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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

泉岳寺の御朱印(東京・港区)〜赤穂浪士とビジネスマンと「切腹」の関係!

萬松山 泉岳寺御朱印

せんがくじ曹洞宗(東京都港区高輪2-11-1)

 

泉岳寺御朱印です(2018年)。

泉岳寺御朱印です(2012年)。

6年間のギャップがありますが、御朱印の構成は全く同じもので、揺れていませんでした。

 

▼地下鉄「泉岳寺駅」からわずかな距離です。

2020年に暫定開業した「高輪ゲートウェイ」からも徒歩圏内です。

 

▼付近を広重が「高輪 うしまち」として描いています。(▼写真は「wiki名所江戸百景」

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JR「高輪ゲートウェイ」の位置は、絵図では海の中になります。

 

赤穂浪士のお墓があることだけが有名になってしまっている「泉岳寺」は、都営浅草線の駅名にもなっていて、地名は高輪

かつては財界人の邸宅が目立つ高輪でしたが、多くはホテルやマンションに変わってしまっています。

 

▼周辺は坂だらけの起伏の激しい土地ですが、現在も著名な高級住宅街である事に変わりはありません。

f:id:wave0131:20190531190222j:plain新たに、この地に転居して住もうなんて考える人、そして住める人は極く少ない、恐れ多い土地です。

 

▼近くの高野山東京別院の交差点には、近代建築の遺産としての高輪消防署の出張所もあります。右のレンガ色の建物は高輪警察署です。高輪のランドマークとも言えます。

f:id:wave0131:20190531190223j:plainそんな高台から・・・

▼少しだけ低いところに泉岳寺中門はあります。

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▼中門をくぐります。すると、すぐ右に「大石内蔵助良雄」の像があります。

f:id:wave0131:20190531190220j:plainワタシの泉岳寺のイメージを濁らせる新しい銅像と思いきや、大正時代に建てられたものだそうです。でも、やはりこの像は無い方が、ワタシの泉岳寺イメージ!

 

▼寺で法要でもあったのでしょうか? 異様な黒づくめ集団の記念撮影です。

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▼明瞭に認識できる「泉岳寺」の額を掲げた見事な山門は、この寺が単に「赤穂浪士の墓のある寺」だけではないことを表しています。

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この寺は365日、個人・団体など訪問者が絶えないようです。

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それだけ、300年前の出来事、1703年の赤穂浪士による本所松坂吉良邸への討ち入り、吉良上野介を討ちとった出来事「赤穂事件」は有名な証で、小学校の教科書にも掲載しかねません。まさか・・・?

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真実の赤穂事件は当時のストーリーテラー浄瑠璃や歌舞伎に脚色して「仮名手本忠臣蔵」となり、大ヒット。ワタシたちもその名を略した「忠臣蔵」として知っている。

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その忠臣蔵は300年間でどれだけの数で芝居、ドラマ、映画となったことだろう。

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新しい映画やドラマが話題にならない年でも、12月14日を前にすると関連するニュースなどが流れます。

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今年、2019年も冬に向けて「決算! 赤穂浪士」なんて映画が作られているそうです。

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どれだけ時間が経ても「忠臣蔵」は地球が滅亡でもしない限り終わらないのです。

日本人のDNAを喜ばせるように、300年の時間の中で磨きに磨かれてきたストーリーなのだから、12歳から102歳までがその言葉を知っています。

 

だから、寺側としては不本意かもしれないが「忠臣蔵の寺」である泉岳寺を訪問する老若男女は四六時中 絶えることがない。

 

▼ここから史跡となっている墓域です。

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▼「血染めの梅」「血染めの石」という恐ろしい言い伝えが説明板とともに並んでいます。

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浅野内匠頭こと浅野長矩の墓をはじめ、正室、浪士たちの墓が整然と所狭しに建つ。

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▼大石の息子は当時まだ10代だったはず。

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もう、どこまでが史実か物語か不明。

物語が優っているからか、香りとともに、むせるかえるように立ち上る線香の煙は365日絶えない。

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見覚え、聞き覚えのある名が刻まれています。

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▼そして「首洗い井戸」。全国にどのくらいの数があるだろう。

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洗っても、洗っても、洗いきれないほどの首が日本中で朽ち果てようとしていた時代があったのでしょう。

だから・・・

▼「忠臣蔵」の首洗いは、ここ両国にもあります。「みしるし洗いの井戸」です。

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▼300年前の深夜、赤穂の47人が目指した場所「吉良邸」です。

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▼そして、その首を洗われたことになっている「吉良上野介」の像。

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ある一面だけを物語にされ、悪役を甘んじている「上野介」 は「好きにして!」と泰然自若。

ここ両国では毎年、吉良と義士の追悼祭が催され、そして愛知県西尾市吉良町では「赤馬の殿様」としてヒーローでもあるのよっ!

