前回に豊川稲荷の裏手、北側にあたる、かつての貧民窟ついて少し触れました。
書いたら、いきなり訪れてみたくなった。もう2度ほど行っているのに!
日曜に2時間ほどブラついてきました。
最初に目指すはココ! 鮫河橋。
言うまでもないことですが、貧民窟とかスラムという言葉を頻繁に並べますが、その地域、そこに住む人々を中傷するつもりは全くありません。
単なる個人的な好みで、現代の社会の底辺に位置する者の親近感?なのです。
「窟」という言葉には惹かれます。「窟」は「迷宮」です。
このブログのタイトルにもしています。「Labyrinth」は少し意味が違うかもしれませんが、カタイことはツッコまない。
この地域の寺社を巡る場合は「四谷3丁目駅」が最寄になりますが、今回は四谷駅から迎賓館方面に歩く。この方向から貧民窟に足を踏み入れるのは初です。
▼世界遺産だったかしら? いつから?
中に入ったことはないですが、何回も目にしているから今さら世界遺産と言われてもピンとこないよ!
鮫河橋貧民窟が残っていたら、ゼッタイそっちを世界遺産にすべきだった!
どっちでもイイ、日本のベルサイユね!
▼ベルサイユの右脇、学習院初等科を右に見ながら塀沿いの坂道を下ります。
店舗も何もない、塀と生垣しかない通りを進むと南元町交差点に出ます。
交差点の左手には御所を警護する「鮫が橋門警備派出所」がありますが、警備の方がニラミをきかしています。カメラを向けることさえ躊躇させられるから、サッサと右折する。気がチーサイ!
▼少し行くと「南元町公園」。
公園内のモニュメントの意図はわからない。何処かに説明があったかもしれない。
▼公園の隅に小さな祠「鮫ヶ橋せきとめ稲荷」。
咳を止めるわけではない、堰を止めたかったようですが、庶民はやはり「咳止めにご利益あり」の方向に持っていってしまったらしい。
庶民の生き様は今昔 変わりない!
「せき」をどう理解しようが、誰にもセキニンはない!わ。
「沙美津川 千どり来なける古の 星の名ごりを伝う石ぶみ」
誰が謳った? 知識が足らん!なっ。
石碑の建立者長尾氏の詩らしい。
地域名の鮫河橋ではなく、江戸名所図会に描かれいる板橋はこのあたりにあったのでしょうか。
最初に目指した場所は、ここで目的を果たしたことにします。
▼その小さな社の裏側。
子育て地蔵。そして右上の説明板に江戸名所図会の「鮫が橋」が詳しく紹介されています。
▼いよいよ暗黒の迷宮が口を開けて待っています。
▼入りました迷宮。
東京新宿区内、昼間の景色とは思えません。
高速道の下の通路。
この高架沿いは昔「千日谷」と呼ばれていたそうです。
▼その反対側、首都高速とJR中央線の高架をくぐると「出羽坂」。
掲載しないけどこの先、坂ばかりがたくさんあります。「暗闇坂」「鉄砲坂」など名前のある坂だけで10坂くらいあったかな?
坂を左に見て、窟・スラムが存在した谷筋を北に進みます。迷宮はここからが本番です。
かつてのスラムはここらあたりが一番密集していたそうですが?
▼キレイなもんです! 怪しいものは何もない。当時がしのべるものは何もありません。
三叉路、何処が、かの昔ヒンミンクツだったのよ?!
道なりに写真の三叉路を谷筋の右手に進む。谷筋と言っても建物を全て取り除かなくては確認できません。
▼道路の左右を覗いてみましょう。
ひしめく家々の隙間にそれぞれ路地があります。
▼入ったが行き止まりでした。
▼この路地にそれぞれの民家の玄関があるようです。
火災になったら、どうするの?
▼なんか壊した? ひっぺがした? コンクリート塀をどうしたのか、何だかわかりません。
▼フェンスの奥を覗いてみました。背の低い石塀が続いています。?は、さらに深まります。考察力が足らない!
何だかわかりません、いつまでも眺めていると道行く人に怪しまれます。それでなくとも怪しい。
谷筋の道から左右の高みに向かってに民家が密集しているのは当時の名残でしょうか?
