下の6年前の御朱印と比べると、
日付が朱色になり「山中湖」添え書きが加わってイメージはかなり違って見えます。
それにしても、どの寺社も御朱印の達筆度は増すばかりだと感じさせられます。
当たり前にすべての宮司、住職が達筆ではあり得ません。
かと言って、達筆の人や書家を常時雇うのも諸問題ありでしょう。
観光寺社は別にしても御朱印対応に対しては悩ましい問題でもあるのでしょう。
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▼「富士五湖」のうち一番大きな広さを持つ山中湖は対岸も霞んで、まるで海。
かつて、湖畔から少し内陸に入ったカーナビにも示されない小さな宿を予約したことがあります。
陽が暮れてからの到着だったので、湖畔を1周する道路から宿へ延びる横道を見つけられず、湖を2周してやっと見つけました。
それも「あれっ? ここ、さっき通ったところじゃない?」
と訝しがる同乗者の気づきで、やっと2周目だと理解したのです。
やっと辿り着いた宿には、GW中ながら暖かいコタツがありました。
富士五湖の中で山中湖は標高が一番高く、まだ寒いのでした。
そんな事や翌朝のスワンのボート漕ぎなどの記憶が鮮明な山中湖です。
御朱印など求めてジタバタせず、
安い宿でも構わないから湖畔の宿で2、3泊して
目的もなく山中湖畔を同行者と歩けたら、サイコーの幸せ者でしょう。
そんな状況ならば、神社への挨拶は「ついで」でも、一向に構いません!
神々は喜んで祝福することでしょう。
▼山中湖畔の森に鎮座する諏訪神社は西暦104年を起源とするそうです。
その後の966年には地域の開墾の守護神として「諏訪大明神」が祀られたそうです。
神話の世界からの時間を紡いできた神社は、さらに御朱印に記されている「豊玉姫命」も祀られることになったのでしょう。
戦国時代には甲斐国の武田晴信が戦いの加護祈願をし、本殿を造営寄進したそうです。
▼彫刻下部は「豊玉姫命」なのでしょうか?
▼何にしても子授けと安産の御神徳ある古社として崇められているそうです。
▼ここでも奉納相撲が行われたか、行われるようです。
▼丁寧に屋根付きの囲いに保護されているのは、ワニではなく「旧御神木」。
▼「厄神社」。名称は奇異ですが、厄病神ではありません。
▼諏訪神社に隣接する浅間神社に向かうのに、この陸橋を渡ります。
▼橋の下は御殿場から河口湖方面へ向かう国道138。
▼別方面からの表参道のようです。
▼「アハハハッ! また来たか!」
▼6年前の訪問には、きちんと挨拶しなかった方達は少し不機嫌かも?
▼全国に数知れず鎮座する「浅間神社」のうちの1社です。
それも富士山周辺には「浅間神社」しかない、と言っていいほど集中しています。
それらを区別するため地域名を冠して便宜上「山中 浅間神社」としています。
個人的には「山中湖 浅間神社」とした方がわかりやすいように思います。
しかし富士五湖も「信仰の対象と芸術の源泉」としての世界遺産構成資産です。
その名称は、ムヤミに使えないのが現状かも知れません。
そんなことを思いながら東京への帰途につきます。
高速を使えないボンビーが山中湖から東京へ帰るには「R413」を走ります。
通称「道志道」は「もうカンベンにしてくれ〜!」と叫びたくなるほど、
延々とカーブが続く、運転嫌いの人には進められない「酷道」でもあります。
▼しかし、東京までの道中の唯一のオアシスである道の駅もあります。
いつ終わるとも知れぬカーブの連続に快感を覚えながら日常に向かいましょう。