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「御霊」の読みは「おれい」「おんれい」「ごれい」「おんりょう」「みたま」どれも違う。
「しもごりょうじんじゃ」が正解。
もっとも「おんりょう(怨霊)」と御霊は、その様相の違いだけだと言えます。
「みたま(御霊)」の読みで神社はなさそうですが、東京の靖國神社で例年「御霊(みたま)祭り」が盆に催されます。
全国に「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」は数多くあります。
京都でも幾つかあって、桂に上・下、そしてここも上・下に2つあるうちの一つ「下御霊」です。
▼鳥居は寺町通りに面していて、境内はそれほど広くはありません。とは言え、街中にある神社にしてはそこそこの広さを持ってます。しかし、多少の木々はあっても神社のランドマークとなる「森」はありません。
▼「八所御霊を祀り疫病災厄から都を守護する社」とあります。神社の詳細創建は不明ですが、平安時代とも伝わります。
当時盛んに行われるようになった「御霊会(ごりょうえ)」を源として、その霊を神社に祀るようになり、この地には天正18年(1590年)に遷座されたそうです。
科学や医療というものが全く存在しなかった当時、度重なる自然災害や疫病はすべて「霊」のせいではないかとされた。
いわゆる「怨霊」ですが、崇徳院、道真、将門などは有名で、怨霊の代名詞のように扱われたりします。
当時の社会は、人の命が現在ほど重んじられていなかったはずですし、情報の少ない中では、奸計や冤罪は計り知れないほど数多くあったものと考えられます。
そんな中で貴人にかかわらず非業の死を遂げた人たちは数多あったに違いありません。
実際に恨みを抱きながら亡くなった人たちが「祟り」を及ぼそうと考えたわけでないと思われますが、その非業の死に多少なりとも身に覚えのある人は、その恐ろしさに震えたかもしれません。
そんな震えから救われたくて、霊の鎮まりを願ったことでしょう。
とすると崇徳院、道真、将門も怨霊としての「名誉」は大変不本意なものかもしれません。
平安時代後になっても、戦で勝利した武将たちは、多くの敵方の死者のために鎮魂の寺や社を建立しています。
現代の護国神社や招魂社も同じような性格を持っているかもしれませんが、少なくとも「たたり」を恐れて祀るわけではありませんね。
そして時代の移り変わりとともに「霊」たちは国家や人々を災いや病から守る神に変身して行ったのでしょうか?!
▼また生半可な言葉を並べているな! と笑われます。見ようによっては凄味のある狛犬。たしかに笑っているようにも見えます。
▼今年も分霊が巡幸される還幸祭が行われ、災いを祓い清められたことでしょう。祭りの写真はWEBから拝借したものです。
このように、まれにクレジットなしで他人様の写真をお借りします。商業目的ではないのですが、マナー違反でしょう。
マナーに関しては大きな失礼のないように生きてるつもりですが、優等生ではありません。お許しください。
「たたり」を被ることのないよう願うばかりです。