勧善懲悪としての「善」と「悪」は紙一重

真実はどこに行ってしまったのか、時間の中に紛れ込んでしまっています。

 

▼ところで赤穂浪士切腹には程遠い「セップク」物が東京にあります。

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東京・新橋にある和菓子屋さんが売り出した、その名も「切腹最中」。
その店の回し者ではありませんが、昨今「バカ売れ」だそうで、本でも紹介されているそうです。

その名の根拠は知りませんが、現在のモテモテぶりは、当初からの目論見ではなかったでしょう。

しかし、2019年のビジネス社会に失敗は許されません。

この最中はビジネスマンがヘマを重ねるたびに、必需品となりました。

アナタの代わりに「ハラキリ」してくれるそうです。

 

もしも、あなたのヘマの相手が取引先、得意先だとしたら、この最中を相手に差出し、土下座しましょう。

その時、真摯な詫びと同時に差し出すシャレが理解できない相手だとしたら、お尻、いや、ケツをまくりましょう!

そんな悲しい場面にならないように願うばかりです!

 

 

 

一乗院の御朱印(那珂市)〜エンタメ寺院に「お一人さま」の訪問は場違い?

▼法満山 一乗院御朱印です。(真言宗智山派茨城県那珂市飯田f:id:wave0131:20190531184209j:plain

北関東三十六不動霊場 第25番の御朱印ですが、梵字の下は何が書かれているのかわかりません。

 

▼同、毘沙門天御朱印f:id:wave0131:20190531184208j:plain

この地域の七福神の朱印ではないようです。

もっぱら「日本一」の毘沙門天の朱印です。

 

訪問時には御朱印は4種類ほどあったように記憶しています。

種類が減る事はないでしょうから、現在も4種類以上はあるはずです。

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この寺を訪問時の写真が1枚もない、見つからない。

▼無いものは仕方ないけど、サミシーからgoogle から1枚お借りしました。f:id:wave0131:20190603194322j:plain

4月に千葉の成田山 新勝寺を「寺のディズニーの歩き方」として記事にしました。

 

新勝寺はその堂宇の多さに、マジメに「寺のディズニー」と表現したつもりなのですが、「ディズニー」にエンタメ性だけを求めたら、この寺「一乗院」の方が「寺のディズニー」にふさわしいかも。

一乗院はアチコチで時々出会う、何でもありのエンタメ寺だった。

楽しい、おかしい、チンプな仕掛けがたくさんあります。

 

寺社にはほとんど一人で訪れることの多い身にとっては、このタイプの寺は苦手。

「仏教は身近なもので、親しみ、楽しめるものです」という寺側の意図は真摯に理解できます。

しかし、エンタメ仕掛けを一人で経験する姿は、ほとんどヘンジンに見えるはずです。

 

自らヘンジンを望んでいても、ヘンジンになり切れないワタシは、ヘンジンに見られることを恥じるのです。

この寺を訪れた2012年時点、いまだ人の目を気にしているワタシでした。

写真のない寺の話はここらで終わりにしましょう。

 

ところで、ワタシはこの寺の写真は失ってしまったようですが、ほかのブロガーさん達はボーダイな量の写真をどのように管理・整理しているのかしら?

様々なアプリを使用している事は予想できる。ワタシもそれらを自分仕様に整えようとしても、なかなか満足いくように作り変えられない。

 

googleフォトなんかは、金もかからず無制限にアップできるから便利とは言える。しかしオリジナルの保存ではないようだし、見るだけなら問題ないけけど「整理」となるとイマイチ。

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同じように mac の「写真アプリ」も、今ひとつ使い勝手が悪い。

イジクリ回しているうちに写真が重複してしまったり、日付がおかしくなったり、挙げ句の果ては行方不明ということになる。

 

写真アプリで整理以前の問題として、あっちのSDカード、そこのハードディスク、こっちのカメラ、スマホに保存のまま、LINEにあるわ、googleに自動でUPされるわで、まったくムチャクチャなのである。

とてもじゃないが、全てを整理、把握できるわけない!

オリジナルは全て「ココ」にもなってない!

