現在は遊行寺も記念御朱印などを授与されているようですが、2013年にそんな御朱印はなく、寺務所らしき建物で声をかけて書き入れていただきました。
御朱印は装飾的なスタンプも何もないだけに、洗練された高貴さがあります。
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▼岩蔵山 長春院 光触寺 鎌倉三十三観音 第七番札所の御朱印です。
全国どこの観音霊場にも言える事ですが、33ヶ所で御朱印を求めると当たり前のように33種類の墨書きの御朱印をいただくことになります。
流れるようなチョー達筆、個性豊かな墨書き、読み取れない墨書き、楷書体のようなキチッとした文字、悪く言えばナグリ書きに見えるもの、などなど様々ですが、
朱印や日付、寺名などを隠して、中央に墨書きされてる本尊名を見せられただけで、どこの寺社の御朱印か当てることのできる墨書きがあります。
遊行寺の「南無阿弥陀仏」は遊行寺であることを覚えられません。
しかし、
光触寺の「聖観世音」は4文字を見ただけで、光触寺と覚えられました。
鎌倉三十三観音霊場で本尊を「聖観世音」とする寺は11ヶ所もあるのにです。
もちろん書き手さん次第の個性の表れかもしれませんが、
「寺社の顔」「神仏の記名」と理解するようにしています。
「遊行寺坂」は箱根駅伝の戸塚・平塚間のコース上にあるので、正月には必ず耳にする名称です。
坂や橋に寺の名称が付けられているので、寺は大きく歴史あることが分かります。
1325年の開山とされる時宗総本山は、正式名称「清浄光寺(しょうじょうこうじ)」よりは、通称の「遊行寺」のほうで知られています。
▼黒い鏑木門の「惣門」から続く長い上り坂の参道は「いろは坂」とも呼ばれているそうです。
時宗の寺院には滅多にお目にかかりませんが、それでも全国に400ヵ寺あるそうです。
「空也」は自ら南無阿弥陀仏を唱えながら諸国を巡り、土木などの社会事業も行いながら念仏を勧めた平安時代中期の僧です。
京都の六波羅蜜寺にある、口から小さな阿弥陀像が並んで出て行く空也像が有名です。
そんな「空也」を師と仰ぐ「一遍」は鎌倉時代に生まれ、身を寄せる寺を持たず「南無阿弥陀仏」を唱えることを人々に広め、その六文字を書いた「札」を人々に配りながら、諸国を巡ったそうです。
庶民にとって、そのお札は浄土行きのチケットだったのかもしれません。
修行と布教をしながら各地を巡り歩くことを「遊行」と言うことから、一遍を「遊行上人」と尊称するそうです。
15年以上の過酷な遊行のため、過労と栄養失調により満50歳で亡くなったそうです。
民衆と共に踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」の布教も、文字からイメージされる軽々しいものではなかったようです。
▼御朱印は、もう一つの黒門の奥にある「寺務所」でいただきました。
全国で400の時宗の寺数ですが、鎌倉にはいくつもあります。
▼そのうちの一つに鎌倉三十三観音 第七番札所の「光触寺」があります。
「光触寺」は鎌倉の街の東端になる金沢街道の「十二所」に建ちます。
▼そして光触寺にも遊行寺の像と同じ姿の「一遍」像が建っています。
光触寺のほうが険しくもツラそうな顔立ちで、信念を貫く修行の過酷さを伺わさせられます。
▼観音札所と共に、鎌倉二十四ヶ所地蔵 第5番札所でもあります。
小さな寺ですが、一遍上人が鎌倉時代に創建以来700年、念仏の道場を引き継いでいるそうです。
観光寺でもなく鎌倉中心地から離れているにも関わらず、参拝者は絶えませんでした。