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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

西光寺の御朱印(東京・板橋区)〜板橋七福神❻布袋尊 〜豊島八十八ヶ所霊場80番札所 〜箱庭のような境内に憩う

▼寶樹山 西光寺真言宗豊山派・東京都板橋区大谷口二丁目)

板橋七福神 布袋尊御朱印です。

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▼同じく本尊 聖観世音菩薩(豊島八十八ヶ所霊場80番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200114181840j:plain

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▼安養院から西光寺まで、今度はゆっくり歩きました。でも15分をオーバーしません。

▼山門に続くブロック塀は途中から金属製のフェンスになったりして、寺域をグルッと囲んでいました。域内には幼稚園もあります。f:id:wave0131:20200114181851j:plain

▼寺全体はこじんまりとしていますが、箱庭のように感じられる整えられた庭がリラックス空間にもなっているのでしょうか、参拝者が絶えない寺です。f:id:wave0131:20200114181914j:plain

▼創建の不明な寺ですが、板橋七福神の他の寺と同様、江戸時代初期で家光の時代と推測されるそうです。f:id:wave0131:20200114181940j:plain

七福神布袋」さんは、ここも本堂正面に開帳されていました。f:id:wave0131:20200114181906j:plain木のフェンスがあって間近には対面できませんが、まぁこのくらいの距離のほうが有り難みがあって良いかもしれません。

f:id:wave0131:20200114181931j:plain板橋七福神は、ほぼ全ての寺で間近にというか、手に触れられる近さで尊像が祀られています。

具体的な距離が近いと、より親しみや身近さを感じます。

しかし、その威厳さや有り難みは距離の多さと比例するかもしれません。

七福神めぐりは、ある側面では一般庶民が育てられたものですので、神の威厳さより親しみや、近さが一番かもしれません。

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▼本堂脇に「しろがき地蔵」と記された地蔵を祀るお堂があります。f:id:wave0131:20200114181928j:plainそれにしてもいろんな名称の地蔵があるものです。

寺の裏の通りの坂は、その昔は「地蔵坂」と呼ばれていたそうです。

江戸時代のこの寺は「しろがき地蔵」で有名だったかもしれません。

今では想像も困難ですが、当時のこの地域は水田が広がっていたそうです。f:id:wave0131:20200114181923j:plain当時、田植えを明日に控えた水田の「しろがき」を終えられず困っている農民に代わって、地蔵が一夜のうちに「しろがき」を終え、翌日、農民は無事田植えをすることが出来たたそうです。

▼その時、地蔵の脚は泥で汚れていたそうです。f:id:wave0131:20200114181919j:plain日本昔ばなし」です。

しかし何らかの事実らしきものがないと「はなし」は作れません。

当時の人々が農作業、米作りの熱心さと、同じように地蔵に対する素朴な信仰心の熱心さが、そんな伝説を作り上げたのでしょう。

 

▼箱庭のような一角にある庫裏も、とても良い雰囲気です。ご朱印は右側の「花頭窓」っぽい窓口で、ハリきって記帳いただけます。f:id:wave0131:20200114181902j:plain

▼ちなみに板橋七福神は、すべてこの数字で統一されています。f:id:wave0131:20200114181935j:plain

昨今、同じ七福神内でも朱印帳への押印代は寺によって異なり、バラバラなことが多いなか、板橋は分かりやすく統一され「板橋七福神」がしっかり機能していることが理解できました。

安養院の御朱印(東京・板橋区)〜板橋七福神❺弁財天 〜豊島八十八ヶ所霊場1番札所 〜鎌倉時代創建と伝わる古刹

▼武王山 安養院 最明寺真言宗豊山派

板橋七福神 弁財天御朱印です。

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▼同じく本尊 阿弥陀如来(豊島八十八ヶ所霊場 1番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200110181049j:plain

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▼前の寺、長命寺から歩いてスグでした。1kmもないと思います。

安養院は大きな寺でした。それもそのはず、豊島八十八ヶ所霊場の1番札所です。

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▼豊島八十八ヶ所は霊場としては小さくはありませんが、どんな小さな霊場でも1番札所ともなれば歴史や風格、見所などを備え、参拝者も多い寺がほとんどです。

