34観音になったのは、も少し時代を下り16世紀に「百観音信仰」の風潮が高まってきてからの事らしい。
何れにしても、全てではないにしても、鎌倉時代以前から各御堂が存在していた事になる。土着の古いかたちの神道が存在していた国に、伝来から500年で日本の隅々まで仏教が浸透して行ったのか? 勿論その頃は仏教も仏も、神の一部だったかもしれない。
地方の三十三観音霊場は、西国・東国には一般庶民がおいそれと行かれないから、地元で観音めぐりができるように、と言うのが大抵の起こりだろう。
秩父34札所の起こりも、おそらく同じなのだろう。
西国、東国に比べたら地方の霊場は、その地理的な規模は比べ物にならない。秩父は歩き遍路でも100kmに満たない。そんな秩父が何故、西国・東国に並び、百観音になれたのか? なぜ三つ目の霊場が秩父だったのか?
それも地理的には東国33の範疇にある。
西国・東国からもっと離れた地域にあるのなら分かる。東北とか、九州のように・・。
少し調べれば分かることではあるだろうが、ヤヤコシー事は避ける。疑問だけにしておこう。
自分の想像力では追いつかない。
断定したつもりはないが、前に秩父の札所のほとんどが檀家寺も兼ねているだろうと書いた。
大きな間違いだった。
1番札所を始め檀家組織を持たない札所がほとんどだそうだ。
このブログは「テキトー、無責任」と前置きしてるから許せ!
知ったかぶりはしないつもりだが、自分の理解、判断、想像が間違っていたのだ。
何しろ、このブログで解説的・案内的な手引書のような、お役に立つ事実内容を述べるつもりはないから、いきおい、私的な思い・想像などを並べ立てる。
だから、間違っていようが、何だろうが、構わない。間違っている事に気づいたら即訂正したいけど、詫びはしませんよ!「ゴメンなさい!!」
さて今週末は「お彼岸」、風があれば燃えるのは線香。
秩父もきっと秋らしく装いを徐々に整えることでしょう。
34札所とは別に、長瀞では「秋の七草寺めぐり」の御朱印がいただける。
▲秋の七草寺 萩寺
寒暖差の大きい秩父、初秋を見つけられるかもしれない一日は、歩いて巡っても余裕のある「七草寺巡り」が最適かな?
例年だと秋の七草のほとんどを今週末まで目にすることができそうです。
アレレ? したくない、案内書的言葉になってない?
いいか?! いいの、いいの!!
この札所の仁王?は、イメージを一新してくれる童子仁王。
睨めっこしていると、思わず自分もニヤけていた。
詳しくは他のサイトにあるわね!
34札所の寺の中で最高なネーミングだ、糸井も負ける。最高にチャーミングな名称。
そして一番興味深い寺でもある。
松風、音楽! と聞いて、人の瞼に浮かぶ絵は様々だろうけど、辛い風景は少なく、心和む風景を思い浮かべる人がほとんどだと思う。
しかし、この寺には「秩父事件」に関わる悲しい、辛い歴史の一部を担っている。
秩父事件?
当時、命を賭して時代に立ち上がらねばならなかった人々の勇気をたたえながら、この寺の高みから秩父盆地を眺めた。
歴史に興味はあり、知りたいものの、難しい話を人に語る力も知識も少ない。
音楽寺と秩父事件の関連はネットで、すぐ調べられますわよ!
▲26番 万松山 円融寺・臨済宗建長寺派・埼玉県秩父市下影森