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▼あの有名な相模国一宮ではありません。下総国の寒川神社は千葉にあります。
どちらも「寒川比古命」「寒川比売命」という同じ祭神を祀ります。
しかし、2つの寒川神社に何の関係もなさそうです。
または関係が見出せないかもしれません。
それは歴史の古さから記録が失われ、分からないことが多いと言う事かもしれません。
神社には1481年に社殿を修復した記録が残っているそうなので、創建はそれ以前と考えられています。
さらに延喜式には「下総國千葉郡 寒川神社」と記載されているそうなので、その記載神社が、ここの寒川神社だとすれば創建はさらに遡り千年以上前になります。
しかし、延喜式記載の寒川神社=当社とする証拠が出てきてないようです。
いずれにしても最低600年の歴史を持つ神社は、かつては神社前の海を行く舟は帆を半ば降ろし、道行く人馬は下馬して敬ったそうです。
現在でもどこの神社前の鳥居でも、被り物を取ってお辞儀をする人を多く見るその姿と同じでしょう。
現在は神社前の道から海は見えません。
しかし埋め立てられる前のかつては、白砂青松の海岸に鳥居が建っていたそうです。
今では考えられない千葉の東京湾岸ですが、想像力を逞しくするしかありません。
当時は遠浅の海に港が造られ、魚市場もある漁業基地であり、また佐倉藩の年貢米を江戸に運ぶ御用港として大いに賑わった寒川村だったそうです。
さてここまで記事写真は一之鳥居、手水舎、ニ之鳥居、狛犬、拝殿と並べてきました。
▼そして、本殿です。
▼さらに境内社は迦具土神社、稲荷神社、疱瘡神社の3つの神社が集められています。
▼境内社を守る狛犬は、どうしてもUPで撮りたくなるアンニュイな眼差しです。
長い年月の風雪に耐えてきた阿吽の呼吸です。
町と海岸線の変化で途絶えていた、神輿を海に担ぎ入れる「御浜下り」という海中御渡の祭り、神事が千葉ポートタワーに場所を変えて復活されたそうです。
▼その神輿庫は扉があり中が窺えません。
▼昔は神社前を舟が行き交い、帆を降ろして敬いました。写真、UPします!
▼今は神社頭上を「空飛ぶ舟」が尾翼を震わせています。
「空飛ぶ舟」が敬意を示しているか、どうかは確認できません!