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▼山門の扁額は山号の「武王山」。

書体名は分かりませんが、面白い書体で各堂の扁額はこの書体とカラーで統一されていました。

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▼本堂の扁額「安養院」。

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ここまで4つの板橋七福神の寺を巡って来て、その創建はほとんどが江戸初期でしたが、ここ安養院は鎌倉時代と伝わる古刹です。

f:id:wave0131:20200110181207j:plainそれも、最明寺入道と呼ばれた鎌倉幕府の執権、北条時頼によって開創されたとも伝わるそうです。

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▼子育て地蔵でしょうか? 地蔵にじゃれつく子供がユニークな像で、ショッキングピンクのような頭巾も他では見ない色で新鮮です。

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▼六道地蔵はオレンジの頭巾でした。

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▼こちらが弁財天が祀られている大師堂

f:id:wave0131:20200110181155j:plainここまで巡ってきた寺と違って七福神はオープンではありません。

弁財天はお堂のガラス越しにしか見られませんでした。

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▼だから参拝者の皆んなは興味深げにガラスの奥を覗き込まずにはいられません。

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▼ガラスにカメラをくっつけて撮影失礼します。女性ですので気を使います。

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▼二重の塔、いや多宝塔です。まだ新しそうです。

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▼同じ書体、カラーで「遍照」でしょうか? 「遍く照らす」でいいんでしょうねっ?

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▼多宝塔内部は空海立体曼荼羅でした。高野山の多宝塔内部の縮小版でした。

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空海が見た「海」と「空」はどんなんだったでしょう?

空は無限に広く広く、深い深い海だったに違いありません。

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▼庫裏として使われいる建物は、泊まってみたくなるような、歴史ある旅館のような佇まいです。こんな雰囲気の大きな建築物は目にすることが少なくなりました。

f:id:wave0131:20200110181212j:plain建物は白壁の塀に囲まれています。

元は明治期に建てられた、旧前橋藩から連なる伯爵の住まいだったとか。遠い昔のことです。

明治、大正は遥か遠く、昭和も遠く、そして平成も遠くになりつつある令和2年元日です。

 

長命寺の御朱印(東京・板橋区)〜板橋七福神❹福禄寿 〜豊島八十八ヶ所霊場50番札所 〜福禄寿X寿老人、長命寺X道明寺

▼東光山 長命寺真言宗豊山派

板橋七福神 福禄寿御朱印です。

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▼同じく本尊 薬師如来(豊島八十八ヶ所霊場50番札所)の御朱印

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長命寺川越街道環七通りという東京の動脈とも言える交差点脇にあります。

川越街道の上を環七通りの陸橋が架かる立体交差となっています。

24時間、車の流れが途絶えることのない2つの通りですので、さぞかし騒々しい落ち着かない寺だろうと予想していましたが、元日のせいか交差点は思いのほか静か。

f:id:wave0131:20200110122503j:plainおまけに寺は少し高い位置にあり、境内に上がってしまえば立地を忘れさせるほど静かでした。環七通りの陸橋は防音壁が施されているせいでもあるでしょう。f:id:wave0131:20200110122507j:plain

▼とっても綺麗に整えられた気持ちの良い階段の参道を上がって行きます。f:id:wave0131:20200110122541j:plain

▼境内は環七通りに沿って狭く細長いのですが、庭木は綺麗に手入れされています。f:id:wave0131:20200110122514j:plain

▼男性おひとり様が目立つ本堂前。f:id:wave0131:20200110122528j:plain

▼その本堂先に福禄寿が開帳されていました。f:id:wave0131:20200110122520j:plain福禄寿と寿老人の決定的な違いをまだ覚えきっていません。見た目だけですと「どっちだ?」といつも混同してしまいます。

手に「巻物」を持っているのが福禄寿、「」持っているのが寿老人という記憶も混同しています。

もっとも板橋七福神の尊像はすべて小さくて、目の真ん前で確認しなくては何を手にしているか分かりません。

さらに持ち物を持っていない像の場合もあります。

そういう場合は不自然に頭の大きいのが福禄寿、もしくは禿頭が福禄寿と覚えていますが、外見では確信の持てない場合も多々ありです。

 

福禄寿と寿老人の2体を並べられれば分かるかもしれませんが、いずれにしてもやっかいな「ご老人」たちです。

 

ハイ、ともかくここ長命寺は「福禄寿」です。

 

