▼王子稲荷神社の御朱印です。(東京都北区岸町一丁目)
▼王子稲荷神社の御朱印。(2019年)
▼王子稲荷神社の御朱印(2015年)。
御朱印は2019年、2015年の2体は瓜二つ、何も違いはありません。
▼もちろん「記帳料」は変化しています。
▼御朱印にもスタンプされていますが、火事の多かった江戸時代より凧市が開かれ、火事除けの守札「火防凧」が授与されているそうです。
江戸の火事は風が大火につながったことから、風を切って上る凧を火除けのお守りにしたそうです。
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▼JR「王子駅」が最寄駅になりますが、御朱印目的の訪問者は「王子神社」とセットで伺うことが多いでしょう。
王子稲荷神社の東方向に境外社の「装束稲荷神社」があります。
そこから大晦日の深夜には地元の人々などの狐化粧、仮装、コスプレによる
「狐の行列」が王子神社まで練り歩かれ、
幻想的でもあり面白い冬の風物詩ともなっています。
(写真はwalkerplus)
とは言え2020年の大晦日は中止だそうです。
イベントはなんでも中止には疑問も感じますが、
感染者が出た場合の責任や、正義だと勘違いしてる自警団によるバッシングなどもあるのでやむを得ないでしょう。
様々な規制が緩和されてはいますが、まだまだ「不要不急」に遠慮は生きています。
▼広重が描いた「王子稲荷乃社」と「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」です。
昔の王子周辺は田畑しかありませんでしたが、絵図にあるように一本だけ大きな榎が立っていました。
その榎をランドマークとして毎年の大晦日に各地から狐たちがやってきます。
そして狐たちは榎の大木の下で装束を整え、狐火を灯しながら王子稲荷へ参詣したと伝わります。
そんな様子を平成に入ってから再現させたのが「装束稲荷神社」の「狐の行列」です。
少し脱線しましたが神社訪問です。
▼車ですと神社入口の門の左脇に急坂「王子稲荷の坂」があるので、そこに侵入すると神社境内に数台駐車できるスペースを見つけられます。
▼そちらでもトボけた狐が歓迎してくれますが、神社正面に回りましょう。
▼宇迦之御魂神を祀る神社の創建は平安時代とも伝わりますが不詳です。
かつては「岸稲荷」とも呼ばれたそうです。
「岸」は隅田川のことを示しているのでしょうが、
古くは隅田川がもっと神社の近くを流れていたか、もともとの神社そのものが川の近くにあったかもしれません。
門をくぐると参道右手にも小ぶりな鳥居が見えます。
▼境内社の「市杵島神社(いちきしまじんじゃ)」です。奥は幼稚園。
▼風化の激しい狛犬が守るのは弁天サマのようです。
▼石段を上った先の社殿は1808年の建立で、とても煌びやかな造りです。
コンパクトな社殿ながら関東の稲荷社の「総社」とも言われ、厳かな姿をしています。
将軍 徳川斉公により寄進された社殿とされています。
また源頼義から「関東稲荷総司」の称号を与えられ、小田原北条氏、歴代 徳川将軍家の祈願所でもありました。
おまけに落語「王子の狐」の舞台にもなっています。
扁額は正しく単に「稲荷社」。
▼錚々たる歴史上の人物が因む神社ですが、王子稲荷の真骨頂はここから始まります。
▼「願掛けの石」「狐の穴跡」はこちらです。
▼鳥居をくぐって右手奥へ進みます。
▼途中憎めない表情の狛犬たちかと思いきや、尻尾を見ると狐でしょうか?
▼小さいながら立派な社は「本宮」。
その先の入り組んだ通路に進みます。
写真は明るく撮ってありますが、現実は建物などの影になっていて、もう少し薄暗かったと思います。
神域は狭く、細く、暗く、静かなほど神気を感じるものと信じます。
▼「北村」「嬉森」「亀山」の三稲荷社が一つになっています。
▼こちらはかなりスマートな切れ味のありそうな狛狐。
▼「御石様」が現れました。
「おもかる石」です。
▼結構大き目の石は、腕を伸ばしたまま持ち上げると・・・オモイ!オモイ!
▼高い位置に進んでいます。ここから下を覗くとこんな景色になります。
▼狐たちに導かれ、さらに高い位置の迷宮へ階段を登ります。
▼神社境内は崖に沿っていて、その崖っぷちに開いた「穴」が「狐の穴跡」。
薄暗いここだけ少し他とは異なる空気が流れています。
▼この地にいた狐の住処だったという「穴」だそうです。
その昔は人間なぞ近づかない、藪か雑木林であった場所だったのでしょう。
「コンッ コンッ!」
狐の親子が穴を出入りしている姿が目に浮かぶようです。
なぜか狐の鳴き声の表現は「コンコン」です。
▼帰り道。ここも昔は水をコンコンと汲めた井戸だったかも?
御朱印をいただいて帰ります!
▼王子稲荷神社のほとんど「お隣り」さまです。