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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

松山神社・伊佐爾波神社・愛媛県護国神社の御朱印(愛媛・松山市)〜道後温泉は、イモ洗い温泉?

 四国の松山に出かけたのに、有名寺社の事前知識がなかったし、時間もなかったのは3年前の事。

訪れた当日は、神社3社だけを巡りましたが、相変わらず、ここでは神社境内の写真は少ないし、所縁等の説明も無く、ソッケない!

寺社のカタログ的な要素をお望みの場合は、他のブログにお出かけください。

 

伊佐爾波神社御朱印です。(愛媛県松山市桜谷町)f:id:wave0131:20170804203143j:plainf:id:wave0131:20170804203144j:plain

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▼この神社「湯月八幡宮」「道後八幡」という別称があります。

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松山神社御朱印です。(愛媛県松山市谷東町)

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愛媛縣護國神社御朱印です。(愛媛県松山市御幸)

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▼松山デビューでした。せっかくだから道後温泉に入ってみます。f:id:wave0131:20190307162135j:plain
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初の道後温泉、入浴メニューの内容は豊富ですが、システムはヨクわからない!

当然の事ながらボンビーは一番安いメニューにするわね。400円? 「神の湯」と言うらしい。

道後温泉本館外観は風情があり、イカしてます。

建物内の雰囲気も及第。温泉湯そのものの質はよくわからないけど、浴室も歴史を感じさせるイイ感じ。

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しかし、いかんせん、混んでました。

ほぼ、イモ洗い温泉に近い。

湯に脚を入れる時、周囲の人たちを気遣わずにいられず「坊っちゃーん」と思いっきり湯しぶきを上げられない。

人と人のスキマを見つけ、ユルリと身体を沈めます。天井を眺める。

 

温泉の好みパターンは、深夜に入ること。

すると、ほとんどの温泉が独り占めです。

頭を湯船の縁にのせ、恥ずかしげもなく大の字に手足を広げる「アー〜〜ぁ、幸せ!」 と単純に生きてて良かったと思えます。

 

だが、ここ道後は人の声がワンワン響いています。

我が家のワンコも、びっくりなほど、ワンワンでした。

 

湯船というか、湯屋というか、400円で入れる温泉が2つに仕切られていました。

どちらも「アー〜〜ぁ!」と言ってられないほど同じように混んでいました。

漱石の「坊ちゃん」、恥ずかしながら読んでない。しかし、漱石の話は、約百年前。

その頃は、衣服を脱いで、思いっきり湯船に「ぼっちゃーん」と身体を投げ入れても平気、人に迷惑はかからなかったんでしょうねぇ!

 

日本最古の温泉は、サイコーではなかったのですが、この温泉の醍醐味は、座敷になっている休憩室の利用にあるのかもしれない。

いずれにしても温泉フリークではないので、ガッカリも、ビックリも、大きな衝撃もなく、記憶も希薄です。

 

しかし、温泉とは別に松山には、別な記憶が残っってます。

大した事ではないのですが、その記憶の方が鮮明です。

それは、

Continue 次回記事 !

伊奴神社の御朱印(名古屋・西区)〜喰って寝て散歩してウンコ! ワンコ、犬畜生になってみたい!

最近はペット同伴参拝OKの寺社が増えた。

だが、まだまだ少ない。

もちろんリードは当たり前、抱っこ、バッグの中など、様々な制約がある。

 

寺社でなくとも日常の生活圏の散歩途中の公園でもワンコの「大・小」を片付けない人がいる。

数多い人間の中で、必ず数パーセントの人間は世のルールを守れない。

もともと犬は畜生道だが、それより劣る飼い主がいる、餓鬼道だ。

だから寺社もペットは敬遠する。

しかし、

人間は夫婦・異性同伴、不倫同伴、愛人同伴、どれもおトガメなし。

やはり畜生道より劣る人たちもいるのに・・だ。

何故ペットが人より劣る扱いなのか、犬としても納得ゆかない。

 

ご存知のように、愛知県に犬を祀る神社がある。

主祭神の他に、伊奴姫神(いぬひめのかみ)も祀られているそうだ。

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伊奴神社御朱印です。(愛知県名古屋市西区稲生町2-12)f:id:wave0131:20170803195257j:plain

犬の王」というスタンプが押されている。犬の王とは何者だ?

