▼花園神社の御朱印です。()
▼同じく、2012年の花園神社の御朱印。
300円から500円になりましたが、御朱印自体は何も変化なし。格式は高く、軽々しい限定御朱印も聞いたことがありません。
▼もともとは稲荷神社でした。
「花園神社」に合祀されている「大鳥神社」「雷電神社」の神紋がデザインされたハサミ紙です。
▼「桜紅茶」を一緒にいただけました。1.2g×1TBです。
▼朱印帳の基本的な注意と、紛失に関しての注意書きもあります。
現在の大きなブームですので、御朱印を求めるのにもイロンな人がいます。
朱印帳をどこかに置き忘れたり、神社側に苦情を言ったり、イヤハヤです。
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▼良いのか、悪いのか、神社は新宿の繁華街にあります。
▼「新宿五丁目」の交差点から参道方面に目を向けると、松の木が遠慮がちに通りに枝を伸ばしています。
▼靖国通りに面したこちらが表参道でしょう。
かつては江戸から甲府につながる甲州街道の最初の宿場「内藤新宿」は、東京でも一番に変化の激しかった街とも言えるようです。
宿場でしたので本来江戸の外でしょうが、角筈、代々木辺りまでが「御府内」ですので、やはり江戸の市街ぎりぎり境界線だったのでしょう。
神社は尾張藩などの下屋敷があった跡に鎮座します。現在は23区内、山手線内です。
そんな新宿の街の発展・変化とともにともに進化してきた新宿総鎮守 花園神社なのでしょう。
昨今はいつ訪問しても参拝者が絶えない神社になっています。
▼2012年の参道です。
▼狛犬ではなく、唐獅子ですが保護していた無粋な金網が取り除かれています。
銅製の獅子は囚われの檻から出され、開放感を味わっています。
立派な彫刻です。いたずらされない限り、金網の檻はゴメンです。
▼境内は新宿の街中でイチバンに朱色の溢れる場所に間違いありません。
▼かつての社標でしょうか? 現在は「稲荷」の文字が削除されています。
▼建物の燃えるような朱色に負けて、目一杯咲いている紅梅も目立ちません。
梅の木もありますが、やはり時期になると境内は桜の花で淡いピンクに染まります。
▼新宿の街中にしては社殿の後方に高いビルは目立ちません。
コンクリート製の社殿は1965年に建て替えられたもので、半世紀以上経ちますが見た目はまったく新品です。
▼合祀されている扁額も並びます。
「大鳥神社」は関東三大酉の市のひとつで、浅草の鳳神社、目黒の大鳥神社と並び、11月になると酉の市で大賑わいになります。
▼境内社の「威徳稲荷神社」です。
縁結び、夫婦和合、子授けのご利益があるとか。
▼扁額の後ろには男性のシンボルが横になっていますが、上を見上げなければ誰も気づきません。
▼境内から東側にある大鳥居の方へ向かってみます。
▼手前は「明治通り」。
神社の呼ばれ方は「三光院稲荷」、「四谷追分稲荷」、単に「稲荷神社」、「花園稲荷神社」と変遷してきました。
現在地に遷座して来た当時の尾張藩の下屋敷跡は多くの花が咲き乱れていた花園だったそうです。
▼境内東端の目立たない場所に「芸能浅間神社」があります。
形だけの富士塚のような位置に社が鎮座して、芸能人の名が並ぶ玉垣や「夢は夜ひらく」の歌碑もあります。
▼芸能の道にも勉学が必要のようです。
▼故障か? 水源が枯れたのか「使用不可」。
▼大鳥居の隣と、明治通りを挟んだ向かいに場所を占領しています。
店名の「花園万頭」と「ぬれ甘なっとう」が有名ですが、買ったことも食べたこともありません。店舗並びの飲み屋では飲み食いしていますが・・・。
▼さて、神社の裏は昼間は死んでますが、夜は呑んべぇの花園でもあります。
かつては文化人が多く集まったゴールデン街は、昨今は新宿駅西口の「思い出横丁(ションベン横丁)」同様、異邦人の人気スポットでもあります。
▼路地の先に花園神社本殿の背中が見えます。
戦後の「闇市」と「青線地帯」を経験して来た街で、男たちの花園でもありました。
神と人の花園、昼と夜の花園、それぞれの花園、そして変わらぬ花園・・。
そう言えば「芸能浅間神社」に宇多田ヒカルの母親 藤圭子の歌碑がありましたが、「夢は夜ひらく」は園まりもヒットさせてるそうです。