▼よく見えませんが山号の「東光山」が刻まれています。この山号と寺名から本尊が「薬師如来」であることが想像できます。f:id:wave0131:20200110122511j:plainところで長命寺という名称はよく耳にする寺名で全国に数多くあります。

 

東京の隅田七福神にも長命寺がありますが、そちらは弁財天を祀っています。

 

そしてその向島長命寺は「長命寺桜もち」が有名です。とは言え一般に見る桜餅となんら変わりはありません。

関東では「桜餅」と言いますが、関東以外では「」の文字を省いて単に「長命寺」とも呼ばれます。

また関西風のものを「道明寺桜餅」または単に「道明寺どうみょうじ)」と言います。

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どちらの餅も、それぞれの寺とどのような関係があるのか、ないのか詳細は知りませんが、どちらがどちらなのか区別がつかないのは、福禄寿と寿老人に似ています。

 

訪問のこの寺とは全く関係のない話でした。

 

▼ややこしくて頬づえ着いてしまうのはワタシだけで、こちらは如意輪観音さまかな?f:id:wave0131:20200110122524j:plain

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福禄寿と寿老人の区別はスッキリしませんが、元日の空は変化せずスッキリと晴れています。f:id:wave0131:20200110122532j:plain

 

西光院の御朱印(東京・板橋区)〜板橋七福神❸ 大黒天 〜豊島八十八ヶ所霊場82番札所 〜緑の木々と色とりどりの像が溢れる

▼医王山 西光院 薬圓寺真言宗豊山派

板橋七福神 大黒天御朱印です。

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▼同じく本尊 阿弥陀如来(豊島八十八ヶ所霊場82番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200109184648j:plain

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文殊院から板橋七福神3ヶ所目へは少し距離を歩きます。

それでも2kmはないと思います。歩くのだけは早いので20分くらいでした。

中山道を横断、川越街道を横断、中丸通りにたどり着くと西光院があります。f:id:wave0131:20200109184700j:plain

▼山門前は車があって、自転車があって、仁王像があって、その下で外国の方らしい親子が写真撮影してて、それをスダジイが見下ろしています。f:id:wave0131:20200109184704j:plain雑然としているようですが、それは車と自転車だけが雑然さを強調しているようです。

 

▼しかしやはり、山門前の仁王もバックの木々に溶け込みそうで雑然感は払拭できません。自分の「カメラ力」に問題があることも分かって入るつもりですが・・。f:id:wave0131:20200109184709j:plainそれにしてもこの仁王像は青銅製? 何を素材にしているのか分かりませんが、木造とか着色されたものが多いなか、青銅色の仁王像は力強さが圧巻です。

役目の邪気を払うに充分な迫力です。f:id:wave0131:20200109184713j:plain▼山門前のシイの木は400年も生きて疲れています、老いています。f:id:wave0131:20200109185021j:plain根元付近は空洞化されていますが、手のように延びる枝は元気満々。しかし金属製のギプスで補強され、倒れそうな体を数本の支え棒が力を貸しています。

老木たりとも、まだまだ力漲らせようとする姿、また枝となる子や孫とともに生きようとする姿はどこか人間にも似てます。

草木も動物も、みな同じ生き物であることを改めて知らされます。

 

▼小さくて確認しにくいですが、本堂の前で年配の女性二人がベンチに腰かけ休んでいました。f:id:wave0131:20200109185017j:plain▼UPしてみます。f:id:wave0131:20200109194208j:plain風もない晴天の穏やかな天気の中、まるで田舎の寺にやってきたような、とっても長閑な風景に心もおだやかになります。f:id:wave0131:20200109184722j:plain

▼大黒天は本堂脇にあり、すぐ見つけることができます。f:id:wave0131:20200109184718j:plain

寺の創建は400年前の江戸初期と伝わります。

▼こちらはその後に建立された薬師堂。薬師三尊像と十二神将などの像が安置されているそうです。

堂の扉は閉まっていて賽銭用の穴から覗いても暗くて何も見えませんでした。f:id:wave0131:20200109184726j:plain言い伝えでは松平尚庸が妻の眼病平癒のために建立とされていますが、松平尚庸って何者なのか全く知りません。でも、松平だから三河繋がりのお方?

