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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

下谷七福神の御朱印【番外】 〜ヨロヨロ寄道、ニギニギしさに スコスコ撤退

下谷七福神コースは寄り道したらキリがないほど、御朱印をいただける寺社と交差している。

そのうちのいくつかに立ち寄ってみた。

▼まずは「鷲神社」。

神社入口は年中賑やかになったように思う。

以前は普段の日はもう少し簡素な佇まいだったように覚えている。

それとも正月を過ぎれば、また簡素なスタイルに戻るのだろうか?

 

▼そうであるとしても正月7日は、まだこの賑やかさ。

▼参拝するのに少しガマンの行列に身を任すことになる。

▼入口から並んでいると手水舎で清めるタイミングを逃すかもしれない。

きちんと柄杓が置かれていてコロナ前に戻っている。

 

▼今回は「鷲神社」が目的ではないので、並ばずに傍から主祭神天日鷲神あめのひわしのかみ)にご挨拶だけ。

社務所では3種類の御朱印と「撮影禁止」の案内が出されていた。

授与所全体が撮禁なのか、授与所内部、御朱印書き手さんなのか判断はつかない。

どちらにしても撮影するだけなら問題ないはずだが、

撮影対象を誹謗中傷、ネガティブな発信のネタにする人たちへの警鐘かもしれない。

 

▼授与所となる「楽殿」へ続くハデな「瑞鷲渡殿」をくぐり振り返る。

この神社イチバンの派手さを見せる建物は誰しもカメラに収めておきたくなるようだ。

 

▼隣接する「長國寺」も酉の市や御朱印人気で名が知れるようになったようだが、この日に参拝者の姿は見あたらなかった。

 

やはり「正月は神社へ」という一般的な人々の心の表れが、寺院には足を向かわせないのかもしれない。

もしくは「ついで」になるのだろう。

 

▼参拝者でごった返す酉の市や、アジサイ祭の時に訪問する機会が多いと境内に気を捉われているヒマはなく、見逃したり、気づかないことばかりになる。

この「妙見堂」も数年前から建っているはず。

だが、じっくりと対面するのは初になる。

イベント時は屋台やテントなどに邪魔され見えないことが多い。

三十番神」なるものは初耳だが、由緒を読み分かったような、分からないような!

法華経守護神の30体が祀られていることは理解できた。

鷲神社を出て「国際通り」を少し南へ。

▼吉原と入谷を結ぶ「金美館通り」は、かつての映画館チェーン「金美館」の名称で、この通りにも映画館があったのだが平成3年に最後の「金美館」として閉館している。

映画館の名称とは言え「金美館」という音の耳への響きは昭和を感じさせる。

「館」という文字がそうさせるのか、銀座の「博品館通り」などもその名称に懐かしさを覚える。

▼その「金美館通り」を西に進み「昭和通り」を横断すると「小野照崎神社」が右手に見える。

▼境内の西に建つこちらの鳥居が元々の参道だろう。左の鳥居は「稲荷神社」。

鳥居前に神橋が架かり、何やらゴチャゴチャしているが最も「小野照崎神社」らしいステキな景色と感じる。

この神社は境内は広くはないが、富士塚や庚申塚など見どころが多い。

稲荷神社」と「織姫神社」は同じ社。

▼足利の「織姫神社」と関係があるかないかは分からない。

▼本殿への挨拶は行列の傍からでしたが、こちらは正面からご挨拶。

▼思いっきりお尻を上げて挑発している! あるいは伏せている?

▼境内では賑やかなイベントが催されていた。

▼正月7日だが、ここも祭神 小野篁に挨拶する本殿参拝には時間を要する。

▼参拝者は並びながら退屈だからイベントの様子を見つめる。

イベント内容はプロのイラストレーターと一緒に絵馬を描くようだ。

楽しそうな絵馬が期待できそうだ。

▼授与所も並んでいる。こちらもパス。

このほかにも下谷七福神沿線には吉原神社、千束稲荷神社、三島神社など寄り道していたら七福神を巡りきれなくなってしまうかもしれない。

江戸から明治〜昭和、そして現在に至る東京の下町の歴史を残す興味深い界隈。

 

