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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

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平安神宮の御朱印(京都市)〜桓武天皇の眼に映った大内裏と都の栄枯盛衰

平安神宮御朱印です。(京都市左京区岡崎西天王町f:id:wave0131:20191211130202j:plain

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▼同じく「四神」をモチーフにした朱印帳f:id:wave0131:20191211130208j:plain -----------------------------------------------------------------------------------------------------

 

平安神宮の祭神でもある第50代 桓武天皇は、奈良 平城京での仏教勢力や貴族の影響力に嫌気もさしていて都を長岡に遷しますが、10年の間に天災や祟りと感じられる多くの災いに見舞われます。

▼そして再び遷都したのがここでした。

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▼この地が選ばれたのは、朱印帳にもデザイン化されている「四神相応」の地であったからとも言われています。f:id:wave0131:20191211130336j:plain

四神」は

玄武」=北の丹波高地

蒼龍」=東の大文字山

朱雀」=南の巨椋池

白虎」=西の嵐山

と当てはめられる京都が「四神相応」の地とされたとも言われていますが、

青龍=鴨川、白虎=双ケ丘もしくは西山、山陰道、朱雀=巨椋池、玄武=船岡山・北山という説もあり正確なことはわからないようです。

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当時ですので科学的な根拠で選ばれたはずはなく、いわゆる占い・八卦によって決められた都です。f:id:wave0131:20191211130517j:plain

平安京大内裏を模して作られた平安神宮ですが、当時の大内裏平安神宮よりずっと西にあり、御苑の先、二条城の北あたりにあったそうです。f:id:wave0131:20191211130521j:plain

時代は決して平安ではなかったのですが、いずれにしても794年の遷都から明治に至るまでの千年の間は日本の都だった訳です。f:id:wave0131:20191211130426j:plain行政の中心は鎌倉、伏見へそして江戸に移り、商業の中心は大阪に移っていきましたが、首都は京都であり続けたのでした。

f:id:wave0131:20191211130509j:plain平安京は東西4.5km、南北5.2kmだったそうなので、現在の京都の街よりはるかに小規模なものだったようです。

そして平安時代末期には京内で戦の頻発、荒廃、政情不安により、清盛が福原に一旦遷都しますが、たった半年で元の京都にに戻ります。f:id:wave0131:20191211130451j:plain

さらに応仁の乱で京都はすっかり荒廃、衰退し、再び街として復興するのは室町時代に入ってからのことでした。そして千年後、幕末を迎え天皇は東京に移りました。f:id:wave0131:20191211130438j:plainそれからは戦時中の空襲は避けられたものの、しばらくは京都は忘れられたような存在だったのではないでしょうか。

確かに古都であり、歴史的・文化的に学ぶものの多い京都は、戦後の修学旅行などでは選ばれることの多かった街です。f:id:wave0131:20191211130513j:plain

しかし現在につながる観光でにぎわう街、とりわけ女性たちに人気の街になったのは、1965年にヒットした歌謡曲「女ひとり」や、同じく1970年の「京都の恋」あたりからで、さらに平安遷都1200年に当たる1993年の「そうだ京都 行こう」のTVCMのキャンペーンが成功し、続けて追い討ちをかけた世界遺産登録が古都の観光的位置を決定づけ、外国からの観光客が必ず訪れる街となったと言ってもいいでしょう。f:id:wave0131:20191211130441j:plainその観光的繁栄は、まだほんの半世紀にも満たない時間です。

いつまでも美しい部分を持った古都であり続けてほしいものですが、50年後、100年後も変わらぬ古都であることなど誰も保証してくれません。

京都に暮らす人たちをはじめ、国民すべてが守っていくべき財産であることは間違いのでしょう。f:id:wave0131:20191211130433j:plain

1200年前、内裏に立つ桓武天皇の眼に映った平城宮は、この平安神宮と大きな違いはないかもしれませんが、一歩、宮を出て京都の街を目にしたら目をひん剥くに違いない古都でしょう!f:id:wave0131:20191211130445j:plain

