▼致航山 満願寺の御朱印です。(真言宗智山派・東京都世田谷区等々力三丁目)
御朱印をお願いして戻ってきたのは「玉川八十八ヶ所 第54番」の札所印になりました。
近くの等々力渓谷にある関東三十六不動の明王院(等々力不動尊)は、
満願寺の別院になります。
御朱印左下の印は「談林所・・・」となっています。
檀林は何度も目にしてきましたが「談」の字を使っているのを見るのは初めてです。
檀林と談林もは同じ意味らしいです。僧侶の養成機関、学問所です。
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▼別院の等々力不動尊からの脚を延ばして参拝しました。
不動尊からは1km弱なので歩いても僅かな時間で到着します。
▼寺境内の外になりますが一隅に「庚申堂」がありました。
かなり古いもののように見えます。
何が彫られているのか分かりませんが、おそらく青面金剛をかたどったものなのでしょう。民間信仰の庚申は全く理解できません。
塚の経歴などは碑銘が摩滅して読み取れないそうです。
▼それでも地域の人たちは、
自前で何回も補修したり移設したりして後々に伝えようとしています。
江戸時代に盛んだった庚申信仰に、現代では特に熱心な方は少ないでしょうし、
おそらくこの庚申塚を整備した方たちも同様だと思われますが、
なおかつ荒廃するのを黙って見ていられない方達がいることは心強いばかりです。
▼17色のアイコンとともに「SDGs」のポスター。寺で貼られているのは初めて。
「Sustainable」という言葉は最近頓に聞くようになりました。
しかし、どうもその中身より、掛け声ばかりが先行しているように思いますが・・。
▼満願寺は1470年、あの吉良氏によって開基されたそうです。
▼門前の松や、塀越しに見える鐘楼が美しい寺です。
▼山門は寺にしては端正でモダンな建築です。
高級和風ホテルのエントランスと言っても通用するかもしれません。
▼境内に入って山門を振り返りました。
こういうモダンな建物は寺としてなかなか馴染めないのですが、
▼本堂も「数寄屋造りの第一人者である吉田五十八氏設計の昭和を代表する名建築」だそうです。
確かによく見ているとグリーンの屋根の美しいライン、白壁に黒の柱が引き締め役となっていて均整のとれたスキのない顔立ちです。
▼本堂の扁額は、細井九皋という江戸時代中期の書家の手による書で、細井九皋の墓もこの寺にあるそうです。事後知識ですので墓は見逃しました。
その後、本堂裏手に見える塔を見てみようと思いましたが、
どいうわけか塔の足元に近づくルートが見つかりませんでした。
「等々力不動尊」の本院の満願寺でしたが、2つの寺の姿は全く別なものに感じられました。