また少し新たな発見があった二度目の下谷七福神めぐりだった。

 

 

 

下谷七福神の御朱印【7】 〜元三島神社 七福神ゴールはラブホ街を抜けろ

三島神社御朱印

もとみしま じんじゃ主祭神大山祇命(東京都台東区根岸1-7-11)

 

 

三島神社 下谷七福神 寿老神御朱印(2024年)

三島神社 下谷七福神 寿老神御朱印(2013年)

三島神社御朱印(2017年)

御朱印は石段を上がった先の狭い境内左手の社務所でいただいた。

駅近の神社ということでもあり七福神巡り以外の参拝者も多く、今回、1月7日の下谷七福神巡り中、この神社が一番のニギワイだったように思う。

 

初詣で有名な寺院もあるものの、やはり「初詣=神社」というのが一般的通念だろうから、1月中の神社の賑わいはどこも同じかもしれない。

 

無住の小さな神社でも同様かもしれず、それと比較すると寺院に詣でる人は少ない。

 

神に手を打つか、仏に手を合わせるか、その場所と形は違えど祈る気持ち、願う気持ちは同じなのだろうが・・。

 

▼元三島神社はJR「鶯谷」北口からスグ。

鶯谷」は、その文字を読めても正確に書ける人は少ないかもしれない。

さらに山手線で降りた経験、利用したことのない駅のランキング上位にある。

もっとも山手線の内回り、反時計回りで上野から池袋間の駅名を正確に言い並べられる人は少ないはず。

 

▼そんな名誉ある鶯谷駅の北口。山手線の駅とも思えぬ眺め。

三島神社に直接訪問する場合は、この北口を利用すれば、もう神社は目の前。

しかし今回は下谷七福神を三ノ輪方面から巡っているからこの駅は利用しない。

 

直前に参拝した入谷鬼子母神から寺院前の道を北へ向かう。

▼「鶯谷駅下」の交差点を左に見ながら言問通りを進む。

坂上の先が鶯谷駅南口になり上野の山、高台へと続く。

その高台から見て、ここは下の谷「下谷」なのだが、本来の下谷上野広小路あたりだったらしい。

いずれにしても江戸時代以前は広大な沼沢地だったのだろう。

 

言問通りが高架になり、尾久橋通りと別れる交差点というややこしく、高架の圧迫感があるせせこましい場所に社号標が建つ。

▼社号表の右の細い路地が参道となるわけだが、路地の先はホテル街。

ラブホ街ではあるが、鶯谷駅北口に続く道でもあるので人々が多く行き交う。

▼神社入口前の細い通りもラブホが林立。

東京でこれほど多くのラブホに攻められている神社は他に知らない。

ラブホ街近くに鎮座と言えば新宿の花園神社、湯島の妻恋神社などが思い浮かぶが、ここほどではない。

 

▼一の鳥居の先の狛犬は、子獅子が今にも落ちそうにしがみついている。

▼手水舎は簡素で好感。竹筒の先から水がチョチョロのスタイルが定着。

▼手水舎を正面から撮ろうとしたらステキな欧米の女性とバッティング。

「ソリー!」の言葉と笑顔ですれ違う。

ヨーロッパ人らしい女性二人だったが、それにしてもこの神社に参拝ですか?

ガイドブックに何か特別なご利益などが紹介されているかもしれない。

 

当社は鎌倉時代の弘安年間の創建。

今治市大三島にある大山祇神社から大山祇命が勧請されているが、その神社は江戸時代に下谷金杉村へ移転が命じられ、さらに浅草寿へ移転させられている。

後にそれぞれの跡地に「三島神社」「三島神社」として創建されている。

浅草の神社は「本社三島神社」「寿三島神社」などと呼ばれている。

 

ということで台東区には三島神社が3社鎮座することになる。

 

玉垣に刻まれた「笹乃雪」は創業300年以上の豆腐料理の老舗。

七福神の「寿老神」は社殿内なのか確認できないが、主祭神とともにあいさつ。

と思ったが、この記事を書いているときの写真整理で「寿老神」の居場所がわかった。

▼この写真の右下。かすかに寿老神の文字と姿が見つかった。

次回はこの位置を意識して参拝しよう。

 

