妙法山 養老寺の御朱印
「ようろうじ」または「かんのんじ」真言宗智山派(千葉県館山市洲崎1331)
▼養老寺の御朱印です(2015年)。
御朱印は「安房国札三十四観音霊場」第三十番札所の印になります。
御朱印には「養老寺」と墨書きされていますが、正式には「観音寺」のようです。
▼養老寺は房総半島の南端、さらに西端に位置します。
と言うより、安房国一宮「洲崎神社」のお隣と言ったほうが分かりやすいでしょう。
▼房総半島南端を周遊するような道路「房総フラワーライン」から進んだ寺の参道は、頑丈な、人を拒むようなフェンスが立ちふさがっていました。
寺の看板は「養老寺」、御朱印にも「養老寺」となっているので、この呼び名で良いのでしょう。
フェンスの脇が少し開いていたので果敢に進んで参拝です。
▼仁王門の仁王像はガラスケースの中。
ガラスが反射して仁王像は撮影できませんでした。
寺は717年(養老元年)に「役行者(えんのぎょうじゃ)」を開祖として創建されたと伝えられることから「養老寺」と呼ばれるようになったそうです。
▼本尊の「十一面観世音菩薩」が祀られている観音堂。
江戸時代までは隣接する洲崎神社の「社僧」を務めていたと言うことですから、洲崎神社の「別当」だったのでしょう。
▼掲げられた額の文字は「養老」の2文字は読めても、後の2文字は読めません。
▼境内奥の小高い位置に石窟、岩窟?があります。
開祖「役行者」の石像が祀られています。
「役行者」は実在した人物と言われていますが、海上や空中を歩く神通力を持つなど、様々な伝説が多く残っている不思議な修験者です。
まさかの海上や空中を歩いたと伝わることから、ここにもワラジなどの履物が奉納されています。
石橋山の戦いで敗れ安房に逃れた頼朝伝説は「洲崎神社」に残りますが、別当だった当寺にも頼朝伝説はしっかり伝わっています。
さらに勧善懲悪、因果応報の物語「南総里見八犬伝」に登場するのが、この岩窟です。
とは言え、伝説と創作の物語は同じシーンがあちらこちらで複数に伝わり残ります。
真実と物語の狭間で伝わるロマンなのでしょう。
さて「安房国札三十四観音霊場」ですが、霊場として意識して巡ったことはありませんが、他の霊場同様、御朱印をいただいているうちに知る事になった霊場です。
そもそも読みがわからない「安房国札」を当初は「あわこくさつ」と間違って読んでいました。
正解は「あわくにふだ」もしくは「あわのくにふだ」だそうです。
要するに他の霊場と比べて「札」の一文字が多いので読めなくなります。
「札所」の略でしょうか?
ならば「安房国 札所 三十四観音霊場」と区切れば簡単に読むことができます。
もう一つ館山市内に「安房郡札三十三観音」という霊場があり、札所の地域も近いことから話をややこしくさせます。
こちらの「郡札」読みは「ぐんさつ」ではなく「こおりふだ」という、夏向きな冷たい読みだそうです。
どちらにしても房総半島南端に展開するメジャーな霊場ではないのですが、やはり御朱印ブームの影響でしょうか?
坂東三十三観音の結願寺、館山の那古寺を事務所とする「安房国札観音霊場会」があり、FBなどで情報発信しています。
▼さらに『房総タウン.com』など地域の観光サイトでも様々に紹介されています。
もちろん本ブログが参拝した2015年は、それらの情報はごく僅かでした。
「安房国札三十四観音霊場」は34ヶ所と番外3ヶ所の計37ヶ所の札所が設けられていますが、無住の寺も多く御朱印をコンプリートするのには容易ではない霊場のようです。
もっともこの霊場に限らず地方の「三十三観音霊場」の多くは、無住の寺をたくさん抱えているのでしょう。
検索していると「安房国札」の37の御朱印を結願しているツワモノもいます。
イラスト・キラキラ御朱印ではない37ヶ所を踏破する熱意には敬意を表すばかりです。