スゴク便利! スゴク不便なのである!

 

アナログとデジタルの両方を知っている人間は、ほぼ、こんなふうでしょうね!

 

生まれた時からスマホタブレットをいじっている世代は、不便・便利という感覚でさえ、きっとワタシたちとは違う空間で生きている!

 

分裂症気味で文章をマトメられないワタシは、また今回記事、一乗院のある那珂市の話に戻ります。

 

那珂市は2005年に市制施行された比較的新しい、誰も耳慣れない市です。

しかし那珂湊の「おさかな市場」は有名です。

▼最近の「おさかな市場」の様子を google からお借りしました。f:id:wave0131:20190603203826j:plain

f:id:wave0131:20190603203839j:plain那珂市も2011年の震災で被害を被っています。
津波でこの市場も大きな被害にあい、一時閉鎖を余儀なくされていました。

 

しかし大きな時間を経ずに市場は再開されました。

再開された後の市場に一度だけ訪れました。その時の写真は撮っていませんので上記の2つの写真をお借りしています。

震災後の様子は、震災前に数回訪れた市場との違いを明確に感じました。

カンバンは新しくなっています。

数ある店舗内はキレイになって整然としていました。

以前はゴチャゴチャ感、市場感が凄かった。築地の場外市場のようなイメージは、いやが上にも「お買得感」があった。

 

そして店舗の数と訪問者の数は、震災前後で明確に分かれてしまったように感じます。

▼以下、震災数年前の写真です。f:id:wave0131:20190603205129j:plain市場の駐車場はあるものの、そこに駐めるため長い列ができていました。

f:id:wave0131:20190603205130j:plainそして、どの店舗内もこの人出です。もっとも当時は各店舗にハッキリした境界はなかったように覚えています。

f:id:wave0131:20190603205132j:plainもちろん観光バスもやって来て週末はごった返していました。

f:id:wave0131:20190603205133j:plain▼安いのか、いや、高いのか、本当のところは分からずとも皆んな勢いで買い求めているような雰囲気でした。f:id:wave0131:20190603205134j:plainもちろん都心のスーパーの鮮魚売場より種類も豊富で新鮮そうでした。

 

▼ケッコーいいお値段の「ウニの蒸し焼き」。飛ぶように売れて、みんなが舌鼓を打っています。f:id:wave0131:20190603205135j:plain

▼何を買い求めたのか、こんな様子があちこちに。f:id:wave0131:20190603205131j:plain

10年以上前の市場の様子ですから、人々の経済的な余裕も今よりあったかもしれません。

ライフスタイルも変化し、個人の観光に対する向き合い方も変化しつつあります。

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現在は市場は復帰したものの、店舗も訪問者も震災前の賑わいには戻っていないように感じ、また干物を扱う店が目立ったのは気のせいだったのでしょうか?

 

悲しく甚大な被害をもたらした津波を生んだ海の景色だけは、知らんぷりして今も変わらない事でしょう。

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二条城の御朱印、登城印?(京都市)〜限定御朱印授与、世界遺産登録、どちらも数が多くなると・・・

二条城の印です。f:id:wave0131:20190528190233j:plain

姿形は御朱印と同様ですが、御朱印の意味を追いかけると、この城の印は御朱印ではないことになります。

宗教に関係なく、寺社の印でもないとすると、限りなく記念スタンプ寄りになります。

駅の、郵便局のスタンプと変わりありません。

そこには授与する側、授与される側でも暗黙の了解があります。

この場合「授与」という言葉は適切ではないかもしれません。

現代の御朱印は本来の納経印からは遠く離れ、神社も御朱印を授与されるようになった頃から寺社ともに「参拝の証」「参拝記念」としています。

となると意味的にはその対象が違うだけで見学記念、訪問記念、来場記念、乗車記念などと大きな違いはないでしょう。

全国に多数ある城の印も、もっぱら墨書きに朱のスタンプというスタイルが寺社の御朱印と同じという事だけで収集者の対象になっているのでしょう。

登城印」「登城記念」という事になるのでしょうか、二条城のそれは予想通り日付以外プリント・印刷の書置きでした。

 

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今年、2019年3月に訪れた京都の3日間の中で一番の人出と遭遇しました。

f:id:wave0131:20190528190253j:plain▼初の訪問にアクセスを間違えたのか、お堀を回り込むように歩かされて拝観券売場のある東大手に向かうことに。f:id:wave0131:20190528190254j:plain