▼社殿の位置は高台にあり、上野山からの高台の延長線上先端になるのかも。

▼帰り道は鶯谷駅の北口と南口を結ぶ線路沿いを歩く。

何ともそそられる呑み屋が続く。しかし七福神スタート地点の吉原に車を駐車させている。立ち寄るわけには行かない。

▼もう一度ラブホ街に入り込むと公園の一画に喫煙スポット。

車だからアルコールは飲めないがケムリは吸える。

スモーキングブギして下谷七福神終了!

 

 

wave2017.hatenablog.com

 

下谷七福神の御朱印【6】 〜真源寺 オソレ入谷 ビックリ下谷の鬼子母神!

立山 真源寺入谷鬼子母神御朱印

しんげんじいりやきしもじん)」法華宗(東京都台東区下谷1-12-16)

 

真源寺は法華宗ですが御首題をいただくことは、なかなか難しい寺です。

同じ七福神内で同じ法華宗法昌寺では、快くいただくことができたが、

真源寺では過去に数回「おそれ入りやすが・・」と訪ねるたびに断られている。

ネットでも御首題を見かけることはないから昔から授与されていないようだ。

 

真源寺 下谷七福神 福禄寿御朱印(2024年)

 

真源寺 下谷七福神 福禄寿御朱印(2013年)

 

真源寺 入谷鬼子母神御朱印(2017年)

その手は桑名の焼き蛤」などと同様、江戸時代のしゃれ言葉「おそれ入谷の鬼子母神」が文字になっていると妙な心持ちがする。

巾着のように見えるその姿は「ザクロ」の形をしている。

ザクロは法華経の守護神とされ法華宗日蓮宗で大切にされているそうだ。

 

真源寺 入谷鬼子母神御朱印(2012年)

御朱印は境内左手奥の授与窓口でいただいた。




▼真源寺は入谷交差点から西へすぐの場所に建つ。

 

▼ひとつ前の札所 英信寺を出ると、そこは看板建築の古い建物が見える「金杉通り」。

この通りは、もっと古い建築物があったが、マンションなどに姿を変え、今は消えた。

写真の看板建築も風前の灯のようだ。

▼「呉竹の根岸の里」はあまりにも遠い時間の彼方に・・。

 

下谷七福神を歩き始めて、まだ1時間も経過していない。

だが、井之頭五郎のごとく「腹が、減った!

七福神6ヶ所目の鬼子母神前を通り過ぎ、入谷交差点方面へラーメン屋を探す。

入谷交差点近くには3件ほどのラーメン店がある。googleの評価はどの店も良好。

そのうちの1軒は2度ほど経験している。

▼今回は交差点に一番近い「天内」の店内に入る。

店名の読みは「アマナイ」だそうだ。メンドーな名称だ。

近頃は店名も「ラーメン」というカタカナから「中華そば」という古風な表現が多くみられるようになった。

けっして「中華」ではないだろうし、名称によって内容が区分けられる訳ではない。

イメージだろう。

▼シンプルな「魚介醤油ラーメン」800円をオーダー。

いつの間にか800円とい値段で食べられるのはアリガタイという気持ちにさせられる昨今のラーメン事情。

インバウンドを見込んで3000円、5500円のラーメンも売るというから、日本のラーメンもゴーマンになったもだとビックリ!

ハイッ、800円のラーメンで大満足!

 

▼腹も朽ちくなったから鬼子母神に戻る。

▼1659年に開山された真源寺だが歴史を感じさせられる建物はなく、普段は閑散としている。

下谷地区の大部分は空襲で焼かれている。真源寺の建物もその後の再建から、さらに新しくなっているようだ。

 

七福神開催最終日も、それほどの人出ではない。

数回訪れてはいるもののオープンなイメージを感じさせない寺だ。

やはりこの寺の顔は、初夏に開催される「朝顔」なのだろう。

彫り物の龍も、ビックリ眼の獅子も、まだ若造かもしれない。

これから先の30年、50年でその姿の味を増すのだろう。

▼境内に入ってすぐ右に「福禄寿」が祀られているお堂がある。

ここも普段は扉が閉まっている。

▼ほぼ二頭身のユニークな姿はビックリするほどではない福禄寿にあいさつ

「ずいぶん久しぶりです!」。じっくりご対面は11年ぶりかもしれません。

七福神巡り6ヶ所目、ラス前の福禄寿にお参りしたら、

三島神社を目指しラスト1マイルもない、0.3マイルを歩く。

 

 

 

 

下谷七福神の御朱印【5】 〜英信寺 空海作と伝わる「三面大黒天」に開運を願え!

