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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

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高幡不動の御朱印(東京・日野市)〜日野七福神めぐり❹弁財天 〜7年振りの不動明王

▼高幡山 金剛寺真言宗智山派別格本山・

日野七福神 昌福弁財天御朱印です。

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寺名は「金剛寺」ですが、通称の「高幡不動」のほうが通用するようです。

御朱印は午後4時近くに受付をお願いしました。

「受取は1時間後」との案内がありましたが、現実は30分強でした。

 

▼同じく本尊 不動明王(多摩新四国八十八ヶ所霊場88番札所)の御朱印高幡不動の代表的御朱印です。f:id:wave0131:20200122145136j:plain

朱印帳への直書きは1種類のみということで、本尊の御朱印は書き置きです。

 

▼同じく、2012年にいただいた本尊の御朱印f:id:wave0131:20200122145547j:plain

▼同、2012年の関東三十六不動の差し替え御朱印f:id:wave0131:20200122145541j:plain

高幡不動は複数の霊場札所となっています。

一度に全部はいただけないかもしれませんが、5種類の御朱印がいただけます。

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▼日野七福神も大詰めの高幡不動前の川崎街道は大渋滞。

駐車場への車の列が渋滞原因を作っていました。

駐車する車は一般参拝、護摩焚き、車祓の3種類に分別されて、それぞれの駐車場に導かれました。

▼駐車場から歩いて、ここは車祓用のお堂「交通安全祈願堂」。大きな太鼓の音と般若心経の読経が漏れ聞こえてきます。

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高幡不動へは関東三十六不動で参拝したのが2012年ですので、それから7年以上が経過しています。f:id:wave0131:20200122145736j:plain

室町時代建立と伝わる「仁王門」は、当時の記憶と変わらないように思います。
f:id:wave0131:20200122145728j:plain初詣の賑わいは関東三不動に数えられるだけあって、大変な人出になっています。f:id:wave0131:20200122145556j:plain

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▼仁王門をくぐると「不動堂」まで参拝のための列ができています。f:id:wave0131:20200122145600j:plain7年前訪問の折は、どこもかしこも工事中でほとんどの建物がホロを被っていて、とっても落ちつかない境内だったことを覚えていますが、今回の参拝ではすべて整備改修が済んだようで、まだ真新しく感じる建物ばかりが目立ちました。f:id:wave0131:20200122145609j:plain

▼不動堂の裏になる「奥殿」も朱の塗装がまだ新しく、眩しく感じます。f:id:wave0131:20200122145756j:plain

▼もとは平安時代に造立されたと伝わる「丈六不動三尊像」も修復を終えてから、それほど時間がたっていないようです。ここでは参拝者の列はないのでしっかりお参りできます。f:id:wave0131:20200122145752j:plain

▼奥殿の右隣は「上杉憲顕公墳」の扁額があります。足利軍との戦いに敗れここで自刃したそうです。f:id:wave0131:20200122145604j:plain

▼最初に参拝した時は「五重塔」もまだ未完成だったように記憶しています。f:id:wave0131:20200122145613j:plain

▼塔先端の相輪までの高さは45mで、完成まで5年の時間を要したそうです。f:id:wave0131:20200122145706j:plain

▼その扁額は可読できません。f:id:wave0131:20200122145711j:plain

▼仁王門からまっすぐ進んで、ここが一番奥になる「大日堂」は総本堂になります。f:id:wave0131:20200122145622j:plain

▼大日堂の天井には「鳴り龍」が描かれていて、ここから拝観できるようですがパス!f:id:wave0131:20200122145626j:plain

何しろ境内は広すぎます。一旦御朱印をお願いしてきましたが、まだ肝心の七福神を参拝していません。

▼弁天堂は仁王門の近くにあり、どうやら通り過ぎてしまったようです。f:id:wave0131:20200122145732j:plain

▼どなた様か知識ありません。f:id:wave0131:20200122145636j:plain

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▼境内の左手の山越えをしながら弁天堂を目指してみます。f:id:wave0131:20200122145631j:plain