▼よく見かける瑠璃殿ではなく「瑠璃閣」です。f:id:wave0131:20200109184731j:plain浅薄に瑠璃は、瑠璃は薬師と覚えています。

 

▼さて、境内にはたくさんの緑と、様々な仏像たち林立しています。f:id:wave0131:20200109185013j:plain

▼無縁仏のリーダーは観音様でしょうか?f:id:wave0131:20200109185008j:plain

▼十一面観音もお立ち台にいらっしゃいます。f:id:wave0131:20200109185004j:plain

▼こちらの地蔵さんは足元に子たち。子育てと水子の地蔵様です。f:id:wave0131:20200109185000j:plain

▼出ました! 真言宗開祖空海弘法大師さんです。f:id:wave0131:20200109184948j:plainその隣は、興教大師と書かれていましたが、まったく知識ありません。

▼墓域にもお堂が・・。写真の左手前の像が気になりますが不明。f:id:wave0131:20200109184957j:plain板橋区の住宅街にある寺ですがミドリたっぷり、ブツゾウたっぷりの好感ジインでした。

文殊院の御朱印(東京・板橋区)〜板橋七福神❷毘沙門天 〜豊島八十八ヶ所霊場18番札所 〜「閻魔」と「奪衣婆」と「懸衣翁」のスゴさ

幡場文殊院真言宗豊山派

板橋七福神 毘沙門天御朱印です。

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▼同じく、 本尊 文殊菩薩(豊島八十八ヶ所霊場18番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200109111550j:plain

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▼旧中山道下宿の観明寺を出たら、板橋宿を仲宿まで進みます。

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▼スーパーライフのある小さな交差点を右折します。f:id:wave0131:20200109111635j:plain

▼右折するとすぐ左手に文殊院の古刹らしい趣のある山門が現れます。f:id:wave0131:20200109111558j:plain普段でも、こういう門構えの寺はフラッと境内に入ってみたくなります。

 

▼山門の左にあるお堂は延命地蔵を祀り、この寺の江戸初期の起源となっているようです。f:id:wave0131:20200109113001j:plain

▼山門を潜ると左の閻魔堂から煌々と明かりが漏れていました。f:id:wave0131:20200109111603j:plain

▼綺麗な花に囲まれていますが、やはり目はエンマさんに釘付けになります。

他のものが目に入らず、どこの閻魔堂でも同じ目にあいます。それだけインパクト大の閻魔です。f:id:wave0131:20200109111606j:plain真正面にありながら、大きな文字で「毘沙門天」と案内されているのに、うっかり見逃しそうになります。

▼観明寺では混迷しましたが、今度はちゃんといらっしゃいました「毘沙門天」。ちょっと老けた毘沙門のように見えます。ヒゲのせいかしら?f:id:wave0131:20200109111642j:plain

▼エンマさんの右側に立ち膝姿の奪衣婆さん。あの世の入り口で、まずこのバァさんに身につけている衣服を剥ぎ取られます。
f:id:wave0131:20200109111610j:plain▼そしてこの方、懸衣翁けんえおう)が剥ぎ取られた衣服を衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝に掛けます。その枝のたれ具合、しなり具合で生前の罪の重さを測るというシステムです。f:id:wave0131:20200109115902j:plainそして閻魔さんにジャッジされるわけです。

枝が折れそうなほど罪を重ねている身にとっては決して訪問したくない関所ですが、誰しも逃れられず、いずれはお伺いすることになるでしょう。

話はコワイのですが、閻魔堂の閻魔、奪衣婆、懸衣翁の3体はそれぞれ表情がコッケイでコワサも半分というところです。

 

▼三途の川の先、六道のどこにジャッジされるかは、この世での生き方次第?f:id:wave0131:20200109111623j:plain

▼「子大権現」は「ねのごんげん」です。f:id:wave0131:20200109111618j:plain子ノ権現は関東では飯能市天龍寺が有名ですが、あるいは子ノ権現は天龍寺の他にはないのかしら?

いずれにしても子ノ権現は足腰にご利益をいただけるようです。

 

▼キレイな屋根の本堂です。本尊の文殊菩薩はこちらにおわしまする!f:id:wave0131:20200109111615j:plain

▼この扁額は左から読む? となると「無戯論」「ムケロン」?です。文殊菩薩のこと?f:id:wave0131:20200109111630j:plain

▼本堂の上の雲ひとつない青い空。きっと、人が心も身体もこんな状態になることが「無戯論」かもしれません?f:id:wave0131:20200109111626j:plain南無文殊菩薩

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