紫雲山 英信寺御朱印

えいしんじ」浄土宗(東京都台東区下谷2-5-14)

 

大黒天」の墨書きは同一筆跡。おそらく書き手さんは11年前と同じ!?

 

英信寺 下谷七福神 大黒天御朱印(2024年)

英信寺 本尊の御朱印(2024年)

山号の「紫雲」は、臨終にあたって阿彌陀仏が来迎される時に乗ってくる紫色の雲と言われる。紫はめでたく、高貴な色。

 

英信寺 下谷七福神 大黒天御朱印(2013年)

坂本」は旧町名の「下谷坂本町」。こんな町名が残っていれば「下谷」という地域の記憶も確かなものになったかもしれない。

 

御朱印は境内左手の授与所でいただいた。

▼一緒に「大黒天開運鈴」も手渡された。「りん Rinn リン!」

写真はないが授与所の前の木々の間に、柑橘系フルーツがいくつか針金でぶら下げられていた。

??と思い、聞いてみると野鳥がやってきて啄むとか。

どんな鳥かは聞きそこなったが、寺側の人柄が垣間見える。

果物で鳥たちが集まってくるとしたら、寺の風景らしい。

 

公園などの鳩にエサを与える人がいる。

ほとんどは年配者。それもなぜか男性が多い。

そして、ほとんどは近くに「鳩に餌を与えないでください」という注意書きがある。

都会では平和のシンボルも、いつしかからか害鳥に近い扱い。

勝手な人間に不利益な鳥たちは害鳥扱いにされるのだろう。

 

英信寺にもし鳩が現れて果物を啄んでも追い払われないかもしれない?

カラスだったら咥えて持ち去るだろう。

ムクドリ、鳩、カラスなどは嫌われ、野鳥たちの運命も人間の時代に左右される?

 

英信寺は、前回記事の法昌寺からすぐの隣にあたる。

▼しかしこの界隈は工事中が多い。

▼趣ある参道の先の山門も、もしかしたらマンションの中に埋もれてしまう運命かも。

大きな本堂ではないが、流れるような存在感ある瓦屋根が印象的だ。

東京の小さな寺院はコンクリート製に再建されることが多い中、被さるような瓦屋根を持つお堂はそんなに多くはない。

 

▼山門も瓦葺き。下谷七福神のなかで一番の雰囲気を持った寺院かもしれない。

英信寺は1631年、深川の霊巌寺を創建したことでも知られる雄誉霊巌によって開山されている。当然、当時の姿は小さな庵で「紫雲庵」と呼ばれていたそうだ。

▼本堂の屋根が賑やかだ。「逆さ獅子」と「ぼたん」の花の飾り。

この二つのセットは、獅子の弱点である身体中に潜む虫「獅子身中の虫」を、

ぼたんの花の夜露が殺してくれるという言い伝えがあるからだそうだ。

全てに意味があるのだ。

▼そんなことも詳しく知らない我が目の先で獅子は笑っている。

▼本物かと思ったら、これも飾り瓦。ここではやはり鳩は害鳥ではない。

▼本堂の阿弥陀如来にお参りしたら、左隣のお堂に向き合う。

▼ここに「三面大黒天」がいらっしゃる。

▼神社のように手を叩く参拝者がいるのかもしれない?

「オンマカキャラヤーソワカ」覚えられるかな?