W.ゴールディングの小説「蠅の王」というのは読んだ事がる。内容は忘れた。

 

神社にまつわる言い伝え、伝説ねっ! 「犬の王」で結構でございます。

 

 

▼いきなり舞台が変わります。我がファミリーの「犬の王」。本邦初公開。

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王らしくない頃、生後数ヶ月だった。

10年以上前、我が家に降臨した。汚れを知らない顔は、3年くらいは、人間も犬も同じだ。

 

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この頃は、まだまだ、子犬の「スタイル」を保っていた。

 

▼そして、さらに

f:id:wave0131:20170803195301j:plain数年後の夏の日の午後。彼女はすっかり「ドーナガ」になっていた事に気付いた。

しっかりミニチュアダックスフントになっていたのだ。

長茄子に負けてない。この光景は「ナスダック」。指数は不明だ?

 

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さらに彼女は歳を重ね、魅力的な女犬になった。女権を振りかざすわけではない。決して吠えない、決して噛まない。

このポーズも男犬に振られて、ガッカリしているわけでもない、この顔は普段顔、スッピン。

 

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このブログのプロフィール画像に使っている、彼女の勇姿? 憂姿? 鬱姿?。

カメラを向けると、何故かイヤがる、そっぽを向く。サイコーの表情になる。

世の中には、我が子に裏切られるまで、客観的に見る事のできない「親バカ」も沢山いる。

子供は、ある意味、親を裏切られなければ成長できないのに、である。

不幸な事に人間は年齢を重ねるごとに成長を求められる。フンベツとともに・・・。

 

そして、そんな話の対象となるのは犬である。曰く「犬は裏切らない」。

そうなのだ、犬は成長できない人間を哀れんで、こんな眼をしているのかもしれない?

彼女は長い間「喰って、寝て、散歩して、ウンチして」を繰り返してきた。それ以上の要求は無い。シンプルだ。

身体は衰えたけど、成長なんていうツマラないモノは望んでない。

犬畜生でケッコーよ! ワンッ! ワンッ!  ワン!バウ!ワウ!

f:id:wave0131:20170804043911j:imageそうね、私だって時には無駄泣きしたり、オモイッキシ吠えてみたいわ。

 

能成寺の御朱印(甲府市)〜「円」 丸くなれない身には「¥」と「酒場」をイメージ

▼定林山 能成寺御朱印です。(臨済宗妙心寺派山梨県甲府市東光寺町f:id:wave0131:20170802201240j:plain

 

 

山梨は甲府の能成寺。

甲府五山に数えられています。

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広くはない境内の様子、本堂、諸堂は視覚的には歴史を感じさせませんが、歴史好きには、きっと面白いほどの深さがあります。

寺は再建を繰り返してきたのでしょうが、さすが禅寺、古色は無いものの、すこぶる感じの良い寺です。手入れが行き届いています。

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こんな寺なら、ワタシも尼か、坊主になってもイイわねぇ?! と思わせるほど。

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▼境内の一角に禅の「円」があります。

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御朱印も一筆書きの「円」。眺めていると何とも心地よい。

訪問時のイメージや、この御朱印のおかげで、記憶の上位にある寺です。

 

禅寺では「円」を度々目にします。

▼京都の円窓。

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▼新潟の寺、ここにも「円」。禅寺では円はどこにでもあります。

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 禅における円の解釈、意味は、見る人に任せられているそうです。

「気は短く、心は尖ってる」わしは、「円」と言えば、タマに訪れるこんなイメージが真っ先に浮かんでくる。

 

同じ円ですが、ここは「丸」という酒場。悟りや真理には程遠い。

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いや、待て!「円」の解釈は人それぞれ勝手だとしたら、煩悩まみれだが、今のワタシにとっては「丸」も真理なのだろうね。

 

▼これも丸、円です。阿弥陀如来の右手ではありません。

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酒場の帰り際に支払いを要求された右手です。

 

丸くなれず、尖ってる自分は、当初、このブログでドクを吐こうと思っていた。

しかしブログという媒体には、事前に予想もつかなかったが、それを阻む要素がイッパイある。毒を吐けなくなった。

そこを考慮するようになったとしたら「丸く」なったということかしら?

人の角が取れると言う事が褒めるに値するのか、あるいはそこまで落ちたか、と解釈するか、人それぞれ。

無粋にも気持ちは、いつまでもトガっていたいけど、尖るのも疲れるわね!

丸くなったフリをしたほうが、ラクに切り抜けられる事のほうが多い世の中だってことはタシカねっ!

角は取れた方が、人が出来てる、と言う事?

