土曜日の浅草に行ってしまった。
行ったと言うか、チョット覗いてみた。
何年か前も1、2度覗いた事がある。参加チームも通りを埋める観客も歓喜が噴出していた。
狂気にも近い
その時は、そう感じた。
会場となるメインストリートの雷門前の通りは、カーニバルのスタート1時間以上前から車道の隅が人で埋め尽くされ、歩道側から車道側へは絶対に割り込めない。
それは今も変わらないかも。
しかし、信じられない数字の36回目。36年も続いているのだ。すっかり浅草の風物詩となっている。
狂気をコントロールするスキルは完璧だ。参加者、観客とも慣れたものだ。
スピーカーから解放される大音響のサンバのリズムにもかかわらず、雷門の前の通りを向こうからやって来るパフォーマンスを待つ群衆は、見事に整理されている。
ちょっと覗きに来たものが、歩道から写真を撮ろうとすると、殆ど人の頭か、人が掲げるスマホしか写らない。
しかし、よく見ると出演のサンバチームの数も増え、演出も回数を重ねるごとに洗練されて来た事に気づかされる。
いずれにしてもカーニバルだが、誰も謝肉祭なんて思ってやしない。
言葉通りのお祭り騒ぎをする催しでいいが、そこは国民性と文化で、ある程度に抑制されている。
カーニバルだからと言って、限定御朱印などない浅草神社。
カーニバルに人を持っていかれたのか、普段の土曜より人の数が少なく、神社らしい落ち着きを表していた。
神社に謝肉祭は関係ないからね。
せっかくだから御朱印をいただいてきた。初穂料が500円になってからいただいたのは初だ。
印は変わってないが、日付がスタンプになっている。東京中、最も賑わう場所柄やむを得ないが、やはり少し寂しい。
今年も狂気のような暑さが続いた日もあったが、昨日は少し過ごしやすかった。
残り少なくなった夏を惜しむように昨日、一昨日の土日は東京中のあちらこちらで夏祭の総決算だった。
サンバのリズム、神輿や、阿波踊りのやっとさーの掛け声も全て消えた。
若者たちの嬌声とコーラの匂いも消える。
暑い、暑いと口にしていた毎日が遠ざかっていくと、御朱印の日付がスタンプだったのと同じように、味気なく少し寂しくなる。
掲載御朱印も浅草神社だけじゃ寂しいから、過去にいただいた浅草ご近所の御朱印を併載。
▼下谷神社の御朱印と御朱印帳。(東京都台東区東上野3-29-8)