 

▼堂内に祀られた「三面大黒天」は弘法大師の柵と伝わる。ガラスで光って見えない。

▼ガラスにカメラレンズをピッタリつけてパシャッ! 失礼しました。

人々の開運を願う。

 

大黒天三面ではなく、左右の顔は毘沙門天弁財天

なぜ、その三者を一緒にしたのだろう? 空海に聞いてみないとわからない。

何にしても各地で見る大黒天の像の中でも別格な地位にあるような姿。

空海作を疑わないことにしよう!

 

▼庫裡の屋根。飾り瓦や彫り物は再建されたらその存在が失われる?

小さな寺院をめぐることは少ない。

七福神や様々な霊場があっての巡り合いのなかで、新しい発見があれば幸い。

 

下谷七福神の御朱印【4】 〜法昌寺 「たこ地蔵」に会う ご首題もいただく

日照山 法昌寺御朱印

ほうしょうじ法華宗(東京都台東区下谷2-10-6)

下谷七福神「大毘沙門天」の御朱印は2013年と24年では、まるで異なっている。

スタンプ・印も違えば墨書きも異なるので書き手さんも変わったということでしょう。

 

法昌寺 下谷七福神 毘沙門天御朱印(2024年)

 

法昌寺の御首題(2024年)

御首題をいただくのは22年10月以来。豪快な筆跡で素晴らしい。

 

法昌寺 下谷七福神 毘沙門天御朱印(2013年)

▼わかりやすい七福神受付。

▼受付は女性だったが、ダメモトで御首題をお願いしたらご住職自ら揮毫いただけた。

お守りなどが見事な筆跡の文字で案内されていた。

寺の姿勢が見える一部分でもある。

 

下谷という町名の地域は日光街道の西沿いをへばりつくように北上野から三ノ輪近くまでに細長く伸びている。

有名な「下谷神社」は下谷にはなく東上野だ。

いずれにしても町名は目・耳にするものの具体的な地域を思い浮かべるのは難しい。

 

▼弁天院から法昌寺を目指して歩いてくると「小野照崎神社」の前を通る。

当然のことながら七福神より人出は多く、境内でもイベントが催されていて混雑だ。

 

浅草→上野→入谷→谷中、このラインは寺が多い。

ここ法昌寺界隈も寺社が密集している。

▼寺の名称が書かれていても読めない文字も多いから間違えそうだ。

法昌寺の前の道路沿いに立つ「泰寿院」の路傍の地蔵。地蔵はこうあるべきかも。

▼ちょっと法昌寺山門を通り過ぎて振り返った寺の全様。

真紅の幟が人々を招くかのようだ。

▼外からも、境内に入ってからも目に入るのは日蓮

日蓮の像は、何処でもほとんど同じポーズをとっている。

左手に巻物、巻子を持っている。

数えきれないほど目にしているが手にしている巻物は法華経なのか、立正安国論なのか知らない。

寺で聞けばすぐ答えてくれるだろう。機会があれば聞いてみることにする。

 

法昌寺日蓮は少し若く見える。作造者が若いかも。

法昌寺山号にもなっている日照によって1648年に開山されている。

日照日蓮六老僧の一人に数えられている。

 

▼移転、罹災を経て建て替えられた現在の本堂はまだ新し目。

▼本堂に向かって右に小さな「たこ地蔵」。

たこ薬師」は知っているが「たこ地蔵」??

地蔵に刻まれている文字は「迷惑かけて ありがとう たこ八郎

ヘンな日本語だが知る人ぞ知るコメディアン、昭和の怪人たこ八郎」らしいかも。

 

 

▼独立したお堂が設けられた七福神毘沙門天にご挨拶。

▼ボケてしまったが毘沙門天像は木造?

▼2013年は石造だった。上の写真とは雰囲気、重みがずいぶん違う。

いただいた御朱印が11年前とは異なるように、寺の住職も代わり、同時に毘沙門天像も入れ替わったのかもしれない。

寺の組織はクローズドされて複雑怪奇、我々の知れるところではない。

 

▼門前の狭い道路沿いにオープンに建つ「救世観音堂」。

これも2013年には無く新しい。現住職は活動的なのかも。

OpenもClosed もそれぞれ訳あり、

この寺はもう少し知識を得る必要がありそうだ。

 

 

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