▼「鐘楼」まで登ってくると、もうここは静かで散策している人は僅かです。f:id:wave0131:20200122145640j:plain

▼日暮れ間近です。下から参拝者のざわめきが伝わってきます。f:id:wave0131:20200122145644j:plain

▼季節になると見事なアジサイに覆われるようです。白い札はすべて花の名称が書かれていました。f:id:wave0131:20200122145649j:plain

▼こちらはミニ八十八ヶ所巡りができます。f:id:wave0131:20200122145653j:plain

▼「山内八十八ヶ所」第一番です。f:id:wave0131:20200122145657j:plain

▼第二番で引き返しました。根性なしです!f:id:wave0131:20200122145701j:plain

▼山を降りて、やっと弁天池に到着です。f:id:wave0131:20200122145720j:plain

▼誰しも弁天様のお姿を拝見したく、幔幕の下から覗き込みたくなるようです。f:id:wave0131:20200122145715j:plain

▼境内には屋台もたくさん出ています。夕方近くで焼きイカの香ばしい匂いに負けて1串噛りつきました。

イカの不漁がニュースになりますが、それでも露店では最も原価率の低い商品かな?f:id:wave0131:20200122162006j:plain

▼お休み処にも釈迦三尊が光り輝いています。f:id:wave0131:20200122145749j:plain

御朱印待ち時間「1時間」と案内されていたものの、30分以上経過したところで恐る恐る受付に問います。

案内時間前なので「まだですっ!」と言わせたくなく、せっつきたくなく、急がせたくもないのですが、案内の「1時間」いうのは半ば良い意味のハッタリと予想しました。

案の定、無事記帳されていました。ありがとうございました。

 

▼最後に土方さんにも挨拶して、日野七福神巡りを終えます。f:id:wave0131:20200122145745j:plain

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高幡不動は1時間ほどの滞在でしたが、まだまだ訪問してない箇所やお堂をたくさん残しています。

今度は普段の日に三度訪れ、ゆっくり境内を散策してみたいものです。

宗印寺の御朱印(東京・日野市)〜日野七福神めぐり❶布袋尊 〜しばられ布袋のような「善の綱」

▼大澤山 宗印寺曹洞宗

日野七福神 布袋尊御朱印です。

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▼同じく本尊 観世音(武相観音霊場44番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200122113319j:plain

各500円でした。500円は真照寺とここだけで、他の5寺はホッとする300円でした。

 

武相観音霊場は1759年に開創されたと伝わる、卯年に開帳される、南多摩地区・相模原市を中心とする48ヶ所の霊場だそうです。

それにしても全国に無数にある霊場は知らないものばかりですが、やはり観音霊場が多く、当時の人々のすがるような熱い観音信仰が各地域に展開させていったのでしょう。

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▼日野七福神 6ヶ所目の宗印寺は丘陵の麓にあります。

▼午後も3時を過ぎていましたが、まだまだ七福神めぐりの参拝者がやってきます。f:id:wave0131:20200122113329j:plain

こちらは日野七福神では唯一の禅寺です。

▼鮮やかな紺色の山号は難読ですが「大澤山」。f:id:wave0131:20200122113414j:plain

f:id:wave0131:20200122113333j:plain宗印寺の開創は慶長4年頃と言われていますので、1600年の関ヶ原の戦いの前年あたりとなります。「4年頃」としていますので、関ヶ原の戦いの頃と言ったほうが正解かも。f:id:wave0131:20200122113403j:plain

しかし、その開創の以前から庵が開かれていたそうで、それは700〜800年前になるそうです。どの寺もそうでしょうが、永い時間の中で盛衰を経て現在の姿になっているのでしょう。f:id:wave0131:20200122113359j:plain