ヤッパ、ワシにはもう少し先でよいようです。

 

▼人格の角はともかく、角が永遠にあった方が良いのは、サントリーの「角」です!?

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禅〜◯〜角 、とんだバチアタリな記事になってしまいました。

 

 

密蔵院の御朱印(埼玉・川口市)〜密造酒が届いた! 密だからこそ蜜の味?

▼海寿山 満福寺 密蔵院 本尊 延命地蔵御朱印です。

真言宗智山派・埼玉県川口市安行原)

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▼同じく密蔵院 不動明王御朱印f:id:wave0131:20170801202438j:plain

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山形の友人から「密造酒」が届いた。

山形の友は、あるメジャーな家電量販店のオール電化、住宅リフォーム部門に席を置いています。

 

秋田との県境に近い山奥に住まう老夫婦からオファーがあり、山形市内から県境近くまで営業に出かけたとか。

 

その友の性格は同世代や若者には嫌われることが多い。本人も営業職は嫌っているものの、その成績は本人の意に反して極めて良好。

何よりもお年寄りには滅法好かれます。話がうまい、そのうまさをウルサく感じる人も多々いるのですが・・。

老夫婦を相手に住宅リフォームの話をしているうちに、案の定、スッカリ好かれたらしい。

チョー山奥の田舎です。

お茶と自家製漬物を出され、話がリフォームから酒の話題に移った頃、やおら老主人が席を立ち「ちょと待ってろ!」と座敷の奥に消えたそうです。

それを目で追う老婦人、おばーちゃんは、ダンナが何をしようとしているか、とっくに理解しているようで、ニヤニヤしていたそうです。

主人が戻ってくる。両腕に一升瓶を1本ずつ、ぶら下げて縁側まで戻ってきました。

「これを持って、けぇれっ!」

一升瓶の中の液体は白い、白濁していたそうです。

ドブロクです。

こんな山奥で造る幾らかの密造酒には官憲の眼も緩やかのようです。

老主人は「ドブロク造りは、もう、何十年も繰り返している」とか。

もっとも近代において、酒税法酒類製造免許などが出現する以前は、ドブロクは密造でも何でもなかったはずです。

だから全国的にドブロク祭りが多く伝わり残っています。

 

▼そんな経緯から、珍しいからか、本人が全部を消化できないからか、おすそ分けに、スタイルの良い壜に移し替えて送ってきました。

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な味は好みではない。

好きな人や、造る人は、それが内緒で秘密に造られるからこそ、その味覚は蜜の味でしょう。

酒の話をしたかった訳ではありません。

」と「」の字、山と虫、部首脚の違いだ。

「密」はネット辞書検索すると「ひそかにしまっておくこと。また、そのもの。秘蔵。」とでます。秘密、そのままです。

「密」の字を用いている寺は数多くあります。密蔵院、彌勒密寺、大観密寺など、密教の寺院。

六波羅蜜寺は「蜜」を用い、サンスクリット語の音に漢字を当てはめています。般若波羅蜜多です。

そう言えば、壇蜜と言う訳の分からないタレントもいます。

あいかわらず何を言いたいのか、こちらも訳が分からず、焦点がボケっぱなしです。 

「密」は「蜜」と親戚。二つは密接だ。

 

今回記事の密蔵院密造酒と何の関係もありません。

▼ご覧のように桜満開時の参道周辺は、蜜の味の如くステキでした。f:id:wave0131:20200323163032j:plain安行桜」という種類で「沖田桜」とも呼ばれるそうで、ソメイヨシノより一足先に咲き、一足先に散ってしまうそうです。f:id:wave0131:20200323163023j:plainしかしソメイヨシノより色が濃く、見応え十分なサクラです。f:id:wave0131:20200323163018j:plain彼岸の頃の陽気により「安行桜」とソメイヨシノの競演も見られる年もあるそうです。f:id:wave0131:20200323163038j:plain

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▼山門前の「納めの不動」。f:id:wave0131:20170801202441j:plain

▼境内にも濃いピンクが溢れています。f:id:wave0131:20200323163028j:plain梅もそうですが、桜の木も品種が多くて、早く咲く桜は梅なのか、桜なのかわからない時があります。f:id:wave0131:20200323163042j:plain草木の名称など知識のない人間にとって、桜の品種といえば「ソメイヨシノ」「シダレサクラ」「カワズザクラ」「ヒカンザクラ」「ヤエザクラ」くらいを並べるのが精一杯です。でも名前を知っているだけで、見分けはつきません。f:id:wave0131:20170801202440j:plainしかし、品種などわからなくとも桜の花は平等に人々の目を楽しませてくれます。f:id:wave0131:20170801202444j:plain

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密蔵院へは、ぜひ春の彼岸前後に訪問して「安行桜」をお楽しみください。

▼寺のHPに開花情報も出ています。

密蔵院 埼玉県川口市

沖ノ島・写真展に行ってみた。神の秘境に少し近づけたような?

