緊急事態宣言下の東京脱出
昨年2020年は「コロナ禍中を突破! 箱根から河口湖」のタイトルで、1度だけ、1泊だけの御朱印旅の記事でした。
2021年も「緊急事態宣言下 東京脱出!」1度だけ1泊だけの御朱印旅レコードです。
▼8月の東京脱出2日間のルート。
スタートを「鷲子山上神社」にして白河泊、翌日のゴールは「鉾神社」でした。
前半は栃木県内巡りですが、同じ栃木県でももう少し西側ならハデな御朱印をいただける寺社が揃っています。
しかし、イラスト御朱印は目的でもないので・・。
さて「緊急事態宣言」も4回目ともなると、1都3県、その周辺の「まん延防止等重点措置区域」の区分けも無意味に思えてきます。
国の具体的対策の対象となる地域か否か、さらに国や自治体からの様々な要請、支援の内容が異なるものの、店舗・事業経営者でもない一般人には「緊急事態」と「まん防」の差は大きくありません。
感染症予防、行動自粛に対しては本ブログでも幾度か見解を述べてきました。
小池知事は「県をまたぐ」行動の自粛を要請していましたが、
単独での車移動、訪問先寺社の授与所、コンビニ、ホテルカウンターなどでの行動・対応だけならば、移動自粛で東京にいても全く同じです。
いや、日常の通勤電車、コンビニ、ビジネス、ランチなどでの人との接触の方が、はるかに危険度は高いように思います。
感染症に対する話は長くなります。やめましょう!
何れにしても本ブログは自らの責任で、自身の信じる行動を取ります。
はい、緊急事態宣言下での行動の「弁解」でした。
鷲子山上神社御朱印
▼鷲子山上神社の御朱印です。(栃木県那須郡那珂川町矢又1948)
御朱印は「ゴールド」のフクロウが光っていました。
「鷲子山上神社」を「とりのこさんしょう じんじゃ」と正確に読める一般人は多くはいません。
御朱印にも「県境 栃木 茨城」と印が押されているように、その通り県境に鎮座する神社ですが、googlemapや由緒書きの所在地は「栃木県」になっています。
この神社を参拝するだけで、小池知事の言葉「県をまたぐな!」を犯すことになります。1都3県からは外れていますが・・・。
▼社務所も栃木側・茨城側それぞれ別にありますが、御朱印は社殿方向左手の栃木側の社務所でいただきます。
最近開創された「八溝山麓十宝霊場」の色紙も用意されていました。
この霊場の色紙に印をいただきながら巡ってみようかとも思いましたが、
今ひとつ気乗りしませんでしたし、
印刷物の見開き御朱印も不要なので基本御朱印のみいただきました。
この後に訪問した霊場の1寺の対応が整っていず、
結果的には今回は「八溝山麓十宝霊場」の色紙は購入しないで正解でした。
▼茨城側の社務所は集まりやイベント開催に利用されているようです。
栃木・茨城ではなく、中世の下野・常陸の時代から「境」に鎮座した神社です。
▼ほかに県境をまたぐ神社で有名なのは、群馬県と長野県境にある熊野神社、熊野皇大神社があります。
しかし、群馬・長野のそれぞれに神社があり、2社の関係は対立が目立ちましたが、
鷲子山上神社は1社だけを栃木・茨城の良好な関係の中で協力して守っているようです。
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▼鷲子山上神社へはR293から栃木県側、茨城県側のそれぞれから神社までの道が延びています。
由緒書きによると茨城側が「入口」、栃木側が「出口」となっていました。
鷲子山上神社案内
▼R293沿いに建つ茨城県側の「入口」案内。
▼茨城側からのアクセスは道路幅もそこそこあり、難なく神社までたどり着けます。
▼途中、2つだけあるヘアピンカーブの一つに梵字が刻まれた板碑が建ちます。
神仏習合時代の名残でしょうか?
もともと八溝山地は修験道の修行場として名高く、標高460mの鷲子山は修験者から霊山として崇められていたそうです。
▼2.5kmの山道の参道を抜けました。
▼駐車場から神社を目指すと「日本一の大ふくろう像」の看板が目に入ります。
▼鳥居の先にゴールドに光る物体がのぞいています。
▼フクロウでした。石段を駆け上がります。
▼たしかに大きく「日本一」なのでしょう。
地上7mにあり、台座の直径も6、7mありそうです。
フクロウ像の高さも5、6mあるかもしれません。
▼「不苦労の鐘」。カ〜〜ンと1回たたけば様々なご利益がいただけるそうです。
▼巨大フクロウの先は「本宮」です。
▼古くの当初はここが神社の鎮座地だったそうです。
創建807年と伝わる鷲子山上神社の祭神は阿波国から勧請された
「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」で、
紡績業・製紙業の神、一般にはお酉様としても知られているそうです。
お酉様、鳥の神様という繋がりから、
この神社では神の使いとしてのフクロウをクローズアップして「フクロウの神社」と称しています。
「不苦労」「福郎」という表現はいつ頃からのものか分かりませんが、
フクロウは古来より「吉鳥」とされているようです。
ということで右を向いても、左を向いてもフクロウだらけのです。
▼なんでも「フクロウ」にあやかっています。
▼本宮の石段を降りて、本社に向かいます。
▼「大鳥居」です。
▼「鷲子山」を「とりのこさん」と読むのは難しく、浅草の「鷲神社」は「おおとり」と読ませているなど、いずれも一筋縄では読めません。
もちろん素直に「わし」と読ませる「わしじんじゃ」も数多くあるようです。
▼鳥居の下には「県境」の案内。
県境は大きな川などを境とし、山地ではピークから尾根を境とすることが多いので、
山頂にある神社が県をまたぐことは、それほど珍しい現象でもありません。
しかし、鳥居から拝殿本社まで完全に二つに分けられ、それでも両県が仲良く同時に本殿などを文化財にしているのは珍しいことかもしれません。
大概、双方が「こちら側のものだ!」と主張し対立するのが常でしょうから。
▼手水舎も「水かけフクロウ」とされていますが、この時期柄杓はありませんでした。
▼フクロウばかりが目立つ神社ですが「楼門」前には狛犬も一対。
左右ともに頭の上に「玉」をのせた狛犬です。これは初見で意味不明です。
▼楼門には左大臣、右大臣も。その裏には仁王像も建ちますが、撮り忘れました。
▼楼門の下の参道も「真っ二つ」です。
TVの「ナニコレ珍百景」でON AIRされたり、航空機内誌でも紹介され、一躍有名になったそうです。
▼「フクロウの石段」が待ち構えています。
けっこうな勾配です。汗が噴き出すのでここはユックリ登ります。
▼石段上の社殿手前にも門が立ちます。
▼石段上から見た楼門。
▼「拝殿」です。
▼「本殿」。
▼斜面に立つ社殿は、前面が舞台造りのようになっていてスペースがありません。
▼拝殿左手から回り込むと境内社がいくつか建ちます。
「大黒社」「三社」「羽黒社」「三本杉社」などが並んでいます。
▼その先の「福ふくろうロード」につながる石段を降ります。
▼伏見から分霊をいただいた「奥山稲荷」。
▼これでもか!のフクロウたちに出会いながら・・・
▼あとは「福ふくろうロード」を降って行くと大鳥居前に出られます。
▼途中、それぞれに名付けられたフクロウたちを、とくとご覧ください。
数えきれないフクロウたちの像に溺れそうですが、
参拝者の皆さんが「福」に溺れそうになるなら、幸いでしょう。
見所、楽しさ豊富で訪問がいのある鷲子山上神社でした。