▼境内の西の隅に2つのお堂が建っています。f:id:wave0131:20200122113338j:plain

▼その一つは地蔵堂になるのでしょうか?f:id:wave0131:20200122113407j:plain

▼内部はこんな様子です。f:id:wave0131:20200122113355j:plain案内板によると後方は左右に500体ずつの金色の千体地蔵で、江戸時代初期のものと推定されるそうです。

中央の木造坐像は、千体地蔵を草創した地元の平山季重という武将だそうで、この像も江戸時代前期に造られた考えられているそうです。

ちょっと見は、フリマに展開する骨董屋のような様子です。手前にいくつも並べられた小さな仏像がそんな風に感じさせられたのですが、バチ当たりでしょうね?f:id:wave0131:20200122114609j:plain

▼もう一つのお堂に布袋尊がいらっしゃいました。f:id:wave0131:20200122113411j:plain

▼建物はお堂というより風通しの良い東屋風でした。f:id:wave0131:20200122113342j:plain

▼思いっきりの笑顔で迎えてくれます。f:id:wave0131:20200122113351j:plain

▼ここでも「善の綱」で布袋さんとご縁を結べます。f:id:wave0131:20200122113346j:plain

しかし布袋さんの手が出ていないので綱は胴体に結ばれていました。

なにやら「おなわ」にかかった布袋さんのようで、気の毒やら、笑えるやらで、またしてもバチ当たりな感想になってしまいました。

ゴメンナサイ! ホテイさん!!

でも「笑門来福」です。

さて日野七福神も大詰め。最後の高幡不動に向かいます。

正月5日ですが、有名な高幡不動はまだまだ混雑が予想されますので、七福神めぐりの最後にしましたが、どんな様子でしょうか?

次回の記事とします。

善生寺の御朱印(東京・日野市)〜日野七福神めぐり❺大黒天 〜大仏はじめ仏像の賑やか大展覧会場でした

▼大久山 善生寺法華宗

日野七福神 大黒天御朱印です。

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▼同じく御首題。難なく同じ御朱印帳に大黒天と見開きでいただきました。f:id:wave0131:20200121125629j:plain

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▼日野七福神も5ヵ所目となりました。

 

真言宗の寺が多い日野七福神ですが、善生寺法華宗です。と言っても日蓮宗とか、天台法華宗の違いや、宗旨・宗派の区分けは良く分かりません。f:id:wave0131:20200121125842j:plain

これまで日野七福神の4寺を巡ってきましたが、それらの寺とは宗旨も異なるのですが、大きさや雰囲気もまったく違っている寺です。

▼左右の門柱の上に持国天毘沙門天が載っていて、「至心勧請 釈尊十大弟子」と書かれています。f:id:wave0131:20200121125858j:plain

▼きれいに丸く刈り込まれた巨大な木は何なのでしょう? 草木に知識がありません。f:id:wave0131:20200121125846j:plain

▼石で造られた冠木門。木製ですと度々目にしますが・・。f:id:wave0131:20200121125902j:plain

▼当地域の子供たちを教育に導いた寺子屋や学校の跡地でもあるそうです。f:id:wave0131:20200121130038j:plain

▼晴天の青空に輝く相輪橖です。日蓮大聖人の開宗750年記念の建立だそうです。f:id:wave0131:20200121130032j:plain

▼本堂です。f:id:wave0131:20200121125915j:plain1645年創建の寺は、その歴史を感じさせませんが、何しろ明るく賑やかで開放的な雰囲気の寺は流石です。f:id:wave0131:20200121125919j:plain

七福神大黒堂です。f:id:wave0131:20200121125907j:plain日蓮宗の場合はたいてい大黒天です。それも黒く塗られていることが多い。

元々の大黒天は青黒いそうだから黒く塗られていて当たり前なのですが、七福神が並んでいる場面で黒く塗られた大黒天は見たことがありません。f:id:wave0131:20200121125911j:plainここでも黒光りしていますが、大黒天は鬼子母神と同様に法華経の守護神として祀られるそうです。

