▼安楽寺「吉見観音」坂東三十三観音 第11番札所の御朱印。2020年の再訪ですので「重ね印」をいただきました。
▼御朱印は境内左手奥に納経所の看板がかかっている門を潜ります。
▼門を進んでこちらの受付でいただきました。
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▼安楽寺のある人口2万の町「吉見町」に鉄道はありません。
安楽寺のHPのアクセス案内にも「東武東上線 東松山駅よりタクシー10分」とあります。鉄道利用の訪問は少し不便なようです。
▼車ですと駐車場前の参道を進むと左右に仁王像が参拝者を迎えてくれます。
▼坂東三十三観音では座間市の第8番札所星谷寺「星の谷観音」でも露座の金剛力士像が迎えてくれたことを思い出します。
露座と言いましたが仁王像は立っているので、正確には露座とは言わないでしょう。
とにかく門も屋根もない状態で立つ仁王たちです。
坂東霊場は鎌倉時代初期の生い立ちから、どの寺も立派な古刹ばかりです。
▼しかし、その参道のほとんどは賑やかさを失っています。
きっと、かつては賑やかな参道や門前町があったのではないかと思います。
ここでは一軒だけ「厄除けだんご」を売る茶店がありました。
▼参道脇に立つ庚申塔は劣化が激しく、三猿がやっと確認できます。
▼8年ぶりの再訪になります。
坂東霊場のほか江戸、鎌倉、秩父の三十三観音霊場を巡ってますが、
当時はどこの霊場もゆっくり巡っていませんでした。
正直、御朱印をいただく事と、早く満願する事だけが優先されたように思います。
写真もそれほど多く撮らず、そそくさと寺を後にした時も少なくありません。
おまけにカメラやカードの紛失で、全く写真のない寺社もあります。
このブログを始めて、ここ吉見観音の写真が1枚も見当たらないことに気づきました。
カメラ紛失かデータ誤削除としか考えられません。
そんな経緯もあり、近場の寺社巡りとともに再訪しました。
八脚門の仁王門内の仁王像たちは元禄年間の造立だそうです。
平成に入って解体修理されているそうなので、見た目は真新しく感じます。
▼手水舎の脇に法印塔が立ちます。
▼仁王門をくぐって進むと、手入れされてとても美しい境内が目に広がります。
訪問は9月も後半ですが、松の木などが新緑のように輝き、
片隅に大仏が見える境内は浄土の世界のように穏やかです。
寺は奈良時代の僧行基が観音像を安置し、平安時代に坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられています。約1200年前のことです。
本堂などは兵火により失われ、現本堂は約350年前の寛文年間に再建されたそうです。
様式はわかりませんが造りや色彩に魅了されます。
坂東や秩父の本堂は千社札満載ですが、ほとんどこんな姿をしていて圧倒されます。
圧倒されているうちに大概どこかを見逃してしまいます。
本堂内部の欄間に左甚五郎の作と伝わる彫り物があるそうですが見逃しました。
▼本堂の横顔は一見端正ですが、どっしりとしています。
▼これは開創の行基ではなく、大師像でしょうねっ?
▼薬師堂です。
▼三重塔はこの寺の中でも一番古く、380年前の寛永年間の建立だそうです。
▼この位置から見る時、いつもシイタケの裏側をイメージします。
▼太子堂です。
▼八起地蔵尊案内の石柱が立ちます。石段は、あればほとんど登ってみます。
▼鐘楼が小高い位置で木立に囲まれています。
▼八起地蔵尊(やおきじぞうそん)は
「私達の願い、悩み、苦労をかわって受け、もれなくお救い下さる」と説明されていました。
大きな古刹は、まだまだたくさんの見処を見逃しています。
機会があれば何度でも訪れることにしましょう。