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▼金髪の方にはこういうものがお気に入りなのでしょうか。f:id:wave0131:20191211130501j:plain

▼「四神」のひとつ、西の「白虎」です。この右側に「蒼龍」の手水もあり、それぞれ白虎楼蒼龍楼とで対になっていました。f:id:wave0131:20191211130505j:plain平安神宮は大勢の観光客でも、そのだだっ広さの中に騒々しさも吸収していましたが、▼さらに静かな路地裏で一休みします。f:id:wave0131:20191211130226j:plain意意味不明な店名ですが、f:id:wave0131:20191211130250j:plain

▼抹茶ラテの渦も、店内も時が止まったように静寂に満ちていました。f:id:wave0131:20191211130245j:plain

 

平塚神社の御朱印(東京・北区)〜平成の平塚城と 大正の旧古河庭園

平塚神社御朱印です。(f:id:wave0131:20191209193312j:plain

武芸上達」のスタンプは、神社の祭神を「八幡太郎」とすることからでしょう。

しかし、2つのカラフルな日の丸扇のスタンプは何なのでしょう?

神社の祭神は、源義家とともに弟の義綱・義光も祀られています。

その源義光は武田氏、佐竹氏の先祖となるそうです。

スタンプの日の丸扇は「佐竹扇」とも呼ばれているので、その繋がりかもしれません。

 

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神社の最寄駅、というより神社裏の崖下がJR京浜東北線上中里駅」になっていますが、利用したことのない駅です。

神社前の本郷通りの地下は東京メトロ南北線が走っていて「西ヶ原駅」も近くにありますが、利用したことのない駅です。

▼そんな無知な地域に「平塚」です。無知でも神奈川の平塚と混同してはいません。f:id:wave0131:20191209193320j:plain

▼平塚は地名ではないようです。神社のHPからの抜粋引用です。

平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。

なるほどです! 平塚は「平らな塚」だったのです。神奈川の平塚も同じかもしれませんが、なぜか納得!

▼神社の歴史は古いので当然「江戸名所図会」に載っています。f:id:wave0131:20191210192553j:plain

図会の右上に「平塚明神社 鎧塚 別当城官寺」、また左には「此辺すべて平塚の城跡なり」の文字が読めます。

かつての城は跡だけになり、江戸時代には神社から長い参道が延びているのが描かれています。

▼その長い参道は現在も残されているものの左右は駐車場にされてしまっています。f:id:wave0131:20191209193325j:plain

▼長い参道の半ばで車の姿は消えて、ホッとします。f:id:wave0131:20191209193330j:plain

▼社殿はコジンマリとしてますが、バックに緑を従え、寺のお堂のようで素晴らしい姿をしています。しかし祀られている武将たちには少々窮屈かもしれません。f:id:wave0131:20191209193334j:plain

▼神となった武将たちへの訪問者に睨みを効かせる用心棒は軟弱ではありません。f:id:wave0131:20191209193342j:plain▼荒ぶれた岩を這い上がってこなければ武将にはなれません。サァ、登れ!f:id:wave0131:20191209193338j:plain

▼東京の「平塚」です。f:id:wave0131:20191209193347j:plain

かつてはこの地に豊島氏の「平塚城」があったものの、関東管領 上杉のもと、太田道灌が落城せしめたと伝わります。f:id:wave0131:20191209193350j:plain

平安時代後期から戦国時代の荒波を乗り越え、江戸時代の安定期から、明治の神仏分離の嵐、さらに昭和の戦火から令和に至るまで歴史を見つめてきた神社です。f:id:wave0131:20191209193355j:plain

▼そんな未来に続く神社の空は、今、このひと時は 平塚、いや「平和」です。f:id:wave0131:20191209193358j:plain

 

▼平塚神社へのアクセスはいろいろありますが、参拝前、参拝後のどちらかで、絶対ここに寄り道しましょう!

