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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

鶴岡八幡宮・旗上弁財天社の御朱印 〜[続き]鶴岡八幡宮は広大、わたしの心は狭小

前回、

一の鳥居から段葛を歩いて神域に入りましたが、段葛は築造当時は神の道。

 

神さまがお通りになるほか、当時の将軍か貴人しか通行出来なかったようです。

平安京朱雀大路を真似たという見方もあるようですから、道路幅は広い。

段葛の両側、左右にそれぞれ車道と広い歩道が設けられています。

 

鎌倉駅を出てすぐ左に折れるのが八幡宮への近道ですが、道の両側に土産物屋、飲食店が並び、いつもまっすぐ歩けないほど混雑を極めていまする。

しかし、モッタイナイことに段葛はガラガラなのです。鎌倉に来る観光客たちの姿と目的をよく表しているわ。

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さて、三の鳥居を抜けて神域の境内に入ると源平池にかかる太鼓橋があります。

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ご覧のように渡れない。あちらこちらの太鼓橋は人が渡れないことも多い。神仏のための橋なんでしょうね。ここでは人は左右にある味気ない別の橋を渡ることになります。

 

橋の右側が源氏池、左が平家池。源氏池には3つの島、平家池には4つの島があるのだが、何処から見ても蓮の葉に覆われて何が何だかわからない。

俗にその島の数は、源氏の3(産)、平家の4(死)を表しているとか。

島数の様子は google map が一番わかりやすいわね。

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太鼓橋の右手の橋を渡るとすぐに源氏池の3つの島のうちの一番大きな島にかかる橋があります。

池にかかる橋というより、蓮にかかる橋で水面は僅かしか見えません。

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橋を渡った先に旗上弁財天社が鎮座し、鎌倉七福神の弁財天でもあります。

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源氏復興のため頼朝が旗上げしたことに因むんでしょうが、社殿はまだ新しい。

この社殿の右手の社務所御朱印がいただけますが、正月後の数日というより1月中は大混雑のはず。おーヤダ!

広い境内道に戻って、流鏑馬馬場を横切ります。

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10月1日はちょうど流鏑馬神事が行われていました。開始時間は2時間後だったからパス!

毎度のことですがこの日も事前知識なしで来ました。鎌倉まつりかしら?

 

馬場を抜けると左手が手水社、正面は舞殿(下拝殿)が行く手を塞ぎます。

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舞殿の正面は崇敬者の列で写真はとても撮れない。裏からの写真にしました。

ここで頼朝に命じられ、義経のオメカケさん「静」が舞曲を演じたのかしら?

こんなに立派でなく、姿形は変容してきていて当たり前だけど、やはりロマンですわ。

 

以前に訪れた時の下拝殿(舞殿)の光景。

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昨今、神社で挙式が人気なのもわからないでもない。

この写真の新婦は「正妻」! 義経とは違って、妾ではないねっ! きっと!!

 

舞殿の左右のどちらかをグルリと回ると、いよいよ本宮(上宮)に上がる石段が眼前に現れます。大きなイベントがなくとも、いつもこんな賑わいです。

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階段を昇る前に、左にあるのは・・・

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ほぼ800年前、頼朝の次男 実朝がこの銀杏の大木の陰に隠れ待っていた甥っ子の刃にかかり暗殺されたとか。

シチュエーションはその後の作り話的な部分がほとんどでしょうが、殺害事件は事実です。

そんなこの町の歴史を一人見つめてきたイチョウの木。残念なことに数年前に倒れた大木の根元部分だけが残っています。

先端に「ひこばえ」が見えるからいつの日か「隠れ銀杏」として復活するかも。

 

▼銀杏の木とは反対の階段下右にあるのが若宮(下宮)です。

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▼前回記事の「由比若宮」

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から遷座したのが、若宮(下宮)ですが、由比若宮同様、ここに手をあわせる人の姿は見えません。

ぐじゃぐじゃ言わずにさっさとコアに触れます。

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広い階段の頂点にある楼門。

幾つかの寺社と同じく「八」の字は鳩をモチーフにしています。

楼門から拝殿まではスペースがありません。即、拝殿になります。

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拝殿の左手奥は宝物殿。

なんども訪れている八幡宮ですが、入ったことがありません。

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いいのです。こんな広い社域を持つ神社は何回も訪れて、ひとつひとつ新しい発見をして、また訪れば良いのです。

まともに子細に見て回ってたら、1日じゃ足りないかもしれないのだ。

この八幡宮に限らず、広大な社域をもつ神社はどこも同じですね。

 

 今回は意に反して寺社のガイド的な内容になってしまいました。

まぁ、イイでしょう!?

 

で、鶴岡八幡宮御朱印です。

そう、ここも神社であり「寺」でもあったのです。

頼朝が真剣に祈った! 自分のために・・。

この時代前から戦国時代までは、人のために祈ったためしがありません。

利己的にすべての祈りが自分のため、戦勝や安産、男子誕生であった。現世利益だったのです。

今夜はここまで。

 

ワタシ的には江戸は広く面白い、鎌倉は深くオモシロイのです!

狭小なヘソ曲がり視点で、いつかまた続きを書くとします!

 

▼「鶴岡八幡宮」2012年の御朱印

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▼「鶴岡八幡宮」2013年の御朱印

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▼「鶴岡八幡宮」2017年の御朱印

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御朱印受付は女性一人を含む3人の方が担当されていました。

7、8人の列はストレスなくすぐに消化されます。

今回、下宮脇の御朱印受付でいただいた印は平成25年の書き手と同じだったかも。

筆跡は同じように見えるし、

御朱印帳の表題部分が空欄の場合「書き入れましょうか? お名前も入れますよ」と声をかけていらした。

5年前、自分も同じ言葉をかけられ、「御朱印帳」と揮毫していただきました。

 

▼「旗上弁財天社」鎌倉江ノ島七福神 2013年の御朱印

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▼「旗上弁財天社」鎌倉江ノ島七福神 2017年の御朱印f:id:wave0131:20171002184559j:plain

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それにしても、このブログ、2、3日留守してもPVは逆に増えてる。どういうこと?

 

 

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