隅田稲荷神社の御朱印
「すみだ いなり じんじゃ」主祭神:宇迦之御魂命(東京都墨田区墨田4-38-13)
▼隅田稲荷神社の御朱印です。
とても優しく丁寧な対応をいただきました。
ピンポ〜ンブザーの機械的音反応がイマイチかもしれません。
実は御朱印は3度目の訪問でやっといただけました。
宮司さんは幼稚園も経営されていて、過去2回は運動会などの行事で留守の時に伺ってしまったようです。
▼東武線「鐘ヶ淵駅」、京成線「八広駅」のどちらからでも徒歩6〜7分。
▼表参道前の道路から北を見ると荒川堤防が見えます。
▼元の鎮座地は少し離れていて、大正に完成した荒川放水路掘削のため現在地に移転させられたそうです。
▼離れた場所に車を駐車して、googlemapを利用して徒歩で訪問したらここに案内されました。
確かに先に鳥居が見えて神社の入口に間違いありませんが、ここはどう見ても裏参道。
境内南側にある入口でした。
▼進んで来た道を振り返ると、まさに路地。
▼表参道を探して仕切り直しです。
▲写真左の柱には車が接触した場合の緩衝材が取り付けられています。
社頭前の細い道路はカーブしていて、車の進行向きによってはここに進入しにくいのですが、境内には2〜3台の駐車スペースがあります。
▼入口左手に「万燈神輿発祥之地」の立派な、硬そうな石柱。黒御影石?
「万燈神輿」は見たことはありませんが、文字から想像できます。
▼提灯がいくつも取り付けられ、いわば「ねぷた」の小型版のような神輿です。
(▲写真は「モモログ」さんからお借りしました。ありがとうございました。)
全国各地で見られる「万燈神輿」だそうですが、当社が発祥で江戸時代末期の元治年間に始まったそうです。
さて、住宅街に鎮座する神社は「何で、こんな せせこましい所にあるの?」といつも思わせられますが、
▼一歩境内に入ってしまえば、そんな思いも忘れさせられます。
▼一礼して鳥居を抜けると右手に「神輿庫」らしき建物。
おそらくここに「万燈神輿」が納められているのでしょう。
▼参道を進むと稲荷神社らしからぬ立派な獅子山の獅子が吠えています。
根拠なく勝手なイメージですが、稲荷神社に立派な獅子山はオドロキでした。
▼谷底に落とした子獅子を見つめていますが、子獅子の姿は見つかりません。
しばし、見とれてしまう獅子と山です。
▼子獅子が這い上がって来るまで、強い意志で待っています。
▼いつまでも獅子と戯れていられません。参道を進みます。
▼「手水舎」です。
古そうな水盤で清めます!
▼「ワタシを見たら、上を見なさい」。ハイッ!
▼この彫刻は、さすが稲荷神社の手水舎。
▼さらに鶴か、鳳凰が装飾されています。
▼鶴があって、これは亀でメデタイ彫り物ばかり。
▼木鼻がスゴイ! 悪魔か邪鬼のような形相が素晴らしい。やはり獅子かしら?
▼こちらもステキに怒っていらっしゃいますが、ほぼ獅子です。
いつまでも獅子と戯れていられません。参道を進みます。
▼拝殿の天井には龍神が描かれているようです。
正式参拝、祈祷を受ければ拝殿内に上がれて天井絵を見られるかもしれません。
古の建物はいつも龍が大活躍なのです。
▼あちらこちらに目を奪われましたが、いよいよ拝殿です。
当社は天文年間(1532年~1555年)、この地の開墾者が伏見稲荷から分霊を勧請し創建したと伝わります。
▼社殿は荒川放水路掘削のため移転させられた時のものが改修され残っています。
▼神狐は参道途中の獅子山、手水舎の獅子たちとは違う表情をしています。
▼怒っているわけではないでしょうが、思いっきり目を剥いています。
▼阿形? 神狐や狛犬は造形作家たちの真剣さや、茶目っ気などが伺えます。
▼木造の本殿も手を加えられながら遷座当初のものなのでしょう。
▼社殿右手に由緒が細かく刻まれた遷座紀年碑。
▼昭和18年、社殿改築記念碑。
▼神楽殿。
▼社殿左手に境内社が並びます。
▼一番奥は覆屋が設けられています。
▼「皇産霊神社(みむすびじんじゃ)」の額がかかっています。
▼3つ並んだ社の左端は古札納め所。
当地は江川善左衛門雅門という人物が開拓し「善左衛門村」と呼ばれていたそうです。
当時は開拓者の名前が使用されている村や地名は全国各地にあったのでしょう。
そして開墾者に関わる鎮守、豊作を願う神社ができるという流れになっていった、
そんなストーリーを想像させられる稲荷神社でした。