▼神社前の道案内にも出ています。f:id:wave0131:20191210201530j:plain

▼現在は国の名勝に指定されている「旧古河庭園」です。f:id:wave0131:20191210202109j:plain

歴史は平塚神社ほどではないですが、同じく明治から現代まで激動の時代をくぐり抜けてきて建ちづけている元古河財閥の邸宅です。f:id:wave0131:20191210201449j:plain

バラ園でも有名ですが、和と洋の異なる二つの庭は、どの季節に訪れてもその景観に魅了されるはずです。f:id:wave0131:20191210201435j:plain
神社も庭園も深い歴史を持っていますが、その全容を知ったところでスグ忘れます。f:id:wave0131:20191210201412j:plainそれでイイと思います。イイというか、許されるのです。

凡人は知を求めても、知を貯蓄できないことを知らされます。

この庭園には神社参拝で体感した空気感とは全く異なり、神ではなく人の息吹が感じられるはずです。

革堂=行願寺の御朱印(京都市)〜1000年の歴史の寺と 90年の歴史の喫茶店

革堂 霊麀山 行願寺西国三十三所第19番の御朱印です。

天台宗京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町f:id:wave0131:20191209163510j:plain

▼同じく御詠歌。f:id:wave0131:20191209163504j:plain

寺が通称「革堂」というのも、また「こうどう」と読ませるのも珍しいのですが、寺のHPを覗けば、少し理解できます。

 

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▼千年の歴史を持つ革堂(こうどう)は、寺町通りを北へ進むと御苑の手前で通り沿に門を構えています。

f:id:wave0131:20191209163528j:plain門前で立ち止まるお二人はご夫婦でしょうか? ある程度年齢を重ねて夫婦で三十四所を巡られるような環境、関係は微笑ましくも、羨ましくも感じられます。

 

ところで、西国三十三所霊場は全行程1000kmあります。

坂東三十三は1300km、四国八十八箇所1400km。秩父三十四観音は桁違いで100km。f:id:wave0131:20191209163548j:plain

秩父音霊場の行程は短かすぎるので距離の話にはなりませんので除きますが、西国は坂東や四国より短い1000km。f:id:wave0131:20191209163557j:plain西国や坂東を歩いて巡礼する人は滅多にいないと思います。

ほとんどが車やツアーバス利用か、電車バスの公共交通機関の利用で巡る人がほとんどでしょう。f:id:wave0131:20191209163533j:plain

それでも近畿の2府4県と岐阜県に広がっている行程距離1000kmに変わりはありません。f:id:wave0131:20191209163524j:plain

前にも記事にしているかもしれませんが、関東在住の人間が三十四所を制覇するのは容易ではありません。

時間と予算ができたとしても、徹底して三十四所だけに絞って巡るというのは勇気のいることです。

なにしろ仕事を持つ関東人が遊びで関西方面へ出かけるのでさえ頻繁にはできないことです。

いざ計画を立ててみても、三十四所のいく先々で他に訪問してみたい、参拝してみたい寺社が山ほど出てきます。f:id:wave0131:20191209163544j:plain

特に奈良や京都などでは誘惑に勝てません。そんな寄り道をしていると、3泊4日や、4泊5日はあっという間に過ぎてしまいます。

三十四所に絞って、弾丸巡りをしても最低4泊は必要かと思います。

ということでワタシも三十四所の1/3も巡られていません。この先も全く予定は立てられないでいます。f:id:wave0131:20191209163536j:plain

そんなワタシにとっては数少ない貴重な西国の御朱印ですが、そんなことから遠方に参拝する人に「私にも御朱印をいただいてきて!」と人に御朱印を依頼する輩が出てくるのでしょうか?f:id:wave0131:20191209163540j:plain

まさか三十四所の札所が、何冊もの御朱印帳を持参する人に、同じ御朱印をいくつも授与することはないと思いますが・・。ツアコンは別です。

 

▼と思いますが、世は「猫も杓子も御朱印。どんな収集者が出てきても不思議ではないかもしれません。f:id:wave0131:20191209163553j:plain

