▼同、2012年の御朱印。
2体とも達筆ですが、元年5月にいただいたものはチョータッピツで黙って見せられたら、「代々木」が読めません。
また、朱印・スタンプともに新しくなっているようです。
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元年5月1日は御朱印を求める人の列がトンでもないことになっている、とニュースされていました。
4日のこの日「さすが、もう熱は治まっているんじゃないか?」と訪問。
▼原宿駅前の鳥居付近。いつもこんな様子の多くの外人さんたちを含めた雨模様の中のニギワイ。
参拝後、御朱印受付に行きます。
▼出口が先に見つかりました。名門校の卒業証書を貰ったように、皆うれしそうに、いただいた御朱印を手にしながら出てきます。
▼ノーマナーになって、出口から少し足を踏み入れ、のぞいて見ました。書き手さんの頭上に①から⑩の数字が見えますので、10人以上もの書き手さんで対応しているようです。
▼すぐに表へ出て「受付」の→方向に行きます。受付の看板が2つあるのが気になります。
「御朱印受付」の大きな看板だけでは状況を知らせられないので、「行列の後ろはあっちですよ」と「御朱印受付→」を急遽立て足した感じです。
それにしても「GOSYUIN」の欧文表記が外人さんにも人気の様子が伺えます。
▼社務所をグルッと回り込んで列が延びています。
▼予想は甘かった! まだ「熱」はさめていませんでした。最後尾はここでした。
100m以上ある行列に、もちろん並びません! 退散です。
▼挙式に出会いました。大勢の他人にも祝福され、見送られる元年の挙式は忘れ難いものでしょう。
でも最近では「3組に1組」「2分に1組」が離婚という数字が頭をかすめます。このカップルが、そんな数値に組み込まれないことを願うばかりです。
▼長く工事中だったようなイメージの山手通りから一の鳥居の石段が見えます。
左に見える脇道を入り、その先を鋭角に右折すると神社の駐車場に続く細い坂道になります。
ここでも神社の駐車場は、悪さをした子供のように隠されていて容易に見つけにくく、また初心者や少し大きめの車だと絶対入り込めないような導入路となっています。
▼電車利用の最寄駅「代々木八幡駅」や「代々木公園」からの歩きなら問題ありません。スグです。明治神宮から歩いても大した距離ではありません。
明治神宮は人間の手によって造られた森ですが、ここ代々木八幡は自然の森で、もしかしたら縄文時代以前からあった森かもしれません。
▼いいカーブを見せる爽快な参道を進み、90°左折すると・・・
▼二ノ鳥居です。
▼やはり気持ちの良い爽快な参道の先に社殿が見えてきます。
▼雨模様の天気にかかわらず参拝者、御朱印を求める人が大勢います。
2度目の訪問ですが、最初に参拝した2012年は近隣の参拝者専用のような静かな神社でした。元々、明治神宮の裏手にあり神宮には参拝しても、ワザワザ代々木八幡に来る人は少ないのは当たり前でした。
しかし現在は違います。
「ヨソ者」の参拝者も多い神社になっています。ヨソ者と言うと言葉は悪いかもしれませんが、もともと村社とか郷社は地元の鎮守であり、地元氏子のための神社だったはず。
ワタシたち御朱印を求めて参拝する者は所詮ヨソ者なのです。
誰もそんな非難めいた言葉を使いませんが・・・。
▼本殿の左手にある参集殿はオシャレな形状。
最初に訪れてから7年の歳月は、この神社を含め、都心のどこの神社もオシャレなイメージに持っていこうとする方向を見つけたようです。やはり女子を意識しています。
それでも代々木の森は深く、あまり人の手を加えない方が賢明と思われるところもあります。
▼そのうちの一つ、摂社の稲荷社、榛名社、天神社がこの奥に鎮座しています。
▼近頃、どの神社でも摂社、末社にも丁寧に長く手を合わせている人の姿をよく見かけるようになりました。それは必ず女性です。願いでしたら叶うといいですね!
神社ブームも久しいものの、女性たちが神を頼りにしなければならないこと、神に感謝せねばならないようにしたのは、一昔前より複雑になってしまった日本社会のせいでもあるかもしれません。
「出世稲荷」に手を打つのは、オトコが多いかもしれません。出世という出来事が幸福に直結するものではないという事に気づくのは、稲荷社に通わなくなってからのことでしょう。
確かなことが少なく、わからないことばかりです。
憂鬱な問題を抱えていても、大きく天に向かって爽快に新緑を広げる木々を仰ぎ見ていると、チッポケなことに振り回されている自分に気づくこともあります。
現代の都会の神社は同じ都会に根をはる人たちが、様々な面で憩いの場、救いの場とする人たちが増えていることは確かなようです。
▼神社のこの森は縄文時代の住居跡などが発掘され「代々木八幡遺跡」として竪穴式住居が復元されています。
▼神社という言葉さえまだなかった頃の縄文人たちの暮らしにも、現代人とは異なる憂鬱な問題を常にかかえていたことでしょう。
社はなくとも彼らもまた、太陽、山、岩、森、木、川、海に願いを伝え、感謝の気持ちも怠らなかったはずです。
神に対峙する日本人の姿・心は、縄文時代から大きく変わっていないかもしれません。