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上信電鉄は高崎と下仁田を結ぶ、総延長33.7kmの私鉄路線です。
明治期に開業した東日本最古の私鉄で、昭和に入ってからは中曽根康弘の実父が社長を務めた時期もあったそうです。
当初は下仁田から東に山を越え、小海線の「羽黒下駅」まで延伸する計画があったそうで、実現していれば現在の倍以上の営業キロ数になったはずです。
しかしその計画は世界恐慌により頓挫、廃案になったそうです。
上信電鉄が鉄道事業だけで喰っている訳ではないことはわかりますが、
こういうローカルな路線が120年以上も保たれているのを不思議に思います。
路線の終点になる「下仁田」はネギとコンニャクの町として名称は知られていますが、
かつては20,000人以上あった人口も現在は7,000人。
高齢化と過疎にあえぐ町かもしれません。
しかし、上信電鉄の沿線にある富岡製糸場が、2014年に世界遺産の構成資産として登録されたことは上信電鉄にとって朗報だったかもしれません。
世界遺産となっても車で訪れる人が多く、鉄道使用者数は期待ほどには伸びていないかもしれません。
▼神社の駐車場からの参道は、その上信鉄道の路線下を潜った先に神門がるという珍しい構造になっています。
鎌倉などでは寺社の参道を横断する鉄道はありますが、
線路をくぐりぬける参道はここ山名八幡宮だけだろうと思います。
▼朱色の両部鳥居周辺は気持ちよく綺麗に整えられています。
山名の名称は地名でもあり、清和源氏の流れをくむ新田氏の一門であった者が山名氏を名乗った氏族名でもあります。
平安末期に山名氏が宇佐神宮の分霊を勧請したのが当社の起こりだそうです。
のちの室町時代に後醍醐天皇の孫が安産祈願したと伝えられることから、
安産と子育ての神社として人々の願いを叶えてきた神社だそうです。
武家たちと皇族たちが築いたドラマティックな神社です。
神社の御朱印には「上州高崎鎮座」とあります。
「上州」という言葉は昔から耳にしていますが、何となく漠然としています。
「上州の空っ風」があり、
ミーハーなところでは
上州新田郡「木枯らし紋次郎」なんていう人物は笹沢左保原作のフィクションですが、上州赤城山「国定忠次」は実在の侠客です。
もっと古くは「毛野(けの)」と呼ばれた地域が上下に分かれ
「上毛野(かみつけの)」「下毛野(しもつけの)」となり、
さらに降って「毛」の文字が何処かへ行ってしまって
「上毛」は読みは音読みになって「上毛新聞」「上毛電鉄」などの名称が残り、
「上下」合わせたJR「両毛線」もあります。
なぜ「毛」の文字が使われているのかは諸説あるようです。
閉店が加速している釣具の大型チェーン「上州屋」は、北千住創業で本社が草加市。
なぜ「上州」なのかは不明です。
この地域は平安から鎌倉、戦国時代までの武家とゆかりのある寺社がたくさんあります。
足利氏、新田氏、世良田氏、そしてこの神社の山名氏などです。
なかなか頭の中で整理できない中、
ここ山名八幡宮では所縁のある皇族の名前が出てきますので、もうサッパリチンプンカンプン!
▼玉依比売命、品陀和気命、息長足比売命の3柱を祀る社殿は、江戸時代後期の造営だそうです。
▼本殿は複雑な組物と装飾が見事です。江戸時代の造営ならではなのでしょう。
本殿裏には獅子頭の「裏神様」も祀られています。
稲荷神社ではないですが、綺麗な朱色の印象の強い山名八幡宮でした。