 

▼庫裏の御朱印受付で色紙をパチリ! 御朱印ブームといえども、七福神朱印帳より、まだまだこれを持って巡る人の方が多いでしょうね。f:id:wave0131:20200121130024j:plain

▼お子ちゃま向けの塗り絵も各寺で用意されています。「大人の塗り絵」ではありません。f:id:wave0131:20200121130020j:plain

▼本堂の裏に大仏へ続く石段があるようです。登ってみます。f:id:wave0131:20200121125940j:plain

▼大仏の下はきれいな庭園の前に菩薩が並んでいます。釈迦三尊像文殊普賢菩薩に挟まれて4体の菩薩が立っています。f:id:wave0131:20200121152045j:plain

▼「丈六」=1丈六尺(4.85m)以上の大きさを持つ仏像を大仏と呼びます。f:id:wave0131:20200121125949j:plain

東大寺大仏は盧舎那仏鎌倉大仏阿弥陀如来、この寺は釈迦如来です。f:id:wave0131:20200121130006j:plain

▼大仏の基壇は釈迦堂になっています。大仏の原型となった木造の仏像のままの大きさで鋳造された釈迦如来だそうです。f:id:wave0131:20200121130003j:plain

▼本堂屋根越しに豊田の街並みと丘陵が見えます。f:id:wave0131:20200121130011j:plain七福神めぐりの参拝者が大勢訪れている寺でしたが、ここまで登って来る人は他にいませんでした。

境内に降ります。

クラフトビール、甘酒、焼き芋、栗、米など豊田産らしき物産の売れ行きは?f:id:wave0131:20200121130028j:plain

境内は様々な仏像展覧会場と化していますが、まったくイヤミのない雰囲気は、いったい何なのでしょう?

これだけ整備された庭を持ち、様々な仏像たちが立ち並ぶ境内は、他の寺社ですと押し付けがましさを感じたり、ショーバイを感じさせられたりすることの多いのですが、ここ善生寺は、余計なことは何も感じさせません。

本堂以外、浄財箱が無いせいでもあるでしょう。

 

▼境内の仏像たちをみて回りましょう。いや、手を合わせて回りましょう。f:id:wave0131:20200121172804j:plain

▼改めて山門の方に戻って釈迦の弟子たちに対面です。f:id:wave0131:20200121130055j:plain

▼釈迦の十大弟子たちだそうですが、お名前はほとんど知りません。f:id:wave0131:20200121130050j:plain

いよいよ百貨店並みの像の登場です。

▼歩きスマホ二宮金次郎くんは最近は坐像になっていると聞きますが、ここでは正しく立っています。ゾウも2頭、像になっています。f:id:wave0131:20200121130046j:plain

▼天神様にいるような寝そべった牛の足元には小さな梟の像です。f:id:wave0131:20200121130043j:plain

七福神たちの像も宝船に乗ってはしゃいでいます。f:id:wave0131:20200121125924j:plain

▼この区画は「大仏参拝所」。後で知ったのですが、ここから大仏に手を合わせることができるのです。f:id:wave0131:20200121130016j:plain

▼神社でいうところの「遥拝所」です。大仏と同サイズの両手が人々の願いを聞き、怖れを取り除きます。f:id:wave0131:20200121171948j:plain

f:id:wave0131:20200121125928j:plain鐘楼の脇は池泉庭園です。

▼こんなに脚を伸ばした灯篭は石川県の庭園だけの「ウリ」だと思っていましたが、この寺でもしっかり脚が地に付いています。地ではなく、池中かもしれませんが・・。f:id:wave0131:20200121125936j:plain

▼最後の像は、この方! この寺一番のお気に入りでした。f:id:wave0131:20200121125932j:plainお酒をいただいて、流れ落ちる水の音を聞きながら、頬杖ついてまどろむ!

ゴクラクは、ここにあり!

