⓮摂津国一宮 住吉大社の御朱印
「すみよし たいしゃ」祭神:(第一本宮)底筒男命(大阪市住吉区住吉2-9)
参拝日の住吉大社では各500円の書置きのみでした。
右上の印は「摂陽第弌之宮」。摂津国一宮のことだそうです。
全国に2000社以上ある住吉神社の総本社であることは分かりますが、
勝手な思い込みでなぜか「住吉大社」と「一宮」は結びついていませんでした。
旁だけを読めば良いのですが、なかなか「なんくんしゃ」とは読めません。
右上のスタンプは宝珠でしょうか?
「楠珺社」の「珺」は「美しい玉」という意味だそうですので、その珠(たま)かもしれません。
▼住吉大社周辺には歩ける距離で5つの駅に囲まれています。
歩くのに疲れたので生國魂神社から電車で住吉大社に向かいました。
▼途中「阿倍野」で乗り換えですが「ハルカス」は見えても乗換駅が見つかりません。
googlemapは「ここだ」と示しているので、
道路で建物側を見て駅らしい入口を探しても見当たりません。
▼道路中央を走る路面電車が見て、やっと理解しました。
そうなのです「電気軌道」だったので、駅舎らしき建物などないのです。
道路中央を見ずに建物側ばかり探していたので見つからないのも不思議ではありませんでした。
大阪に路面電車があるとは知りませんでした。
正確には路面電車ではなく「道路に設けられ、道路交通を補助することを目的とした輸送システム」だそうです。
東京の「東京さくらトラム(都電荒川線)」と同じように感じますが、道路上を走るか否かで性格が違うようです。
▼ともかく、その軌道は住吉大社の参道鳥居前を通っています。
かつての参道はもっと手前、西に長く、大阪湾につながっていたのでしょう。
何と言っても「航海安全」の神社でもあるのですから・・。
▼さすが大阪の初詣ランキング1位を誇る当社ですので、参拝者の数はハンパじゃない。
今回の大阪3日間で、この後に訪問した「四天王寺」と同様に一番のニギワイでした。
▼表参道にあたる西から境内への入口に建つ大鳥居。
▼狛犬はデカイ。台座があるからさらに高く見上げることになります。
▼大鳥居から進むと朱色の太鼓橋。神社では「反橋」と呼んでいます。
渡るだけで罪深さも浄められるそうですが、2往復以上しないと穢れは祓われない人もいるようです。
橋の頂点に立つと前後左右の眺めを写真に収めたくなります。
▼北側の橋の上は大勢の人だかり。どうやら結婚式の参列者の一団。
▼正面は瑞垣を巡らした神門。
▼振り返って西大鳥居方面。反橋は最初に目にした感じより急勾配でした。
▼先ずは洗心しましょう。
▼石段の先がいよいよ神域になります。
鳥居の柱は丸くなく角形で「住吉鳥居」と言うそうです。
▼その「住吉鳥居」に掲げられている扁額はおそらく陶製でしょう。
東京・佃島に鎮座する「住吉神社」の扁額も紺色を使用した陶製で、
やはり金網で保護されています。なぜ陶製なのか不思議ですが理由はわかりません。
東京の住吉神社扁額は高さが1m以上ありました。
ここ、大社のものも同じような大きさのように思われます。
▼神域に入るとすぐ正面に国宝「住吉造り」の「第三本宮」と「第四本宮」が左右に並列されています。
▼「第四」を参拝し、横へずれて「第三本宮」へ。
▼「第三本宮」からは「第二本宮」「第一本宮」へと一直線に直列しています。
四つの本宮にはそれぞれ個別に四柱の祭神が祀られています。
▼各社殿内部の正面はどれもスクリーンが下されていました。
▼やはり檜皮葺きの屋根は、瓦葺きなどに比べると深い趣きが感じられます。
由緒によれば当社は1200年前の創建とされています。
関東の住人から見た住吉大社は「海上・航海安全の神」「商売繁盛の神」が主にイメージされますが、
「祓の神」「農耕の神」「和歌の神」「武の神」「相撲の神」としても信仰されているそうです。
神社の長い歴史の間に次々と新たな神としての祈願・信仰がされてきたのでしょう。
▼「第一本宮」前は正装した巫女さんが二人立っていらっしゃいました。
▼二人の巫女さんはこの行列をお迎えのようでした。
反橋の上から見た一団の方々なのでしょう。
神社で結婚式に出会うと、所詮他人事であるのに心から祝福したい気持ちになるのはなぜでしょう?
