荒陵山 四天王寺の御朱印
「してんのうじ」和宗・総本山(大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)
四天王寺は天台宗に属していた時期もありましたが、現在は「和宗」の総本山として独立しています。
もともと日本仏教が始まった「聖徳太子建立の寺」であり、仏教の諸宗派が生まれる以前に創建されていますので、特定の宗派に属さないのが分かりやすいと思います。
「和宗」とは何ぞやと調べたら、十七条憲法の「和をもって貴しとなす」の「和」を用いているそうです。
御朱印は手っ取り早く、機械的にスラスラッーと記帳いただきました。
中央の筆文字は「大悲殿」。
聖徳太子のご本地仏である救世観音を祀る「金堂」を表していると思います。
その下に重ねられた丸印は「三宝印」だと思われますが、
ほかで良く見られる「仏法僧宝」の「宝」の文字はなく
「仏法僧」の三文字だけのようです。
左下の印は「荒陵山 四天王寺」。
▼途中「アベノハルカス」が遠望できました。
こういうランドマークがあると自分の位置も含め、大阪の地理が理解しやすいものになります。
▼「カス」がまた現れました。大阪のたこ焼き、串カツは経験しましたがこれは未経験。
広大な四天王寺の敷地にはいくつかの出入口があり、本来は「中心伽藍」の直線上にある「南大門」が正面になります。
▼しかし交通機関などの利便性から「西大門」を利用する人が多いそうです。
「大日本佛法最初四天王寺」と書かれた石柱が建ち、
▼石鳥居の扁額は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれています。
「おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である」という意味だそうです。
したがって交通の利便性だけでなく「極楽浄土の入口」として、この門から境内に進む参拝者が多いとか。
▼まっすぐ進むと「極楽門」。文字通り極楽に通じる門です。
▼さて、その極楽の中に足を進めてみれば、テントだらけ。
▼古本市なのか骨董市なのか分かりませんが、その開催日だったようです。
外から中心伽藍の全体を見ようとしましたが、テントに少しジャマされました。
人々に社寺をより身近に親しく、それとともに神仏の理解などを広めたく多くの社寺がフリマなどの境内利用を勧めるのは良い事なのでしょう。
遠方から純粋に社寺見学に訪れた人にとっては、いささかウルサく感じますがここは致し方なくガマンしましょう。
推古天皇の時代に建設が始まったされる四天王寺は、幾度も災害や戦火に見舞われています。
しかしその都度、不死鳥のごとく再建され蘇っていますので、多くの伽藍は比較的新しく戦後の昭和に建立されたものがほとんどでしょう。
そんなふうに多くの寺院が再建を繰り返したことを思うと、1400年前の木造建築が現存する法隆寺はやはり奇跡的な事なのでしょう。
また、日本への空襲で京都・奈良は意識的に避けられたかもしれませんが、
大阪はまったく避けられる対象にはならず、ことごとく焼けてしまったのでしょう。
四天王寺も同じ運命からコンクリート製に再建されたものとはいえ、6世紀末期の創建当初の建築様式に限りなく近いものだそうです。
となると有料区域である中心伽藍は見ておくべきかもしれません。
拝観料も300円と安いものです。
しかしコンクリート製という事と、この日も歩き回って疲れていたことがプラスされ足が向きませんでした。
広い境内のなかの南大門の方角へも足が向きません。
それでも極楽門の中に入り、五重塔や伽藍の屋根に出会え、御朱印も無事いただけたことに満足でした。
境内の北にある伽藍を巡りながら、この日の寺社巡りを終えようと思います。
▼「亀の池」の前方に建つのは「六時礼讃堂」。
▼亀たちは甲羅干し中。
大阪2日目も四天王寺で8ヶ所目の訪問。歩き回って疲れた身には羨ましい「ワタシはカメになりたい!」
▼重文の「六時礼讃堂」は薬師如来などに1日6回の礼讃が行われるそうです。
▼後方に回って、戦没者を祀る「英霊堂」。
かつては「大釣鐘堂」と呼ばれ、当時世界一大きい梵鐘が釣られていたものの、戦時中に供出されたそうです。
失われるものばかりで、戦争によって得るものは何もありません。
▼好みの建物が現れました。「大黒堂」でした。
虚空蔵菩薩の幟もありましたが、大黒天・毘沙門天・弁才天の顔を持つ「三面大黒天」が本尊だそうです。
▼「元三大師」さんもいらっしゃるようです。
▼お堂は扉が閉まっていましたが「元三慈恵大師良源」さんに挨拶。
▼門内には露座の「魚籃観音」も。東京・三田の「魚籃寺」を思い出します。
▼「地蔵山」ここもイイ空間です。
▼またもや「融通さん」がいらっしゃいました。「融通地蔵尊」です。
手前には井戸らしき穴が開いて、かつての逢坂というところにあった清水だそうです。
▼本尊「立江地蔵尊」は眼病に霊験あらたかだそうです。
▼西大門の方へ戻って「見真堂」は親鸞聖人を顕彰するお堂。
▼「阿弥陀堂」は三重県国束寺(くずかじ)から本堂を移築されたもの。
▼最後に「弘法大師」さんにお別れの挨拶をして四天王寺を出ます。
この日の参拝後に理解したことですが、
それぞれ半日ずつを費やしてゆっくり見て回るべき神社と寺院でした。
どちらも境内は広大で1時間前後の訪問では上っ面の見学さえ怪しいものになります。
御朱印巡りのため歩き回った後に訪れる寺社ではありませんでした。
東京から地方に出ると、ほぼこのような結果になることもあるのですが、
それでも不満を覚えた記憶はありません。
時にちょっぴり後悔は残りますが・・・。