佐倉七福神を巡り始めて、大聖院、麻賀多神社とも書置きだったので、以後の寺も書置き覚悟で訪問しましたが、2寺ともシッカリ直書きで揮毫いただけました。
萎んでいた気持ちが一気にUPしました。
ワタシは勝手です。書置きOK人間なのに、やはり直書きはウレシーのです。
でも矛盾してません。OKとウレシーは別です。
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前回記事の麻賀多神社から「城下町通り」を東に歩きます。
「城下町通り」と言っても町並みが保存されているわけではなく距離も600mほどです。しかし電柱が無いせいか開放的で明るいのですが、人通りはほとんどありません。
地方都市のご多聞に洩れず、人は郊外の駐車場のある大型店舗に持って行かれてしまっているようです。正月6日もシャッターが下ろされているのが目立ちます。昔ながらの風情を残す建物がちらほらと点在している城下町通りが途切れるあたりを左折。
すると、もうすっかりイナカの道ですが、少し進むと2つの寺が向かい合っています。左の寺、門も無くブロック塀に囲まれただけの入り口の「嶺南寺」から訪問してみます。
境内の中心は車を駐めるためなのかガランとしてチョット殺風景です。
全国に広がる曹洞宗の禅寺も、その姿はサマザマです。
▼境内にも暮石のような造りの弁財天がいらっしゃいます。ちょっとカッコイイです。
何やら現代的で、レリーフではなく、写真のようにも見え、どのように造られているのか訳分かりません。
▼本堂の突破口に逗子に入れられた小さな弁財天が出されています。童子に囲まれた弁財天は初めて見ました。逗子は高さ1m以上あり、かなり重そうです。
珍しい「一面六臂」の弁財天はこの時期のみの開帳だそうです。重量級の逗子をズルズルと本堂入り口まで引きずってきたのでしょう。タイヘンです。
撮影禁止でしたが撮影後に気付き、あとの祭りでした。
この写真は本来はブログに掲載するのも、犯罪とは言えませんが、ルール違反かもしれません。
お互い、利もなく害もなく、人畜無害と思えるのですが、そこが「秘仏」でしょうね。
「秘密」「秘伝」「秘術」「秘所」「秘技」「秘匿」などは公に晒したら不道徳なのです。
佐倉七福神の寺はどこも佐倉に関わる歴史上の人物の墓があります。少し予備知識を持って訪れればワクワクすること間違い無いでしょう。もっとも歴史好き、墓好き? に限られるでしょうが。
▼案内が「御朱印所」ではなく「朱印所」となってます。ワタシも「御」は不要と思いますが、大方は有り難く、畏れ多いから敬って「御」の接頭辞をつけるのでしょうか?
弁財天と本尊の御朱印をいただきました。
このブログ記事内の表記でも「御朱印」と言ったり「朱印」と呼び捨てにしたりで、明確な主張を持たない人間性がバレてしまっています。
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▼向かい合ったもう一方の寺「宗圓寺」の境内に入ります。
こちらも禅寺ですが、臨済宗です。
やはり境内は駐車場を兼ねています。地方では当たり前なのでしょうが、寺社の絵に車は似合いません。車利用大好きな人間の勝手な言葉ですが。
▼ツルピカの掃除小僧は、何故かいつも撮らずにはいられません。
嶺南寺も、ここ宗圓寺も、ともに1642年に松本からこの地へ移されて建立されたそうです。信濃松本藩主だった堀田正盛の移封、いわゆる国替えで佐倉に移されたということです。移封・転封によって大名とその武士達は統治する国に移動することになるわけですが、関わりの深い寺なども移動したようです。また町人などでも移動したケースがあるそうです。
この寺のすぐ先に七福神の毘沙門天を祀る甚大寺という寺が1615年に建立されています。嶺南寺、宗圓寺もこの寺の隣に仲良く建立しようとしたのか、寺が3つほぼ隣り合っています。
▼宗圓寺本堂内の個人の廟です。詳細は全くわかりませんが、おそらく名のある武士のものなのでしょう。
▼他の廟はこのようにニワトリ小屋のように並んでいます。やはり個人のものです。何れにしても本堂内に位牌が安置されているのは度々見かけますが、この形で堂内にあるのは初めてみました。
佐倉に移封される前の松本では、雪に見舞われると墓にお参りができなくなります。そのため堂内に墓がわりになる廟を造り、そこでお参りしたとか。その松本での習わしが、移封後の佐倉でも引き継がれたのではないか?!
という話を堂内にいらした寺の世話人らしき方から伺いました。
しかし同じ状況で松本からやはり移動してきた嶺南寺にはなさそうです。
佐倉の城から続く城下町の途絶えるあたりは、城下町を囲むように寺がいくつもあって、寺町的な雰囲気もあり、ほかの史跡も含め、ぜひ1日かけてゆっくり巡ってみたいものです。いずれは消滅してしまうかもしれない今の姿を追って・・。
▼堂内には世話人らしき方がお二人いらして、お話と揮毫をそれぞれ担当していただきました。朱印帳を戻されて一緒に供物も。
中は包装された干菓子がひとつ。
諏訪大社四社を巡って、記念品としていただいた「そば落雁」が思いのほかチョー美味しかったことを思い出し、いただいてみる。
味は「ナミ」でした。諏訪大社の「らくがん」と比べるものではありませんでした。
でも宗圓寺さん、ありがとうございました。