▼徳持神社の御朱印(2014年)。
2020年と2014年の御朱印筆跡を比較すると書き手さんが異なるようです。
どちらも年配の宮司さんだったと記憶しますが、人物記憶は極めて苦手なので、記憶に残る会話などが交わされないと、ほとんど覚えられません。
御朱印はどちらも達筆な墨書きなのに、神社名だけスタンプとはモッタイナイ!
御朱印収集人が敬遠するのは、もしくは人気がないと言えるのは、
おそらく中央の神社名や本尊名がスタンプの御朱印でしょう。
収集人は勝手なもので、敬遠される最たるは
「スタンプの書置き」だと思われます。
「奉拝」「日付」はスタンプでも構いません、と感じた御朱印です。
もちろんスタンプを含め、神社、寺院でいただく様々な体裁の御朱印に本来の意味は何ら違いはないのですが・・。
ところで御朱印はいただいたものの、久が原西部 八幡神社には参拝していません。
機会を得て必ず参拝してブログ記事にします。
ガンコなので、いくら魅力的な御朱印が案内されていても、原則参拝してない対象の御朱印はいただきません。
さらに参拝していても直書きの場合は2体まで、というのも無意味で自己満足な頑固さと言えるかもしれません。
徳持神社の場合は、久が原西部 八幡神社へ向かおうとしたものの時間切れで断念。
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▼徳持神社は「池上通り」に面していて、最寄駅はもちろん本門寺と同じ「池上駅」。
🎤「古い電車のドアのそば 二人は黙って立っていた」池上線です。
どれだけ古い曲? でも多くの歌手が歌ってました。
▼「池上通り」の対岸から見る大鳥居と木々はとても美しい姿をしています。
創建は鎌倉時代、宇佐神宮から勧請された分霊、誉田別之命(応神天皇)を祀ります。
池上通り沿いには大きな社頭と大きな石碑が建つものの、それほど広くない境内の表玄関は車で通るとアッという間に通り過ぎ、全く神社の存在を気づかせません。
東京の神社、寺院はどこも車で走っている限り、意識しないとなかなか気づきません。
そんな東京の神社のなかでも、徳持神社の参道から拝殿までは際立って美しいのです。
▼「真榊」って、飾り全体を言うのではなく樹木のこと?
顔まわりのフサフサの造りが見事な狛犬。獅子だか犬だか分かりませんが・・。
▼誉田別之命(ほんだわけのみこと)がおわします。落ち着いた朱色が品格を醸しています。
「徳持」とは何とも縁起の良い、オメデタイ名称ですが、かつての地名です。
住居表示法により消滅してしまいましたが、神社のほか小学校などの公共建物にその名称が残っています。
そんなかつての地名をそのまま神社名にした神社は大概、全国で唯一になります。
諏訪神社や八幡神社、浅間神社より覚えやすく、混同しない記憶になります。
▼社殿右側にある「徳持田中稲荷神社」。
▼ネズミの天敵きつねたちは真新しい「まえかけ」がかけられています。
「まえかけ」の意味はなかなか掴みにくいのですが、発端は地蔵サマのようです。
本殿と同様に、昭和に入って再建された社です。とても綺麗な社殿です。
ところで神社が鎮座するこの地域は、明治期には「池上競馬場」があったそうです。
そして日本人が初めて馬券を発売した競馬場だったそうです。
目黒競馬場ができたため、たった4、5年で廃絶されてしまいましたが、
その競馬場建設の目的の一つに良質な軍馬の育成があったそうです。
それまで騎兵や兵站用に使われていた馬は日本馬で、
「日本軍は馬のようなものに乗っている」と諸外国の軍人などから揶揄されたようです。
いわゆる日本馬はズングリムックリの小型馬で、ロバを少し大きくした程度の馬だったようです。
決して時代物のドラマなどに出てくる颯爽としたサラブレッドではなかったのです。
軍需目的として諸外国に負けないような良質な馬を育成するため、
洋種馬を輸入して良馬を量産するようにしましたが、軍馬の需要だけでは生産者のなり手が足りなかったそうです。
そこで競馬場の登場と馬券の発売ということになったそうです。
競馬が行われるようになって馬の価格もそれ以前より上昇したそうです。
ということで「徳持」は日本の商業競馬発祥の地であるとの言えるそうです。
「池上競馬場」の話は「徳持」の地名とともに神社のHPに詳しく書かれています。
▼東京の住宅街の神社ですので社務所ビルは、このようになっています。
▼徳持神社のほぼ隣にある寺院。