(真言宗智山派・)
一体で良いので「お願いします」とだけ言葉にしていただいた御朱印は、新西国霊場 第十七番札所の印でした。
「六観音」は聖・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪の六体の観音が像安置されていることを示しています。
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▼千本釈迦堂の近くを京都市内に南北に長い「千本通り」が走っていて、近くには「千本えんま堂」もあります。
▼北野天満宮から歩いてやってきました。
周辺も寺も北野天満宮ほど賑わっていず、とても静かな街並みと境内でした。
▼「国宝 千本釈迦堂」と彫られた寺標は堂々として誇らしげです。
▼参道を振り返りますが、参拝者は見当たりません。京都の寺社も状況は様々です。
京都の寺は境内に入るのに いきなり有料の場合と、自由区域と有料区域に分けてる場合があります。
▼千本釈迦堂の場合も境内拝観は無料ですが、霊宝殿の寺宝や文化財を見ようとすると600円の有料となります。
今回もボンビーは拝観自由の無料区域だけの参拝です。
時間もたっぷりとっていませんでしたので・・。
▼寺宝や文化財を見れなくても、鎌倉時代は1227年に建てられた美しい姿の国宝本堂を目の前にできるだけでも十分満足なのです。
▼応仁の乱おの戦果も逃れ、都最古の木造建築と伝わりますが、桜の時期には境内を艶やかな姿を見せそうです。
ところで、寺名はなぜ「千本」なのでしょう? 寺のHPによると・・・
千本釈迦堂の名前の由来は、本堂の行快作本尊(ほんぞん)釈迦(しゃか)如来(にょらい)坐像(ざぞう)が古来より厚く信仰されていること。近くに南北に走る千本通があること。千本の卒塔婆(そとば)が道に立てられていたこと。千本の桜あるいは千本の松並木が植えられていること。など諸説あります。
どの説もモットモと思いますが、千本の卒塔婆の言い伝えでは醍醐天皇と菅原道真の左遷と怨霊の話が出てきて、一番おもしろく信憑性もあるように思います。
▼鎌倉時代には現代のようなシャッターはなかったのですが「蔀(しとみ)」はありました。格子板を引き上げて、吊り金具でとめる窓です。
▼横線、横桟がなければ千本格子です。
▼「北野経王堂願成就寺」は明治までは北野天満宮の門前にあったそうです。説明板がありますが、相当ややこしく理解不能!
▼「稲荷社」の前には「千度石」。百度石は知ってますが、その10倍です!
千本釈迦堂ですので、どの数も「千」なのでしょうか?
「千」という表現は実際の数をいうのではなく「たくさん」という意味の慣用的な表現でしょう。千本松原、千本格子、千本桜、千人針などは、どれも実際に1000あるわけではありません。
▼「不動明王堂」
▼「阿亀(おかめ)多福」は「斗組」を手にしています。
その「斗組」にまつわる夫婦が助け合う伝説があり、ここはおかめ信仰発祥の寺でもあるそうです。ということで、縁結び、夫婦円満、子授けのご利益とか。
▼こちらは「ぼけ封じ 観音菩薩」
▼観音様の足元は一瞬、子供が纏わりついているのかと思いましたが・・・
▼どうやらジジさん、ババさんのようです。
観音様が手にする蓮華、ハスの花でジジさんババさんの手が繋がっています。観音さまの慈悲にすがる姿なのでしょうか?
▼寺を出ておナカが空いたので店を探します。
上七軒通りは綺麗な通りですが、なかなか適当な店が見つかりません。
▼昭和レトロな看板を貼り付けたけったいな建物。
▼建物を覆うトタンを全部黒くしたかったのでしょうが「塗れませんでした」!?
歩いているうちに北野天満宮まで戻ってしまいました。
▼天満宮前の「とようけ茶屋」は豆腐屋さん? ゆば丼がいただけるそうですが、大勢が並んでいたので、ここもパス。
豆腐屋さんの数軒先の「楽ZEN」という韓国料理屋さんに入りました。
おかぁさんが一人でキリモリしている小さな店でした。
温麺をオーダーしましたが、店の様子から大して期待できず、何が出てくるかビクビクでしたが、食べたらメチャおいしい!
「千本温麺」と名付けたらイイかも? でもこの店は天満宮前だった!
▼食べかけの写真はキタナイ! 北野天満宮前なのでオユルシを!
食べていると、若い欧米人の男性が一人で入店。やはり麺類をオーダーしてサッと食べ終わって、サッと店を出て行きました。
手ぶらで観光客でもなさそうで、常連さんのような雰囲気でもありませんでした。
欧米人が日本の韓国料理屋で麺を一人で食べる? 何か不思議だらけでした。