▼じつは、こんな風にして朱印帳を返されました。
▼左上の「三角」を外してみると折り紙になっています。
▼そして「アテ紙」がわりにも使われていた由緒書き、表裏です。
授与所のおネェさん「栞がわりに使って! 私が折ったの」
わたし「あらっ、ステキなアイデアの栞ねぇ!」
おネェさん「でしょう・・!」
わたし「それにカワイイあて紙! わたしにはちょっと恥ずかしいけど?」
おネェさん「あら、そんなことないわよ! みなさん喜んでくれてるし・・・」
わたし「ありがとう!」
500円お渡し!
わたし「ツリは取っておいて!」
とは言わなかった。いつものように「賽銭がわりに!」と。
この「栞」と「あて紙」については最後尾で一言・・・。
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▼深志神社の御朱印です。(ふかしじんじゃ・)
この神社の受付時間は何時までか分からないが、4時30分頃、男性の神職に快く受け付けていただいた。300円お渡し。
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長野県護国神社 点描
▼「みたま祭」というのは全国の護国神社で開催されている?
靖國神社でしか知らなかったわ。知らないことばかり!
▼どの県の護国神社も、境内の敷地はゆったりしています。
▼そして、これまで訪れた護国神社のほとんどでは参拝者との遭遇が少ない。
▼典型的な夏の護国神社のスタイル。夏に訪れる各県の護国神社は、記憶として区別不能。
▼なにやら、しきりに作業をしている方々が・・。
▼聞いてみると個人の美術作品の展示らしい。
▼「御霊祭」の期間はライトが入って、こんな感じになるのかしら。提灯に加えて作品の入灯で、さぞかし幻想的な夜になるでしょうね。
多くの人たちの参拝がありますよう願ってますよ。
▼賛否両論が出そうな対象物が多くあります。
しかし、日本人の99.9%が「戦争はダメ、イヤ!」と思っているはずだから・・・と、信じたい。
でも状況の変化と時の流れで、過去の悲惨さを忘れてしまう時が来るかも?
ある意味、人と人、国と国の戦いの連続の記述が歴史。
地球上では恒久的な、世界的な平和があったことは、1時間もあったタメシがないかも?
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深志神社 点描
▼創建の源を南北朝時代とするこの神社の参道に立った時、派手な朱色が気に障る。
▼しかし、複雑な彫刻と極彩色の手水社も・・
▼近づいてくる神楽殿も・・
なかなか優美。
▼そして拝殿にも「朱色」が続くと、目が「慣らされます」
▼境内全体の「朱色」バランスは調和がとれていて素晴らしい。障った気が落ち着く。
▼数多い境内社は境内の南側に寄り添って、丁寧に扱われている様子。
▼神社の祭神は「お諏訪さま」と、この「天神さま」道真が11歳の時、初めて漢詩「月夜に梅花を見る」を詠む場面とか。学問の神様としての菅原道真誕生を告げる場面として有名だそうです。知らなかった!
冒頭でも記したが、ここ「深志神社」を訪れた時間は午後4時前後だったから、ほかの参拝者は見当たりませんでした。
朱印は社務所で心よく受付けてくれたものの、授与所では「店じまい」の片付けが始まっていました。
さらに結婚式でもあっのだろうか、そんな様子のスタッフがやはり片付けをしていました。
松本の街中で人気神社はこの「深志神社」と、前々回に記事にした「四柱神社」でしょう。
で、思いました。
この時間帯の「四柱神社」はどんな様子だろうか?
おそらく、まだ日が高いこの時間、観光客は耐えていないだろうから「四柱神社」は、まだ「全開」かも?
一方、同じ時間、南北朝に遡る古い歴史を持つこの「深志神社」、境内に参拝者の姿は見えず「店じまい」しようとしている。
東京でもほとんどの神社の「店じまい」時間は4時から5時頃と心得ている。
だから何の不思議はない。
でも、神社同士で「ライバル心」「競争心」はないのでしょうか?
神社も一事業形態と考えれば、部分的に「ある」に決まっています。
となると、やはり所在地の違いは大きい。
松本の人気神社はこの「深志神社」と「四柱神社」と勝手に思っていましたが、結婚式に関しては「護国神社」も人気とかで、よくわからなくなってきます。
神社同士、水面下で挙式の争奪戦が繰り広げられてるかもしれない?
朱印帳の「栞」と「あて紙」
さて、護国神社で「栞」代わりになる折り紙をいただいた話に戻ります。
「栞」はある場面では便利かもしれないが、朱印をいただく時、付けたまま渡すと、渡された方は、そのページに朱印を押すのだからジャマくさいし、扱いに困ります。
また、紛失することもあるかもしれないから気を使う事になります。
だから、そんなものは使用しないことにしています。
護国神社いただいた「折り紙の栞」もお蔵入り!です。
アテ手紙についても「ジャマくさい」のは栞と同様かもしれない。
数多くの朱印希望者がある場合、アテ紙の消費量もバカにできないでしょうから、その紙を付けたまま渡そうとすると、朱印をいただくページを開いて渡すからヒラヒラとジャマになります。
アテ紙付きで渡す意図を、受付側に好意的に理解してもらうことも難しいかも?
だからアテ紙も再利用しないで、クシャクシャと丸めてジャンジャン捨てる。
結果、朱印帳は付属物を一切付けないでシンプルに渡す。
しかし、時々こんな印刷物をアテ紙にしている寺社もあります。
気が小さいので、さすがクシャクシャと丸めてポイ! というのは気がひけます。
ドンドン貯まるから、別に保管しておくのもヤッカイなことになります。
そこで朱印帳の表紙裏や、使用しない面に貼っておくことにしています。
散逸しないし、いただいた朱印と同居できます。
まぁ、皆さんも同じようなことをしているでしょうが・・・。
「栞」「アテ紙」とは別に、扱いに最大にヤッカイなものは「由緒書」。
この話はまた別の機会に・・・。