右上の印は「義経大明神」。
「高館 義経堂」の読みは、てっきり「よしつねどう」かと思いきや
「たかだち ぎけいどう」です。
もっとも寺の呼び名は音読みが多いから納得。
そしてここは「毛越寺」の飛び地境内だそうです。
▼「中尊寺通り」から小高い森に続く道を登ると受付が見えてきます。
▼さらに階段を登ると視界がひらけ、眼下は「北上川」が静かに流れていました。
要害地だった丘陵の高館の森は「判官館(はんがんだて)」とも呼ばれているそうです。
写真では見えませんが、北上川の少し上流で「衣川」が合流しています。
弁慶が義経を守るため仁王立ちで最期をむかえた「衣川の戦い」の名になっています。
当時は「衣川館」とも呼ばれていたそうです。
▼階段の上を左手に進みます。
▼左に小さな資料館が見えてきますが、後回しにしてさらに階段を登ります。
▼義経堂は小さなお堂です。悲劇のヒーローに相応しいかもしれません。
▼扁額は「白幡大明神」。源氏の「白旗」でしょうか?
英雄を偲んで仙台藩主が建立したと伝わり、その英雄を創建と同時に木造にしています。
▼かれこれ300年以上も彼は ここ高館の高台に座り続けているのです。
▼供養塔は昭和に建てられたのもの。
勝ち戦を続けた戦術家ではあっても、兄頼朝の知略智謀には敵わず31歳の短い命は、様々な伝説や逸話を生んで、とりわけ東北から北海道には、われもわれもと言わんばかりに義経に因む場所が満開状態です。
まさに日本人のDNAたる「判官贔屓」なのでしょう。
客観的な視点などは学者に任せておけば良いのでしょう。
はんがんびいき、ほうがんびいき、くろうほうがん、の方が物語になるのです。
▼相変わらず慌ただしい時間が迫っている中で資料館に入ってます。
資料館と言うより「お勉強館」が正しいような展示内容でした。
静御前、義経、弁慶たちがパネルで解説されているので、彼らを改めてお勉強できます。
▼しかし衝撃度 No.1はこのお二人。ユニークでチンプな仁王像は、秩父のお寺で見た像を思い起こさせられました。
▼戻って、受付から階段を登ってきた反対側は東屋とベンチが設けられ、あまりに有名の句が刻まれてます。
芭蕉も老いた身をこの高台まで運んできたのでしょう。
そして、涙して詠んだ「夏草」だけは当時から変わらず、その命を繋げているのでしょう。
理想の栄華を夢見、実現した者、時代のうねりに翻弄された者、覇権を手にした者たちの、今は静かな息遣いです。
中尊寺、毛越寺に比べたら地味ですが、ここ義経堂も絶対に外せません。
車でないとアクセスは少し不便ですが、中尊寺まで来ていればすぐ近く。
観光客も少なく「兵ども」を彷彿するにイチバンの「義経堂」なのです。