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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

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都会のオアシスか「昌平坂学問所」 〜湯島聖堂の御朱印(東京・文京区)

湯島聖堂御朱印。(東京都文京区湯島一丁目)f:id:wave0131:20200909155915j:plain

湯島聖堂は寺でも神社でもなく、将軍綱吉が造営した孔子廟のある史跡ですので、

そこでいただける印は正確には「御朱印」の範疇には入らないかもしれません。

 

しかし、全国各地の有名武将などの廟では

同じように「御朱印らしき」ものをいただけるので、広い意味で御朱印として良いのでしょう。

 

今や御朱印から波及した「御城印」や「鉄員」などというものも世を騒がせているので、湯島聖堂の印は立派な「御朱印」と言えるかもしれません。

 

湯島聖堂御朱印は一度過去記事にしていますが、持ちネタが少なくなったこと、

過去記事は聖堂の写真も掲載してないこと、さらに聖堂や孔子の多くも知らないまま、記事にしていますので、今回は「おさらい」のような内容です。

 

とはいえ孔子論語儒教の話となると、やはり何も知らないに等しいことに変わりはありません。

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湯島聖堂は、そこより有名で多くの人が集まる神田明神の向かいにあります。

聖堂の住所は湯島ですが、イメージ的には神田であり、御茶ノ水でもあります。

名称は「湯島聖堂」でもこの地域を湯島と感じている人は少ないと思います。

 

湯島聖堂の高い位置からお茶の水方面を見ますと通称「ニコライ堂」の屋根が見えますが、その景観の最近は高層ビルに阻まれ、埋もれてしまっています。

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近くの神田川に架かる本郷通りの「聖橋」は、このニコライ堂湯島聖堂の2つの聖堂を結ぶことから名付けられました。

 

▼写真掲載は不順ですが、聖堂の西裏から見た様子です。

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▼聖堂の南側は谷になり「神田川」が流れ、平行する聖堂沿いの道は「相生坂」。f:id:wave0131:20200909160030j:plain

湯島聖堂全体がこの土塀といいますか、築地塀または版築塀とも言われる塀で囲まれています。

 

▼その築地塀は広重の「名所江戸百景」の「昌平橋聖堂神田川」に段差を設けて描かれています。風景は変わっても地形は変化していない「相生坂」です。

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                               (名所江戸百景)

 

▼聖堂の南から東に折れる道角に「古跡 昌平坂」の石柱があります。

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▼「昌平坂」の名称は、孔子の故郷である中国山東省「昌平郷」に因んだものです。

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▼「昌平坂」を登りきった通りの向こう側が「神田神社」になります。

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▼坂は、やはり段差を設けた土塀が続いています。

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こんな景色は東京では珍しく、ほかに谷中で見られるくらいでしょうか?

 

▼「昌平坂」下と「相生坂」下が交差するところに聖堂の正面入口「仰高門」が開いています。

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▼門右側の「斯文会館」は昭和の建築で、聖堂の管理活動拠点でしょう。

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御朱印はこの建物内部でいただけます。

 

▼門内を進むと、その大きさは世界最大の「孔子」が木々に囲まれています。

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像の高さは5m近くありますが、写真の撮り方によってはそうは見えません。

しかし近くによると圧倒されるように見上げることになります。

1975年、台湾のライオンズクラブからの寄贈だそうです。

中国にはもっと大きな像があるとも言われているので「世界最大」というのが正しいかもしれません。

 

▼「入徳門」は唯一江戸時代の遺構です。f:id:wave0131:20200909160012j:plain

結局、聖堂の建物は大戦までに全てを失い、その後に再建されたものです。

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儒学者の私邸にあった建物を綱吉が湯島に移転造営し、その後100年の間に度重なる火災などで荒廃していきますが、

改めて1797年に私塾から幕府直轄になり、名称も「昌平坂学問所」となっています。

 

▼「杏壇門

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杏壇」とは学問所の意味で、孔子が学問を講じた壇のまわりに杏 (あんず)の木があったことに因むそうです。

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聖堂の建物は屋根を除きすべて重厚な黒一色で塗られています。

隣家とも言える「神田明神」の建物の煌びやかさとは対照的で「ジミ」に感じる人もいるかもしれません。

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将軍綱吉は、私塾であった「先聖殿」に替わる孔子廟としての「大成殿」を造営した際、扁額も自筆したそうですが、現在の文字は別人の筆によるものです。

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▼屋根の頂に置かれているのは「鬼口」、手前の2匹?は「鬼龍子」と言うそうです。f:id:wave0131:20200909155945j:plain

鬼龍子」は他の寺院でも見かけることがあると思います。

 

▼建物内に祀られている孔子に挨拶します。

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江戸時代から残されている大規模な学問所と言えば、群馬の「足利学校」が思い起こされ、足利学校にも「大成殿」がありますが、その趣はかなり違いがあります。

 

同じ儒学を中心としたふたつの学校、学問所ですが全体の雰囲気も全く異なります。

足利学校は観光施設でもあるので当然かもしれません。

 

ここ湯島聖堂の現在は、時にはスケッチをしている人も見かけられ、

都会のオアシス的役割も果たしている静かな場所となっています。

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