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▼「史跡 舊二條離宮」の石柱。二条城の文字は小さく表記されています。この先は拝観券を買う人が列を作っていました。f:id:wave0131:20190528190235j:plain600円の拝観券はスマホでも購入できることを後で知りました。それを利用すれば、長い時間ではないかもしれませんが並ばないで済みそうです。

 

▼大手門をくぐると第2の門「唐門」は家光の代に造られたそうです。f:id:wave0131:20190528190237j:plain日光東照宮もそうですが、豪華絢爛は家光好みのように思えてなりません。

▼別名「日暮の門ひぐらしのもん)」と呼ばれ、東照宮陽明門と同じ別名です。f:id:wave0131:20190528190236j:plain国内にはこの他にも、この別名を持つ門があるようです。

東京の山手線の駅に「日暮里(にっぽり)」があります。

そこも元は「ひぐらしのさと」と呼ばれていました。f:id:wave0131:20190528190255j:plain門の絢爛さに見とれ、また里ののどかさに時を奪われ、日が暮れてしまうのも気づかなかったようです。
f:id:wave0131:20190528190238j:plain▼諸国の大名たちは、何を感じながら、どんな思いでこの門を見上げたのでしょう?f:id:wave0131:20190528190239j:plain

▼城らしい建物として唯一残っている「二の丸御殿」です。f:id:wave0131:20190528190240j:plain

▼この広さがないと公家や大名のお供たちの居場所が確保できなかった?f:id:wave0131:20190528190241j:plain

f:id:wave0131:20190528190243j:plain二の丸御殿の内部はすべて撮禁です。

▼以下の写真3点はNETからお借りしました。f:id:wave0131:20190602150008j:plain「遠侍」の目線にある虎や、「大広間」の常緑の松は徳川の権威信の象徴でしょうか。f:id:wave0131:20190602145952j:plain秀頼や天皇を二条城に呼びつけた徳川の260年間続いたその威信も慶喜が終わりを告げます。f:id:wave0131:20190602150023j:plain関ヶ原の戦いから冬の陣、夏の陣を経て大政奉還に至るまで260年間の歴史が詰まった城は、本丸が現存しないだけに他の地に見る城とは異なり、その柔和なイメージは京都の世界遺産にふさわしいかもしれません。
f:id:wave0131:20190528190242j:plain京都には二条城以外は、再現した伏見城の他は城址しかなく、京都のイメージとしては出しゃばっていません。控え目です。f:id:wave0131:20190528190245j:plainしかし、もし本丸御殿が残っていれば、京都タワー八坂の塔のように誰しもがイメージする京都のランドマークになっていたことでしょう。f:id:wave0131:20190528190244j:plain世界中の人々が訪問する世界遺産としての二条城は、ゆっくりみて回ると2、3時間を要するかもしれません。f:id:wave0131:20190528190247j:plain明治維新に至る歴史や、歴代将軍、中井正清、小堀遠州という人物を知っていればいるほど、二条城の見学時間は長くなることでしょう。f:id:wave0131:20190528190246j:plain浅い知識しか持たない身は1時間ほどの見学で「もういいかな?」と思えてきます。f:id:wave0131:20190528190249j:plain日本の世界遺産文化遺産・自然遺産とで20以上もあります。

そして、また今年には大阪の仁徳天皇陵が「百舌鳥(もず)・古市古墳群」として新たに政界遺産として登録されるそうです。f:id:wave0131:20190528190248j:plain日本の世界遺産は初の法隆寺の1993年の登録にはじまり増え続けて、北は知床から南は琉球・小笠原まで、日本は世界遺産列島と言って良いくらいです。f:id:wave0131:20190528190250j:plainしかし、白神や知床などの自然遺産など様々な規制や制限がある遺産も多く、富岡製糸場のように「見るものが少ない」などと、一時のブームから遠のいていて、必ずしも期待ほどの地域振興に繋がっていない遺産登録もあります。f:id:wave0131:20190528190251j:plain長い目で見なければいけない世界遺産でしょうが、新たな世界遺産となる仁徳天皇陵も、訪問しても、あの前方後円墳の全体像が見える事はありません。また古墳ですので見学区域などの制限はかなり多くなることでしょう。f:id:wave0131:20190528190252j:plain日本の20以上の世界遺産が、国民や世界中の人たちに「世界遺産を見る訪問」を満足させるのは容易ではないかもしれません。

少なくともここ数年の登録遺産は、初期に登録された法隆寺、姫路城、京都、厳島神社などに比べると集客力やインパクトは比べ物にならないように思えます。

 