 

延命寺の御朱印(東京・日野市)〜日野七福神めぐり❹寿老尊 〜富士山を遠望しながら巡りましょう

▼有王山 延命寺真言宗智山派

日野七福神 寿老尊御朱印です。

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▼同じく本尊 地蔵大菩薩(多摩新四国八十八ヶ所霊場83番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200120180930j:plain

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多摩川に合流する「浅川」沿いに展開する日野七福神の各寺ですが、ここ延命寺は浅川を背にする位置にあり、最寄駅は無いに等しく、京王線の「南平」からでも「高幡不動」歩いたら同じような距離で20分以上かかるかもしれません。

 

もっとも延命寺を参拝する方は七福神目的がほとんどでしょうから、その経路を考えれば延命寺の前後は高幡不動ですので、その間はやはり徒歩20分くらいでしょう。

▼広い入り口は山門ではなく、車で参拝に来る方の駐車場出入口です。f:id:wave0131:20200120180938j:plain今回は車での七福神めぐりでしたが、日野七福神の場合は車で巡る方も多く見受けられました。

 

23区内にいくつもある七福神はほとんど徒歩で巡りましたが、東京近郊となると佐倉や吉祥寺などは、圏内まで車で行き駐車場に車をおいて徒歩で巡ることもありました。

 

七福神の多くは基本的に徒歩で巡ることを想定して7つの寺社が構成されているはずです。車で巡ることは邪道かもしれません。

各寺社の境内に入ってしまえば同じはずなのに、車と徒歩とでは各寺社の印象や記憶が異なるように思います。

車ですと、どうしても慌ただしく印象や記憶が希薄になりがちのように感じます。

日野七福神も徒歩で天気に恵まれれば、富士山を遠望しながら浅川沿いを歩くことができます。それはきっとこの七福神巡りの忘れない記憶となることでしょう。f:id:wave0131:20200121112302j:plain車でも移動中に富士山が時々目に入りますが、あっという間に物陰に入り見えなくなります。

そんな違いもあり七福神めぐりは、やはり徒歩で移動途中の街並みや、景色、商店街などで新しい発見をすることが醍醐味かもしれません。

 

話を延命寺に戻しましょう。

▼この寺も創建は不詳ですが、死後の安寧を願ったこの板碑は1470年のものだそうですから、少なくとも室町時代以前の開基だったようで、鎌倉時代とも伝わります。f:id:wave0131:20200120181020j:plain

▼駐車場の方から回り込んだこちらが総門のようです。f:id:wave0131:20200120181003j:plain

▼本堂は扉が閉ざされていました。f:id:wave0131:20200120181017j:plain

▼寺の本尊の延命地蔵尊はこの中もしれません。f:id:wave0131:20200120181000j:plain

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▼本尊には出会えませんが、境内には子育て地蔵や六地蔵観音菩薩などの像が・・。f:id:wave0131:20200120181033j:plain

▼主目的の長寿と知恵の神さま「福禄寿」も境内に祀られています。f:id:wave0131:20200120180951j:plain

▼福禄寿と区別が難しい寿老尊ですが、同体異名とも言われていて、2尊とも中国の道教の神さまで仙人がモデルだそうです。見分けがつかないわけです。f:id:wave0131:20200120180942j:plain巻物を杖に結わえ、桃を手にしています。寿老人は巻物を手に持っています。

2尊の違いを何度確認しても、またすぐに忘れてしまいます。

 

▼庫裏に祀られている小さな像も寿老尊なのでしょうか? おっと、撮禁でした!f:id:wave0131:20200120180947j:plain

▼寺の裏側に小さな社がありました。f:id:wave0131:20200120181012j:plain社殿の後方はすぐ浅川で神社全体がこれだけでした。調べて見ると「日枝神社」でした。寺のすぐ裏にあるわけですから江戸時代までは延命寺別当だったのでしょう。f:id:wave0131:20200120181008j:plain七福神巡りの人々が参拝に来ることは見受けられなかったものの、近隣の家族連れらしき人々が手を合わせていました。