▼「第一本宮」右奥に案内された大きな文字は事前知識がないと読めません。
「なんくんしゃ」と「はったつさん」です。
「五大力」など2色使いの手書きの案内はセンスの良い出来で分かりやすい。
▼その案内が掲げられていた「南瑞籬門(みなみみずがきもん)」内部にに入りました。
▼住吉大社にカタカナの「パワースポット」と言う文字は似合いませんが、これも長い歴史の中での一つの変化とされていくのでしょう。
この一画は「五所御前」と呼ばれ「住吉大神」が創祀された場所とされています。
▼「五・大・力」の3つの石を探してみました。すぐに見つかりました。
この石をお守り袋に入れ持ち歩けば「体力・智力・財力・福力・寿力」の「五大力」を授かることができるそうです。
▼「大神宮」は伊勢神宮遥拝所。伊勢方面を向いているのでしょう。
▼こちらは「楠高社」。神巳(神様のへび)さんがいらっしゃるそうです。
▼「楠珺社」のご神体は樹齢1000年と言われる楠。神狐が守っています。
「楠珺社」は、毎月最初の辰の日に「初辰まいり」として参拝し、
「発達」の語呂合わせでしょうが「商売発達・家内安全」のご利益がいただける
「はったつさん」として古くから商いを営む人々に信仰されています。
人々は神秘的な千年の楠に霊力を感じ祈りを捧げてきたのでしょう。
そして言葉遊びの好きな江戸時代の人々が
「初辰」を「発達さん」と親しく呼ぶようになったのかもしれません。
そう言えば「はったつさん」は、
高津の「報恩院」でも辰の日にお参りする北辰妙見菩薩が見られました。
関西人は「はったつさん」が好きなのでしょう。
そして「すみよっさん」に「はったつさん」です。
何に対しても「さん」付けです。
これは関西というより京都の方がシツコイかもしれません。
「やさかさん」「おひがしさん」「えべっさん」「おくどさん」「おなすさん」・・・
耳障りの良い柔らかい言葉ですが、こんな例は関東では決して耳にしません。
▼社伝奥は福を招き寄せる「招福猫」が並びます。羽織袴姿が関西っぽい。
▼「招福猫」は24年間、毎月の参拝で「大猫」に育つそうです。
もう少し他の境内社を見ていきます。
▼「若宮八幡宮」は、第四本宮の祭神 神功皇后の子にあたる応神天皇(誉田別命、八幡神)が祀られています。
「若宮」という言葉は皇族の子という意味も有しています。
▼少し北に「新宮社」「八所社」などの社がズラッーと集められています。
▼朱色の小さな社殿の間に周囲とは異色の「招魂社」。
桃山~江戸初期の建築だそうで、かつては「護摩堂」だったそうです。
境内を出て境外社の「浅澤神社」「大歳神社」方面に向かってみます。
▼境内を出る南門の外には大きな石灯篭には「薩州」の文字が。
島津家の始祖 忠久は住吉大社の境内で生まれたと伝わっていますので、薩摩と住吉は深い繋がりが保たれていたのかもしれません。
▼江戸時代末期に建てられていました。
▼南にある鳥居を出ました。
▼間も無く見えてきた「浅澤社(あさざわ)」は、住吉の「弁天さん」だそうです。
芸能・美容の神様は女性に大人気。
▼さらにその先に「おもかる石」の案内看板が見えました。
▼「大歳神社(おおとしじんじゃ)」です。
元は五穀豊穣、収穫の神様だったところ、
いつからか「集金の神様」にもなっているそうです。
商都である大阪人らしい発想から生まれたものなのでしょう。
▼鳥居は江戸時代後期の建立。
▼その右隣に奇妙な名称の「おいとしぼし社」。
「お愛し星」「老年星」とも言われるそうですが、その由来は不明。
▼参拝者に大人気なのは「おもかる石」システム。
石の重さの感じかたで願いや運を試すのですが、
もとは「石占い」が始まりとも言われています。
神社には御神体とする「巨石」、
さらに「さざれ石」「力石」「要石」などと「石」がある景色が似合うようです。
そろそろ住吉大社ともお別れです。
▼近くの流れは深い谷を刻んでいて、やがて流れは大阪湾に注ぐのでしょう。
▼神社を出ようと北参道に向かう途中にあった「誕生石」。ここも「石」です。
諸説ある中、頼朝の落胤とされる薩摩藩祖 島津忠久誕生にちなむ石です。
▼綺麗な姿を見せる北から見た「反橋」。
▼北脇参道から境内を出ます。
▼「アァ〜〜〜〜ン!」
長〜い、なが〜〜い記事になりました。
それでも住吉大社の隅々まで見るとしたら、その半分も巡れなかったかもしれません。
次の予定があったので1時間強だけで急ぎ巡った参拝でした。