「猫も杓子も」訪れるのではないかと思われる喫茶店寺町通りにあります。

「スマート珈琲店」は休日には観光客を含め大抵行列ができているようです。f:id:wave0131:20191209163626j:plain

革堂の1000年には遠く及びませんが、90年近い歴史を持ち、いくらかレトロな雰囲気の店内は、Cafeではなく完璧な「茶店」です。

▼コーヒーも美味しいのですが、行列の皆さんの目当てはコレです。f:id:wave0131:20191209164834j:plainこのほかタマゴサンドなど、どれも美味しく行列ができるのも納得です。

三条あたりに宿泊して寺町通り周辺の寺社巡りの朝にはモッテコイの「喫茶店」です。

声高な Chinese に落ち着きを乱されることもありますが、ここは京都・・・。

西新井大師=総持寺の御朱印(東京・足立区)〜厄除けはどこにする? 大師? 不動? 神社?

西新井大師 五智山 遍照院 總持寺御朱印です。

真言宗豊山派f:id:wave0131:20191206151341j:plain

上の「弘法大師」がメインの御朱印になります。もう1種類「大願成就 不動明王」の御朱印もいただけます。

▼関東三十六不動霊場 第26番の御朱印

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正式には鶴見の「総持寺」と同じ名称ですが、こちらは「西新井大師」のほうが通用するようです。

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東武伊勢崎線、今は東武スカイツリーライン線と呼ぶようですが、その「西新井駅」から「東武大師線」が延びています。

と言っても本線に乗り入れてはいません。単線で区間は1km、始発と終点の2駅だけです。

神奈川の川崎に同じ「大師線」の名称を持つ「京急大師線」がありますが、そちらは複線、4.5kmで7駅。初めから川崎大師の参拝客を輸送するために開業されたそうです。

 

東武大師線」も参拝客を輸送するためかと思っていましたが、それにしては「西新井大師」はわざわざ1路線を開業するほど参拝客は多くなく、有名でもないのになぜ路線がある?

西新井大師」さんには失礼な話ですが・・・。

 

調べてみると昔、西新井上板橋を結ぶ11.6kmの路線が計画されていて、ほぼ現在の環状7号線と同じルートが立案されていたものの、関東大震災以降、さまざな事情により断念されたそうです。

 

事前に用地買収などが進んでいた西新井と大師前を結ぶ1kmだけが、当初「西板線」という名称で開業したそうで、その後「大師線」と改称されたようです。

これで西新井大師に「大師線」という路線があるのを納得できました。

京急大師線」とは違い、当初から参拝客輸送のための路線ではなかったのです。

 

▼その「大師前駅」から寺へは東門に出る近道もありますが、山門を正面に見る参道に入ると、とっても懐かしく感じる昭和レトロな店舗に出会えます。

f:id:wave0131:20191206151408j:plain東京でもつい最近までは、こんな店舗がまだあちらこちらにあったように思いますが、気づいたらいつの間にかなくなっていた、というのがほとんどです。f:id:wave0131:20191206151422j:plain

西新井大師禅宗でもないですが、ダルマを売る店が・・。日本では神社でも売られていますので、達磨大師や宗教にとらわれず人気があれば扱うのでしょう。f:id:wave0131:20191206151419j:plain

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▼山門の扁額には山号の「五智山」。f:id:wave0131:20191206151433j:plain「五智」とは大日如来の五つの智慧を示すそうですが、少し難しいので突っ込まないことにします。f:id:wave0131:20191206151437j:plain仁王像を見ていると、いつも思うのですが、神社の狛犬と同じく2つとして同じ像はなく、表情も様々なことが不思議です。当たり前といえばアタリマエですが・・。f:id:wave0131:20191206151441j:plain狛犬も仁王も役目は同じ。赤く塗られているのはダルマと同じで、病気や災いを防ぐ魔除け効果としての「赤」なのでしょう。

