▼「靜神社」「別雷神社」の御朱印です。
日付の「月日」の数字は書かれていませんでしたので、自前で入れました。
普通に読んで「しずじんじゃ」です。
こちらは「わけいかづちじんじゃ」です。
御朱印は拝殿に置かれた三方の上に書置きが用意されていました。
▼1枚ずつ取り出して見ましたが「初穂料五百円」の文字に少し怖気付きました。
日付なしの書き置き御朱印2体で1000円。
▼賽銭箱に千円札を落とすのもボンビーには相当勇気が必要です。
御朱印は金額が問題ではありません!
と、理解しているものの、だらしないことに名残惜しい千円札です。
書き置き御朱印でもきちんと墨書きされ捺印されたものなので、
千円札には潔く覚悟を決めていただきました。
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▼御朱印がいただけなかった「乾徳寺」の帰りに見つけた神社でした。
見つけたと言うより、乾徳寺と同じ「武茂城跡」内というイメージでした。
もともと今回のルートは正確には決めていませんでした。
往路は「鷲子山上神社」をスタートに白河の「南湖神社」まで。
復路は茨城県側の過去に訪問済みの神社をトレースするつもりでした。
靜神社も予定していませんでしたし、しかも乾徳寺では御朱印はハズレでしたので、
ここも無人のような様子に、ハナから御朱印の期待も持たないでいましたが、
結果は前述の通りでした。
▼神社前のオシャレな佇まいの建物は「那珂川町 馬頭広重美術館」でした。
広重の肉筆画を中心としたコレクションが展示されているようです。
今回は目的ではないので駐車場だけ利用させていただきました。
▼というのも神社の駐車場はこのようになっていたので・・・。
▼鳥居の脇に「武茂城跡」の案内。
山城の武茂城があって、その麓に靜神社、乾徳寺が位置するイメージです。
▼山麓を見上げると神社へは急勾配の石段を避けられるルートも見えました。
▼駐車場は閉鎖されているし、登っても無人が予想されるこの石段を登るべきか迷いましたが、本来、石段を見たら登らずにいられない性格。
▼意を決して石段を踏み始めました。
▼石段途中の狭い踊り場で振り返ると脚を踏み外しそうです。
▼もう一息です。
▼石段を登りきってから見つけた石碑には「石段百五十五階」と刻まれていました。
誰にも出会いません。
マスクを外しても全く問題なく、石段の上で深呼吸でした。
感染症に対しては100%安全な空間に違いありません。
少なくとも東京でウロウロしているより石段、いや、数段安全でしょう。
ここでは狛犬たちもマスクはしていません。
▼「コロナ? 何のこと?」と言うような表情です。
▼参拝だけして帰ろうと思いましたが、前述のように拝殿に書き置き御朱印の用意がありました。
茨城県の那珂市に式内社で常陸国二宮である靜神社と同じ名称ですが、
ここは武茂城主の守神であり、後には佐竹城主の守護神として崇敬保護されていたそうですが、創建は不詳です。
のちに水戸光圀により「靜神社」と改称され、さらに遷座などの歴史を築いてきたようです。
2010年に「遷座百年祭」が催行されたそうです。
▼刻まれた「武茂城跡 0.2KM」の文字がありましたが、この後の時間が読めなくなってしまいそうです。
▼石段、階段をみたら登らずにいられない本ブログですが、予定外の立ち寄りに時間もないので城趾はスルーします。
▼東屋にも人の影はなく、蝉の鳴き声だけが静かさを深めます。
▼山城らしき人工的な構築を見ながら下山します。
▼下りは石段を避けて、いわゆる「女坂」の斜滑降の参道を下ります。
やはり高い位置にある神社であることを実感させられます。
▼「別雷神社」の御朱印もいただいてきたのでgooglemapで探すとすぐ近くでした。
▼御朱印と参拝の順序が逆ですが、ここも予定外ですので急いでの参拝だけにします。
直前に訪問した乾徳寺で出鼻にパンチを喰らいましたが、
期待していなかった靜神社と別雷神社の御朱印を手にできて少し「テンアゲ!」
次に向かいます!