「秩父路は、すべて山の中である」
どこかで聞いたような言葉です。
木曽の山の奥深さとは比ぶべくもないのですが、秩父もやはり、すべて山の中です。
google mapを航空写真に切り替えれば、秩父がすべて山の中であることが理解できます。
木曽と違うのは、交通網の違い?。
木曽は周囲に大きな街が無く、メインの道路が別に出来て、鉄道も通らない。街も大きく移り変わることなく妻籠、馬籠がそのまま残ったと思います。
秩父は周囲の大きな街に距離的には近い。国道と鉄道とも結ばれているから秩父の街も変化・発展していきました。
しかし、やはり山中です。20世紀末に山梨県との県境の雁坂トンネルが出来るまでは、ドンヅマリでした。
雁坂峠を超える登山道が、なんと! 国道に指定されていた。
そんな環境が幸いしたのと、四方を山に囲まれていることから、東京近郊で最も自然豊かなのでしょうか。
今年も秋が深まれば確実に秩父の自然は真っ赤に染まる。
東京と接している千葉・埼玉・神奈川の中でも自然を一番多く残しているのが秩父のように思います。
千葉県は標高の高い山が無い。一番高くても500mも無い。同じ豊かさを持った自然でも複雑さと厚みが少ない。
神奈川は東海道という大動脈のせいで、開発が進んだ。残っている主な自然は丹沢周辺と完璧に観光化された箱根周辺くらいか?
関越自動車道から秩父へ向かう道は、一年を通して観光客で混雑する長瀞を通らずにショートカットできる有料道路ができました。
山梨県側からもトンネルができ、最短で秩父に入れるようになっています。
観光客は当たり前ですが、地元の人々にも便利になったことは間違いない。
しかし、秩父の人口は年々、1,000人ずつ減っています。
5年後には6万人を割ってしまう予想があります。東京ドーム1杯分の収容人数と大して変わらなくなってしまいます。
人口減は秩父に限ったことではないにしても、秩父三十四札所は檀家寺としても機能している寺がほとんどの筈だから、心細いばかりだろうね。
いったい、秩父三十四札所を巡る人の数は年間でどの程度あるのでしょう?
ググってみても、なかなか出てきません。
一つだけ見つけましたが10年以上前のデータで、平均、年間3約万人弱、だが開帳の年は一気に数倍に跳ね上がるそうです。
現在の巡礼者数データは見つかりませんが、代わりに秩父周辺の年間観光客数を調べて見ると、2011年から2015年の5年間で百万人以上増えて、約9百30万人。
この観光客数の一気な増え方は、御朱印ブームの巡礼者も相当貢献しているものと予想できます。
年間3万人弱だった10年以上前の巡礼者数は現在では、おそらく倍増しているのではないでしょうか?
檀家数は減る一方ですが、巡礼者数は増えた。
御朱印代300円として巡礼者数が年間3万人だと、9,000,000円。ブームで倍増して6万人だと18,000,000円。
この数字にするには、365日、毎日200近くの御朱印を書かなければならない。手が何らかの障害を持つ事になるわね。
ゲスの勘ぐりだ! 寺の金勘定をしても始まらないわ。
しかし、檀家数は減っても巡礼者数を維持できれば、寺も維持できる?
無理じゃない?!
御朱印ブームの巡礼者は1度巡ったら、2度目、3度目巡礼することは滅多にない。
無住も含めて日本中の寺社は16万以上もあります。たとえ常駐者がいる寺社が1、2割としても1万、2万の寺社が集印者を待っています。新たな御朱印を求めるため、新たな寺社を巡ることに力が入り、集印済みの寺社を再び巡っている余裕など皆無なのでしょう。
ブームがブームでなくなり、常態化すれば ある程度の数字は確保できるのか?
そんなつまらない事を思わなくとも、西暦1234年に開創された秩父札所は、800年も維持され続いてきました。
どんなに街が変わり、人が変わり、暮らしが変わっても、札所は、我関せず、時代とともに変化しながら、あり続けるかも?!
10年後、50年後、100年後の札所のあり様を、誰か予想してくれぇ!
貧弱な見識と想像力では、小さな脳にターボチャージしても、答えは
「すべて山の中」「すべて闇の中」迷宮です!
秩父7番から12番は街中を離れ、のんびりした田園風景の中を行きます。丘陵の寺、山を背後に抱えた寺、その姿は様々で楽しい。
草木が芽吹く春が一番巡礼者が多い。その草木、花たちが、しばし休みに入る秋も、春に次いで巡礼者の多くなる季節です。
狂喜の夏が終わる。「小さい秋」でも「大きい秋」でも、自分だけの秋を、秩父で見つけてくれぃ!
秩父は間違いなく、いつでも、誰でも「待っていてくれる」ヨ!
▲12番 仏道山 野坂寺・臨済宗南禅寺派・埼玉県秩父市野坂町