安養寺の御朱印(東京・日野市)〜日野七福神めぐり❸毘沙門天 〜金色に輝く仏像ワールドが眩しい

▼田村山 安養寺真言宗智山派

日野七福神 毘沙門天御朱印です。

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▼同じく本尊 阿弥陀如来(多摩新四国八十八ヶ所霊場85番札所)の御朱印f:id:wave0131:20200120122535j:plain

安養寺も複数の札所になっていますので、関東八十八ヶ所霊場のの御朱印もいただけそうです。

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▼日野七福神3ヶ所目は安養寺にやってきました。都指定の文化財木彫 阿弥陀如来坐像」の石柱と本堂、毘沙門天の説明板が迎えてくれます。f:id:wave0131:20200120122618j:plain▼寺の創建ははっきりしないようですが、山門だけを見ても歴史のありそうな寺です。f:id:wave0131:20200120122551j:plain

▼寺は、かつてこの地に勢力を持っていた田村氏の居館であったとも伝わります。f:id:wave0131:20200120122623j:plain

▼本堂は300年前建立されたものを昭和に改修復元されたそうです。f:id:wave0131:20200120124439j:plain本堂内には文化財平安時代阿弥陀如来坐像や、鎌倉時代大日如来立像などが安置されているそうですが、残念ながら本堂は閉まっています。

 

▼本堂扁額は「安養寺」ですが、黙って見せられたら読めませんね!f:id:wave0131:20200120122635j:plain

安養寺の前に訪問した石田寺も同じになりますが、寺の最寄駅は多摩モノレールの「万願寺駅」です。

そして安養寺の所在地名も「万願寺」ですが、「万願寺」という寺自体は現在は存在しないそうです。

しかし安養寺に安置されている多数の古仏は、安養寺の前身ではないかと言われている万願寺が所有していたと推測されているそうです。

 

また「王手は日野の万願寺」という言葉があるそうです。

将棋好きの方なら知っている言葉のようです。

かつての甲州街道の難所、多摩川を渡るのに「万願寺の渡し」があり、江戸の防衛ラインでもあったそうで、ここを取られたら王手!と言われるほど重要な渡し場だったそうで、「王手は日野の万願寺」と言いつつ、詰めの一手を子気味よくバシッと打つようになったとか。

似たような言葉で「牛に引かれて善光寺」とは少し使い方が違うかな?f:id:wave0131:20200120122631j:plain

▼写真奥の茅葺の庫裏は本堂よりさらに100年ほど古い建立で1600年頃だそうです。f:id:wave0131:20200120122600j:plain

f:id:wave0131:20200120122627j:plain境内には「延命地蔵尊」や「南無大師遍照金剛」の赤い幟が賑やかですが、はて、七福神毘沙門天さんはどちらに?f:id:wave0131:20200120122555j:plain山門内の境内をグルグル回っても見つからないはずです。

▼総門らしき石柱の門を入った、すぐのところにの「薬師堂」に毘沙門天はいらっしゃるようです。f:id:wave0131:20200120122604j:plain

今回の日野七福神は車で巡っています。

「奥に駐車場がありますよ!」と手振りの案内のお父さんに気を取られ、まったく気づきませんでした。

▼こちらの薬師堂はコンクリート製でまだ日の浅い建立でしょう。f:id:wave0131:20200120122614j:plain

▼道内の扉を開けると、正面に賑やかな仏像の数々に呆気にとられます。f:id:wave0131:20200120122609j:plain落ち着いてよく見ると日光・月光菩薩を従えた薬師如来の「薬師三尊像」、その隣が毘沙門天。ほかにも厨子の中に小さな仏像。背後に胎蔵界金剛界曼荼羅の掛け物があります。

ここだけで密教ワールド、空海ワールドを感じさせられた眩しく金色に輝く小さな空間でした。