▼二条城の印です。
姿形は御朱印と同様ですが、御朱印の意味を追いかけると、この城の印は御朱印ではないことになります。
宗教に関係なく、寺社の印でもないとすると、限りなく記念スタンプ寄りになります。
駅の、郵便局のスタンプと変わりありません。
そこには授与する側、授与される側でも暗黙の了解があります。
この場合「授与」という言葉は適切ではないかもしれません。
現代の御朱印は本来の納経印からは遠く離れ、神社も御朱印を授与されるようになった頃から寺社ともに「参拝の証」「参拝記念」としています。
となると意味的にはその対象が違うだけで見学記念、訪問記念、来場記念、乗車記念などと大きな違いはないでしょう。
全国に多数ある城の印も、もっぱら墨書きに朱のスタンプというスタイルが寺社の御朱印と同じという事だけで収集者の対象になっているのでしょう。
「登城印」「登城記念」という事になるのでしょうか、二条城のそれは予想通り日付以外プリント・印刷の書置きでした。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
今年、2019年3月に訪れた京都の3日間の中で一番の人出と遭遇しました。
▼初の訪問にアクセスを間違えたのか、お堀を回り込むように歩かされて拝観券売場のある東大手門に向かうことに。
▼「史跡 舊二條離宮」の石柱。二条城の文字は小さく表記されています。この先は拝観券を買う人が列を作っていました。600円の拝観券はスマホでも購入できることを後で知りました。それを利用すれば、長い時間ではないかもしれませんが並ばないで済みそうです。
▼大手門をくぐると第2の門「唐門」は家光の代に造られたそうです。日光東照宮もそうですが、豪華絢爛は家光好みのように思えてなりません。
▼別名「日暮の門(ひぐらしのもん)」と呼ばれ、東照宮の陽明門と同じ別名です。国内にはこの他にも、この別名を持つ門があるようです。
東京の山手線の駅に「日暮里(にっぽり)」があります。
そこも元は「ひぐらしのさと」と呼ばれていました。門の絢爛さに見とれ、また里ののどかさに時を奪われ、日が暮れてしまうのも気づかなかったようです。
▼諸国の大名たちは、何を感じながら、どんな思いでこの門を見上げたのでしょう?
▼城らしい建物として唯一残っている「二の丸御殿」です。
▼この広さがないと公家や大名のお供たちの居場所が確保できなかった?
二の丸御殿の内部はすべて撮禁です。
▼以下の写真3点はNETからお借りしました。「遠侍」の目線にある虎や、「大広間」の常緑の松は徳川の権威信の象徴でしょうか。秀頼や天皇を二条城に呼びつけた徳川の260年間続いたその威信も慶喜が終わりを告げます。関ヶ原の戦いから冬の陣、夏の陣を経て大政奉還に至るまで260年間の歴史が詰まった城は、本丸が現存しないだけに他の地に見る城とは異なり、その柔和なイメージは京都の世界遺産にふさわしいかもしれません。
京都には二条城以外は、再現した伏見城の他は城址しかなく、京都のイメージとしては出しゃばっていません。控え目です。しかし、もし本丸御殿が残っていれば、京都タワーや八坂の塔のように誰しもがイメージする京都のランドマークになっていたことでしょう。世界中の人々が訪問する世界遺産としての二条城は、ゆっくりみて回ると2、3時間を要するかもしれません。明治維新に至る歴史や、歴代将軍、中井正清、小堀遠州という人物を知っていればいるほど、二条城の見学時間は長くなることでしょう。浅い知識しか持たない身は1時間ほどの見学で「もういいかな?」と思えてきます。日本の世界遺産は文化遺産・自然遺産とで20以上もあります。
そして、また今年には大阪の仁徳天皇陵が「百舌鳥(もず)・古市古墳群」として新たに政界遺産として登録されるそうです。日本の世界遺産は初の法隆寺の1993年の登録にはじまり増え続けて、北は知床から南は琉球・小笠原まで、日本は世界遺産列島と言って良いくらいです。しかし、白神や知床などの自然遺産など様々な規制や制限がある遺産も多く、富岡製糸場のように「見るものが少ない」などと、一時のブームから遠のいていて、必ずしも期待ほどの地域振興に繋がっていない遺産登録もあります。長い目で見なければいけない世界遺産でしょうが、新たな世界遺産となる仁徳天皇陵も、訪問しても、あの前方後円墳の全体像が見える事はありません。また古墳ですので見学区域などの制限はかなり多くなることでしょう。日本の20以上の世界遺産が、国民や世界中の人たちに「世界遺産を見る訪問」を満足させるのは容易ではないかもしれません。
少なくともここ数年の登録遺産は、初期に登録された法隆寺、姫路城、京都、厳島神社などに比べると集客力やインパクトは比べ物にならないように思えます。
そして単純に数が多くなるだけでその希少性、アリガタミは薄れます。
ワタシたちの御朱印も同様です。
御朱印と関わっていると、どうしても世界遺産登録の数も限定御朱印授与を関連づけて考えてしまいます。
もちろん、全く別物であるのは分かっているのですが・・・。