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▼阿夫利神社へは「大山登山ケーブル」を利用します。
▼車でもバスでも並行して流れる「鈴川」を右に左に見ながら進む県道は、神社の入口になる「こま参道」まで、いい雰囲気の旅館や宿坊が数多く現れ、かつての「大山詣り」の賑わいが彷彿されます。
車やバスは「こま参道」手前まで。そこからはケーブルの駅まで十数分歩くことになります。
▼けっこうな坂道がダラダラと長く続き、ここからは「こま参道」の石段の始まり。
▼幅の狭い「こま参道」は土産物屋や飲食店に大勢の人が群がっています。
「大山詣り」の庶民の目当ては現代も江戸時代も大差ないかもしれません。
江戸時代の隆盛期には年間20万人の人が「大山詣り」に出かけたそうで、当時の江戸の人口が100万人だったから5人に1人が「大山詣り」!
江戸から歩いて、さらに山登り。江戸人のタフさには脱帽!
▼軟弱な脚力の現代人はバスや車利用、途中からはケーブルが山の中腹まで運んでくれます。
▼江戸時代の「大山詣り」は講ができていて、代表者は木製の刀を大山まで担いで、大山寺に納めるわけですから、この急斜面を登らざるを得なかった!
当時は大山寺も現在の阿夫利神社と同じ位置にあったから、ここらあたりまで登って来るとヘトヘトだったに違いない。
▼現代人は「こま参道」の石段と、ここからの石段だけでヘトヘトになりそうです。
神社の創建は崇神天皇の時代と伝わっていますので、神話の世界から明確な歴史へと続く境目あたりになります。
大山の山頂からは、祭祀に使われたと推測される縄文土器が出ているそうですから、気が遠くなりそうな昔から崇められていた山です。
山は別名を「あめふり山」とも呼ばれていますので、真剣な「雨乞い」も祈られていたのでしょう。
何かを望むとしたら当時は何しろ祈るしかなかったのですが「祈る」ことを教えたのは誰でしょう?
人間が人間らしくなってきた時、自然と祈るようになったわけではないはず!
神の存在より前に、山などの自然の力の存在に恐れおののいた事は理解できます。
その力にひれ伏し、恐れる姿が祈る姿に変化していったのかもしれません。
自然の力は神話の時代から現代まで何も変わっていません。ただ、その間はひたすら抗おうとしてきた人間の歴史です。
現代人はそこに奢り、慢心が生まれると悲劇に繋がるかもしれません。
▼大山を訪問する季節的には春も良いのですが、秋が一番賑わうかもしれません。
常緑樹の多い大山は山全体が赤く、黄色くなる事はありませんが神社や寺の周辺には紅葉が赤く染まり多くの人々を誘います。
自然界の色に赤は少ないので、人々は眼に赤を求めて紅葉探しに出かけます。
▼赤は危険です、熱です、毒です、だから人々を高揚させ、テンションが上がって「ピース」です。
空は青く、川も海も青く、山もほとんどは青い。「緑」も青だった古から自然界の色は「アオ」が多かったのでしょう。
▼犬は人間ほどカラーを識別できません。赤色に感動も高揚もないようで、下を向いています。しかし空気感は人間さまより敏感かも・・。
大山の魅力は紅葉の季節も、新緑の時期もそれぞれ魅力があります。
真夏でも、真冬でも御朱印とともに記憶に残る大山阿夫利神社の参拝となる事でしょう。