藤原新也撮影の、沖ノ島の情景と国宝の写真展が東京・高島屋で 開催されていた。開催は今日1日までだ。入場招待券を手に入れたので、最後の週末になる日曜に覗いてみた。10日間あまりの開催期間のせいか、あるいは週末のせいか、かなり混雑していた。世界遺産に登録されて間もない、入場券を買う人の列ができても不思議ではない。

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場内に入ると、いきなり床から人の背丈ほど、幅は3mほどの宗像大社沖津宮の写真に目を惹きつけられされた。

気にしなかったが、他の人が写真撮影していたので「撮影禁止」ではないのだろう。わしも iphone で撮影する。写真を写真に撮ることになるわけで、なんかヘンだが、深く考えないことにしよう。

場内の光源が落とされていて光量不足かボケてる。ホント、写真は下手だ。

f:id:wave0131:20170730140504j:plain宗像大社沖津宮

 

写真展を見に行った経験は少ない。これまでの写真展は、大きく紙焼きした写真を額に入れたものが展示されている、とういのがわしの概念だ。大きくてもB3サイズかA2サイズくらいまでというのがイメージだ。

写真が完成するまで、今ではフィルム撮影・現像・焼付けというアナログ時代のプロセスを踏まないだろう。

デジタルの今は、素人なら撮影後、いきなりプリンターへデータを送れば写真の出来上がりだ。

この写真展の大型サイズの写真は、素人が写真をプリントする内容にプラスして、入力から出力までを最先端の機材を使用して、さらにそれぞれのプロの目で調整、補正したものだろう。

たしかに撮影されたものだが、いわゆる物理的な「写真」というイメージからは、かけ離れている。まさにプリントであり、ポスターであり、壁面に投影された画像だと思えてくる。

f:id:wave0131:20170730140507j:plain近頃の写真展はこんな見せ方をするものが多いのだろうか?

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写真のウンチクはともかく、沖ノ島の情景には、その神秘性を感じさせられるとともに原寸大に近い大きさが、観る人を島の中に足を踏み入れたが如くに錯覚させる。

 

それにしても、島そのものが御神体という、人を寄せつけぬ、汚されぬ、持ち出されぬ、神聖な地に、わしらのほとんどは足を踏み入れて現実の姿を直接目にすることはできない。

大和朝廷時代から気の遠くなるほどの長い時間、掟といえども人の手によって犯されてこなかったことが奇跡のように感じる。

日本に残された唯一の秘境と言ってもよいだろう。

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f:id:wave0131:20170730143831j:plain純金製指輪

f:id:wave0131:20170730140508j:plain金銅製頭龍

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f:id:wave0131:20170730142313j:plain碧玉製勾玉

f:id:wave0131:20170730140505j:plain金銅製心葉形杏葉

 

日本の世界遺産さえ、数えるほどしか訪問していない。だいたいが感動の少ない人間だ。東京在住の人が東京タワーも、スカイツリーも訪問経験が少ないのと同様、相手は逃げやしない、いつもそこにある、いつでも行ける、とういう感覚もある。

 

しかし、この世界遺産は少し違う、いつもあるが、誰でも、いつでも行けない。そうなると、へそ曲がりには強力な魅力となる。単細胞だ。

以前、これ以上「もう世界遺産なんていらない」と言うような内容のことを書いた。しかし、この写真展に行って、そんな思いは完全にグラついた。そもそも遺産登録されなければ、自分の中では「宗像大社」と言う神社の存在以上の大きな意識対象にもなってないはずだ。

 

古代人とすれ違ってもおかしくないような島内の有り様に、どこよりも足を踏み入れてみたい誘惑にかられた写真展だった。

会場を出たら、九州本土から沖ノ島に向かって一人、小さな舟の艪を漕いでいる自分の姿が脳裏に描かれてた。幼稚だ。

 

といことで、宗像大社にも行ってないから、本日の御朱印掲載はおやすみ。

 

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