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▼五色幕が美しい大本堂では護摩祈祷の最中でした。普段は1日6回行われているそうです。当然、正月などはもっと多くの回数が行われるそうです。f:id:wave0131:20191206151508j:plain

▼その大本堂への階段を上がって、お参りしたらそのまま回廊を裏へ回れば「ご朱印処」の案内があります。f:id:wave0131:20191206151401j:plain

▼訪問時は4月の連休のせいか大勢の人が御朱印を求めていました。f:id:wave0131:20191206151355j:plainここの受付は窓口がありません。御朱印を求められると、その都度入口の扉が開閉されて対応していただきます。大勢の時は少し煩わしさを感じなくもありません。

 

▼境内を散策してみます。f:id:wave0131:20191206151447j:plain

ところで「関東厄除け三大師」という区分けがあります。f:id:wave0131:20191206151459j:plain

ここ西新井大師川崎大師観福寺香取市)の3つを指すそうです。f:id:wave0131:20191206151504j:plain

もう一つ「良源 元三大師」を本尊とする天台宗寺院の「関東三大師」という区分けがあります。これは佐野厄除け大師川越大師青柳大師前橋市)の3つだそうです。f:id:wave0131:20191206151957j:plain

また同じ厄除けで「関東三大不動」では、成田不動高幡不動不動ヶ丘不動の3寺が名を連ねています。f:id:wave0131:20191206152001j:plain

さらに「関東厄除け三不動」という区分けもあります。千葉厄除け不動目黒不動飛不動の3寺です。f:id:wave0131:20191206151525j:plain

整理しますと「関東厄除け三大師」「関東三大師」「関東三大不動」「関東厄除け三不動」の4つに分類されますが、ちっとも整理になりません。f:id:wave0131:20191206151404j:plain

おまけに、どの神社でも厄除け祈願は受け付けています。

厄年に当たる人はどの寺で、どの神社で厄除け祈願しようか迷うかもしれませんが、その効力? ご利益はどこも同じなのでしょう。

そもそも「厄年」は科学的にも医学的にも根拠はありませんし、どこからその話が出てきたのかも不明です。しかし平安時代にはもう存在していたそうです。

古くからの日本の慣習と捉えて、あまり深刻に考えないほうがいいかもしれません。

「厄年」や「厄払い」については、長くなりますのでまたの機会に記事にしましょう。f:id:wave0131:20191206151513j:plain

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▼それにしても東門前の牡丹園から見る堂宇は美しく、眺めているだけで厄除けになりそうでした。f:id:wave0131:20191206151517j:plain
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wave2017.hatenablog.com

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高木神社の御朱印(東京・墨田区)〜「からかい上手の高木さん」の先に「原色の街」

高木神社御朱印です。(東京都墨田区押上)f:id:wave0131:20191204130110j:plain

▼同じく、令和の新元号記念の御朱印f:id:wave0131:20191204130045j:plain

▼祭神が高皇産靈神タカミムスビノカミ)ということから「むすび石」をいただきました。神社も寺も言葉遊びがお好きなようです。直径1cmほどの「おむすび」です。f:id:wave0131:20191204131023j:plain

▼アニメとのコラボは大成功のようです。f:id:wave0131:20191204130140j:plain

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▼ここ3年ほどの間に御朱印収集者の誰もが知っている神社になっています。f:id:wave0131:20191204130201j:plain

室町時代の創建だそうですので、歴史のある神社であることは確かです。

しかしどうして急に賑やかになったのかわかりません。f:id:wave0131:20191204130117j:plain

アニメとのコラボで御朱印目当て以外にも参拝者が増えたこともあるでしょうが、コラボするちょっと前からも御朱印がビジュアル化されていたように理解しています。

その頃からでしょうか、この神社に参拝者が多くなったのは。f:id:wave0131:20191204130157j:plain

地域性などから見ても、現在のように神社前の細い道路に他地域からの参拝者が大勢行き交うような神社ではありませんでした。f:id:wave0131:20191204130153j:plain