そして単純に数が多くなるだけでその希少性、アリガタミは薄れます。

ワタシたちの御朱印も同様です。

御朱印と関わっていると、どうしても世界遺産登録の数も限定御朱印授与を関連づけて考えてしまいます。

 

もちろん、全く別物であるのは分かっているのですが・・・。

 

胎安神社の御朱印(かすみがうら市)〜神秘的な参道と古い歴史を実感させてくれる静かな社

胎安神社(たやすじんじゃ)の御朱印です。(かすみがうら市西野寺)f:id:wave0131:20190528190256j:plain

丁寧な宮司さんの対応で、ワンコインお渡ししたら「はい、オツリを・・・」

いつものように「お賽銭がわりに・・・」と遮ると、お茶をいただきました。

▼「SANGARIA」だけど、ウレシー!

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霞ヶ浦に囲まれるような地域の「かすみがうら市」は、お決まりの平成の大合併で2007年に生まれた比較的新しい市。

本来は「霞ヶ浦市」となるのでしょうが、大合併でカタカナ、ひらがなの市が多く生まれたブームの一つでしょう。

霞ヶ浦」はかなり大きな湖です。

しかし、昔は海とつながっていた入江だったようで現状はラグーン。従って「湖」ではなく「浦」。

 

琵琶湖などのように有名でもなく、観光施設も多くはありません。

▼観光用の「帆引き船」。1960年代までは風力により網を曳きながらの漁が行われていたそうです。写真は茨城県のHPからお借りしました。f:id:wave0131:20190530111945j:plain当然ワカサギやコイ、ハゼ、エビなどの漁自体は現在も行われています。

ブルーギルブラックバスも生息していて釣り人には人気のようです。


▼神社は霞ヶ浦から数km離れています。一の鳥居でしょうか?f:id:wave0131:20190528190308j:plain
上の写真の道路を進むと、やがて神門の前に出てしまいます。

▼本来の表参道です。 進んでみて振り返りますと神門が見えます。
f:id:wave0131:20190528190257j:plain神秘的です。かつてはこの参道の両サイドに樹齢数百年を数える松が何本もあって杉並木を形成していたそうですが、全国的な松の木の病に負け、枯れてしまったそうです。

いずれにしても神秘性を感じるのは、いつもこんな空気の中。

人の多い所で神秘性なぞ感じられるはずはなく、常に別な雰囲気に呑み込まれる。


▼歴史が感じられる神門は、赤い瓦葺きがアンバランスかも。沖縄方面をしか思い浮かばない赤屋根です。f:id:wave0131:20190528190258j:plain1055年、源頼義、義家親子も安産祈願とお礼参りをして、その時の奉納札が残っているそうです。千年も彼方の昔ですが、この神社の佇まいですと容易に想像できます。f:id:wave0131:20190528190259j:plain

▼境内は広くはありませんが、綺麗には掃き清められています。f:id:wave0131:20190528190303j:plain

拝殿は可愛くコンパクトですが、奈良時代の創建と伝わる古い歴史が充分に感じられ雰囲気をもっています。

▼拝殿前の木は「不老長寿の杉」だそうです。f:id:wave0131:20190528190300j:plain

▼令和の幟と狛犬の白さが印象的です。向拝下の「笹竜胆」の紋は御朱印にも使われています。f:id:wave0131:20190528190304j:plain「笹竜胆(ささりんどう)」は源義家の家紋で、その使用を許されたそうです。f:id:wave0131:20190528190301j:plain

▼こんなちょっとした心配りが神社や、宮司さんの人柄が感じられます。f:id:wave0131:20190528190302j:plain

▼御神木の「子持ち松」は明治時代に枯れてしまったそうです。f:id:wave0131:20190528190306j:plainそれでも希望やお礼を記した数多くの絵馬が奉納されています。今は根元部分だけになり、覆いが施されています。

f:id:wave0131:20190528190307j:plain▼松の根元が「石を抱いて」います。f:id:wave0131:20190528190305j:plain

静かで、神秘性や歴史も感じられる、とっても居心地の良い神社でした。

 

御朱印に群がる人たち、縁結びの祈願女子たちが見当たらなく、そんなザワメキからもかけ離れた雰囲気だったせいかもしれません。

昨今はどの神社も人だらけ! もしくは現代的に綺麗に整えられたCafeのある境内。

そんな寺社の様子に毒されていた自分が、洗い清められたような気持ちになりました。

 