先に進みます。
▼正面に見覚えのある建物が・・。
江戸三十三観音で御朱印をいただいた「真成院」、ビルの中です。
▼掲載済みですが、5年前にいただいた真成院の御朱印。
▼今回はスルーして真成院前の「観音坂」を進みます。
▼右へ右へと2度曲がると「西念寺」の門。
何だか寒々しい門だなぁ。
▼「西念寺」西を念じる寺だから浄土宗!
▼本堂。
こういう柵のある本堂は、どのようにお参りして良いのかわかりません。浄財箱もないし・・。
▼柵がなければ階段を上がり、開き戸を少し開けると浄財入れがあったりするけど・・。
日頃はここで手を合わせる人は少ないようです。
歴史も見所もある寺ですが、地理的に不利なのかな?
半蔵の他に家康の長男、松平信康の墓もあります。
法要でご多忙中のようでしたが、いただけました。
▼専称山 安養院 西念寺の御朱印です。(浄土宗/東京都新宿区若葉2-9)
▼ここまでと、これから進む地図。
▲この坂を下ってきました。
▼キャッ、出たっ!
▼怪談ではない、人気が「出たっ!」階段です。
まだまだ「聖地巡礼者」が多いようです。
神社より階段と坂道に興味が集中しています。中国の観光客姿も。
今更ながらアニメの力を思い知らされます。
▼「須賀神社」です。
「く組」? ゴロが悪くないっ?
サンマは「メグロ」、火消しは「メグミ」に限ります。
都心の神社だから森は少ないが、本殿右手に汚れた心が洗われるような気持ちになる木々がありました。
2012年参拝時は朱印帳に揮毫いただけましたが、今回は書き置き。
▼神社からコの字にぐるっと回るとこの通りに入れます。
▼「陽運寺」です。
▼山門をくぐります。
▼本堂。
ここは何でもありの熱心な寺院です。
▼3個100円で「石」を求められます。が、求めません。
神仏は信じていますが、さまざまなおみくじに始まり、絵馬、お金をザルで洗う、撫で仏を撫でるなどなど、ほとんど買わない、実施しない。ごく稀にはします。
この寺のように何でもありの場合は全くしません。
2つある「四谷お岩稲荷」の主導権を完全に得ている寺だわ。
ここも今回は書き置き。ご首題も無理「とくに日曜は!」とのこと。
最近、週末や祝日は直接書いていただけない寺社が多くなった。
訪問者が多いときほど直書きしていただける方が理解しやすいという見方もあるのだが?
▼長照山 陽運寺の御朱印です。(日蓮宗/東京都新宿区左門町18)
▼陽運寺の御朱印(2012年)。
真ん中の読みは「於岩稲荷」かな?
、
向かいにある田宮神社も「本日は御朱印をしておりません」の案内。
ここも御朱印をいただく事がなかなか難しい神社です。
代わりにというのか、お守りのような短冊が大量に置かれていますた。
それぞれに異なるいろんな言葉が書かれています。
「今のご自分にもっともふさわしいと思われる言葉をお持ち帰りください」というような内容の案内がありました。
チョットやソットでは祓いすすげない、穢れ汚れまみれの身ですので、1枚いただいてきました。
新宿四谷の若葉・須賀町・左門町地域は、かつての貧民街を覆い隠すように、すり鉢状の上の方、ほぼ谷から登った場所に寺が数多く点在しています。
札所も江戸三十三、御府内、関東九十一薬師など数寺あり、札所以外でも御朱印をいただける寺も多い。
しかしどの寺も観光寺ではありません。
御朱印をいただくには図々しさ、勇気、無感覚、ちょっとだけ非常識さが必要な寺がほとんど。ガンバるしかないです。
またアニメ聖地もあり、面白い名称の由来を確かめながら坂巡りしてるだけでも楽しい。
その昔の貧民窟は興味無い人にはどうでもよいが、集印者は半日かけてじっくり回ると、御朱印以外にも得るものが多い興味惹かれる町だと思いますよ。
お岩さんも歓迎してくれます。
何回も訪れたことになるから、ワタシはもうイ〜ワ! サブイ!