうです。
▼おびんずるさまは、江戸時代から「善養寺のなでぼとけ」として親しまれているそうです。
「南無やくし 志よびようなかれと願つつ まい来る人は おおくぼの寺」でしょうか?
wiki の大窪寺紹介では「南無薬師 諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺」となっています。
▼不動堂前の手水舎。
▼通称の「小岩不動尊」ですが、内部の不動明王像はガラスが光って見えません。
とってもいい形のお堂ですが、松の枝が伸びていて全体像が見られません。
▼そしてこの寺を有名にした「影向の松」。松の枝が境内いっぱいを覆い尽くすように伸びています。
まるで藤棚のように枝を広げている松棚です。
▼すべて樹齢600年と言われる、この1本の松のなせる姿です。
天然記念物に驚かされることは少ないのですが、この松はさすが目を見張らされます。
伸ばした枝の繁茂面積は「日本一」だそうです。
かつては香川県さぬき市の寺と「日本一」を競い合ったそうですが、
双方譲らぬ長い争いの果て「どちらも日本一につき、双方引き分け」と、大相撲立行司の木村庄之助が仲裁したそうです。
子供のケンカのように「日本一」を競って大騒動だったようです。
「ワレこそは日本一」と名乗るのはよくある話です。
その後、香川の「日本一」は枯れ死して、
小岩不動の「影向の松」が名実ともに唯一の「日本一」となったそうです。
しかし「影向の松」も1970年頃から樹勢が衰え、一時は瀕死の状態だったそうですが、
長い時間をかけて土を入れ替え、水はけのための地下水路も作られ、ようやく樹勢も回復したそうです。
「影向」の力による蘇りと、人々の努力による延命治療のおかげで「日本一」を維持できているということです。
▼「横綱山」と名付けられた高台から見た「影向殿」は、やはり旅館のような姿。
▼境内南側にある「仁王門」は1740年頃の建築。
▼仁王門の脇に「太子堂」。
▼「新四国遍路道」の案内があります。
▼古い石仏と石の祠にサンドされた一直線の遍路道です。
「影向の松」も見ごたえありますが、この新四国もとっても雰囲気のある遍路道です。
このほか小岩不動尊(善養寺)にまつわる言い伝えや、話題はたくさんあります。
また、見所は他にもあり飽きさせられない寺でした。