アニメに特別な関心を持たない者にとっては、ここ数年の聖地巡礼者の増加や、この神社のように直接コラボする寺社の増え方に面食らうばかりです。f:id:wave0131:20191204130129j:plain

そういう急に話題となっている寺社に、いち早く訪問してみようという気持ちにはなかなかなれませんが、やっと参拝してみようという気持ちになりました。

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訪問日が日曜日だったせいもあるでしょうが、予想通りたくさんの参拝者が入れ替わり立ち替わりやってきていました。
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歴史ある寺社が「アニメとコラボ」は、数年前までは「異例」と報道されてきましたが、もうすっかり慣れっこになってしまいました。異例でもなんでもなく、定着したという言葉のほうがピッタリくるようなイメージです。f:id:wave0131:20191204130133j:plain

一方では一般参拝者から、神社の雰囲気をこわすという批判的な声もあるようですが、寺社側、御朱印収集者、アニメ聖地巡礼者がそれぞれの立場でルールとマナーを築き、守っていけば、その文化や繁栄を維持していくうえで、より良い関係となっていくことでしょう。f:id:wave0131:20191204130125j:plain

そんな事から神社には「高木さん」が溢れているものと予想していましたが、溢れているのは「おむすび」でした。f:id:wave0131:20191204130145j:plain

▼ご御朱印や、御朱印帳、そして境内には山盛りの「おむすび」です。f:id:wave0131:20191204130136j:plain

アニメも人気でしょうが、やはり「縁結び」は万人に共通の人気のようです。f:id:wave0131:20191204130149j:plain

▼境内の隅に富士講の碑。明治31年「山玉 向嶋 講社」の文字がはっきり読めます。f:id:wave0131:20191204132139j:plainこの地域には柳島・寺島・牛島という名称がて点在しています。向島は、かつては隅田川西岸から見た「川の向こうの島」として総称で使われていたとも言われています。

そんな向島には花街が存続していて、現在も芸妓数100名以上で花柳界を守っているそうです。

 

また向島花柳界とは似ていて異なる側面も見つけることができます。

 

▼高木神社前の細い道路、鳥居を出たら北方向にそのまま真っ直ぐ進み、大きい通りを2つ横切って、神社からは500mほどのところで、この商店街の入り口に突き当たります。

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▼「鳩の街」です。鳩がたくさんいるわけではなく、知らない人にとっては意味不明な名称かもしれません。f:id:wave0131:20191204130249j:plain

▼昼下がりの商店街は閑散という言葉以上に人通りがなく、一見何でもないありふれた下町の商店街です。f:id:wave0131:20191204130219j:plain

しかしこの地はかつては、吉行淳之介永井荷風のほか、安岡章太郎三浦朱門近藤啓太郎小沢昭一など、一世代前の作家や芸能人たちが多く出入りしたことで知られています。

▼この地を舞台にして荷風は戯曲を、吉行は「原色の街」という小説にしています。f:id:wave0131:20191204132230j:plain

▼「原色の街」の名残りを探しに「鳩の街」の裏通りを歩いてみます。f:id:wave0131:20191204130230j:plain明らかに一般住宅には必要のない装飾や「R」が施されている古い建物が残っています。「娼家」です。f:id:wave0131:20191204130234j:plain1958年までにこの地は特殊飲食店街、いわゆる「赤線地帯」でした。f:id:wave0131:20191204130227j:plain最盛期には娼家は100軒以上、接客する女性の数は300人ほどいたそうです。f:id:wave0131:20191204130223j:plainかつては東京にいくつもあった「原色の街」は、もうほとんどその姿を見つけることはできません。f:id:wave0131:20191204130242j:plain掲載のいくつかの写真も神社訪問日より少し前に撮影したもので、建物が現在も残っているかどうかわかりません。f:id:wave0131:20191204130238j:plain半世紀以上前に建てられたほとんどの建物が老朽化のため取り壊されています。f:id:wave0131:20191204130245j:plain原色の街」 の記憶は遠ざかり、スカイツリーの見える街に変わっていくようです。