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▼「高砂天祖神社」は京成本線「京成高砂駅」からすぐで、神社の裏は線路を跨いで柴又七福神の「観蔵寺」もあります。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて」と謡われます。
能に全く知識はありませんが、めでたいのでしょう。全国にその地名があり、人名にも企業名にもなっています。相撲の高砂部屋もありますね。
▼訪問時期は4月も半ばでしたが、近くの通りには桜が最後の力を振り絞っていました。もう間も無くで青葉に変わってしまうでしょうね。
▼神社の境内に東京では珍しい火の見櫓です。地方でも現実に用途を全うしているわけではないでしょうから、ランドマーク的存在かもしれません。
寺には鐘楼がありますが、神社に半鐘の釣られている火の見櫓はお似合いかもしれません。
▼そういえば諏訪の八劔神社の側にも火の見櫓があったことを思い出しました。
▼平成最後の月でしたので新元号が案内されていました。
▼参道のとなりも小さな公園となっている地元の小さな神社でしょう?
▼と、失礼ながらタカをくくっていましたが、参道を進み社殿が見えてくると気持ちがが変わってきました。玉垣もまだ新しそうです。
▼手水の龍と狛犬にもタカをくくった失礼を詫びます。
▼こじんまりとはしていますが、この凛々しい総檜の神明造りは見事です。比較的新しそうでまだ檜の香りが漂ってきそうな雰囲気です。
創建の詳細は不明だそうですが鎌倉時代と伝わります。
▼拝殿から本殿の側面も美しい! 神明造りを目にすると気持ちが凛とさせられるように感じます。ツノのように見える千木のせいかもしれません。
▼石造りの記念碑は所々しか読むことができず意味不明でした。
▼境内の裏をトリコロールのような京成電車が通り抜けます。東京の私鉄は民家などの軒先を通り抜ける路線が少なくありません。もちろん寺社も境内敷地を削られたり、遷座させられたりもします。
▼綺麗に整えられた緑の庭の先は招魂社です。全体に木々の少ない神社ですが、ここだけは緑が豊富でホッとさせられます。
▼こちらは神社の東側にある小さな鳥居。
▼こちらは意味明瞭!「永代祭典資 金百五拾圓也」とあります。
祭典費は金百五拾圓の利子をもって充て、原資は消費しないとも記されています。
明治25年の150円はどれほどの金額だったのでしょうか?
ある計算では当時の1円は、現在では3800円にあたるとか。
また、明治30年頃の公務員の初任給は月額8~9円くらいだったそうですので、150円は大金であったことは間違いありません。
150円の倍、300円の御朱印代は小金です。
▼西側にある鳥居の正面に見える社務所でいただきます。