とは言いつつも、東京から60km以上離れ、車以外アクセスも良くない小さな神社にワザワザやって来るのは、やはり御朱印目当ても伴っているからでしょうね。

 

東京周辺でも人口数値的な地域の衰退が進んでいます。寺社の存続も同時に危ぶまれます。そんななかで、たとえ御朱印目当てでも寺社を訪れる人が絶えないとすれば、最低限のマナーさえ守れば、歓迎されるべき存在。

 

この神社でいただいたシオリの裏に「またのお越しをお待ちしております」の言葉を裏切らない朱印収集者でありたいものです。

 

胎安神社の御朱印は右下に月替りのスタンプが押されるようです。

その事はさておいても、ぜひ再訪してみたい神社でした。

 

御代替わりの今年、みなさんにも、ぜひの訪問をおすすめします。

 

 

 

 

成子天神社の御朱印(新宿区)〜数年ぶりの再訪、とんでもなくオシャレな境内にリニューアルされてた

成子天神社御朱印

なるこ てんじんしゃ主祭神:菅原道眞(東京都新宿区西新宿) 

 

成子天神社御朱印です(2019年)。

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達筆すぎて日付が読めない!「皐月一日」でしょうか?

 

 

成子天神社御朱印です(2013年)。

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どちらも個性的な「天満宮」の筆文字ですが、書き手は異なるような気がします。

 

東京はどこもそうですが、高いビルやマンションは幹線道路に面した部分だけで、

一歩横道に入ると民家や低い建物がひしめき合っています。

特にこの神社のある西新宿や、神社の裏手にあたる北新宿はその猥雑さは典型的で、

車で入り込むとこの先どうなるのかと、

不安にさせられる細い一通がクネクネと無秩序に張り巡らせれています。

 

▼コインパーキングを探しながら、神社の鳥居前の青梅街道から入った脇道です。

f:id:wave0131:20190528203828j:plainおいおい、大丈夫かいな?

以前この地域に住んでいたことがあるので、土地勘はあります。しかし、過去に様々な道で、何度も痛い目にあっているので、細い道路は「バックを覚悟」で進みます。

 

▼成子天神社の参道は、24時間交通量の多い青梅街道の歩道脇から始まります。

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▼6年前に訪れた際は仮本殿となっていて、境内はすべて工事中。

f:id:wave0131:20190530202233j:plain写真より、かなり雑然としてるなか、足の踏み入れられる場所も制限されていて何が何処にあるのか全く分からないような状態でした。


 

▼それが、こうなりました! 左の建物も当時は無かったような気がします。

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新宿駅から1kmも離れていない都心の神社らしいオシャレな姿に驚きました。

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年頃の男女も5、6年ぶりに再会すると、その変貌ぶりに驚くことがあります。

「少しハデになったけど、洗練されてるわ!」

「それにしても数年前のモッサリした印象はどこにいっちゃったの?」

この神社との再会はそんなイメージを抱かさせてくれました。

 

▼楼門の風神雷神も若々しい!

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▼新宿の真ん中と言ってよい立地だからビル群に埋もれそうだけど、境内に圧迫感はありません。植栽も新たに整えたのでしょうが、その緑の多さにホッとします。

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▼本殿階段上から振り返ります。雨模様の夕方近い時間にかかわらず、まだまだ御朱印を求める人たちが・・・。令和の夜明けの夕方ですから納得です。

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▼拝殿に向かって左手に境内社が並びます。水神宮のポンプ井戸は水が汲めます。

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▼神木の公孫樹の木も、羨ましいほど若々しく見えます。

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▼神楽殿は Cafe として利用できそうな雰囲気です。

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▼頑丈そうな神輿庫は参拝者への配慮が見えるものの、少し窮屈な感じがします。

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▼参道から始まる七福神も造りは「若々しい老人」たちです。

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▼拝殿から左手に来た参道に続く道です。通路のタイルもセンス良好!

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▼6年前の訪問では全く気づけなかった「成子富士」。

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ここにも富士塚があったとは・・・! やはり東京は富士塚だらけです。

ここは頂上まで登れる富士山です。

ゴツゴツした岩肌をみせる富士塚は当たり前ですが、緑に覆われそうな富士塚もステキです。

 

1100年以上の歴史を持つと伝わる神社です。

千年の歴史を大事にしながら、これから向かう千年も見据えているかもしれない、とてもステキに進化していた成子天神社でした。

 

 ▼「富士塚」関連の過去記事です。

wave2017.hatenablog.com

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